江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

山谷堀

2012-04-28 | まち歩き

山谷堀は、浅草寺の数百メートルほど北側を流れていた長さ700メートルほどの掘割です。東端は現在の隅田公園辺りで隅田川に注ぎ、西端は江戸の遊里・吉原に至っていました。現在は埋め立てられて、山谷堀公園という細長い公園になっています。

山谷堀が掘られた年代は定かではありませんが、吉原との関係が深いため、江戸の初期と言われています。吉原が現在地に移転したのは、明暦の大火(1657年)がきっかけですから、これと前後して掘られたのではないかと考えられます。

江戸時代に吉原へ行く手段としては、徒歩や駕籠を使う方法以外に、柳橋(神田川が隅田川と合流する付近)辺りの船宿から、猪牙船(ちょきぶね)という小型の船を仕立てて、隅田川伝いに山谷掘経由で至る方法がありました。そのため、吉原通いを別名、山谷通いとも言ったそうです。船を使う方法は贅沢とされ、お金持ちだけに許されたお大尽遊びだったようです。


山谷堀は、時代小説の中では度々登場します。池波正太郎著「徳どん、逃げろ」(剣客商売(七)に収録、新潮社)の中では、盗人に間違われた下っ引の徳次郎が、気の良い盗人の八郎吾に、山谷堀に近い料亭に誘われる場面で登場しています。


山谷堀が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「梅雨の柚の花」(剣客商売(七)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「秘密」(剣客商売(九)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「小判二十両」(剣客商売(十一)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「逃げる人」(剣客商売(十二)に収録、新潮社)

山谷堀公園(旧今戸橋付近) 東京都台東区浅草7-4

東京メトロ銀座線・都営浅草線 浅草駅から約900m 徒歩約12分


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