黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

則天武后

2006-09-08 23:51:31 | 歴史
武即天(則天武后)とは中国王朝で唯一人の女帝です。
西暦690年9月8日に武后は実の息子である
唐王朝の皇帝睿宗から帝位を簒奪して新たに周王朝を
開きました。

世界史上でもまれに見る女性による権力奪取であり
しかもその過程やその後の体制が非常に暗黒的で
あったことも特筆されます。

武則天は唐王朝第二代皇帝太宗の後宮女官でしたが
太宗死後に女官は尼寺に入るべきところを三代皇帝の
高宗の寵愛を受けて、やがて武則天は自らが皇后と
なるために謀略をもって皇后と妃を殺して皇后となります。
その過程で敵対的な唐王朝の高官大臣たちも死に追いやられます。

やがて夫帝である高宗を凌ぐ勢威をもつようになり高宗の
死後は唐の親族を次々と攻め滅ぼしてやがて2人の息子から
帝位を奪って自らが帝位につきました。息子たちは遠方に
追いやられます。

皇帝となった武則天は密告を奨励し獄吏を重用して暗黒政治を
始めます。その治世は評価される面もありますが晩年には
いかがわしい僧侶や若い童子を寵愛して政治が乱れはじめて
やがて唐王朝の復活を望む勢力によって退位を迫られて
かつて帝位を退かせた息子に帝位を譲って最期は宮殿の一室に
軟禁されてこの世を去りました。

世に女傑とよばれる人物は数多いですが、武即天に比肩する
ほどのスケールの壮大な人物はいないでしょう。
ここらへんの史実をドラマなどにいたら大変興味深く見れると
思います。

コメント
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