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黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

聖徳太子御廟 叡福寺 参詣

2009-11-29 11:16:51 | 聖徳太子巡礼
施福寺を出て、次に向かうのは西国第五番の葛井寺です。国道170号線を北進していると「喜志」という
地名の表示板が見えてきました。喜志・・・喜志・・・、ん~何か聞き覚えのある地名やな~・・・と
考えていると、思い出しました。喜志は聖徳太子御廟のある叡福寺への最寄り駅の名前!・・・ということは
叡福寺はこの近くか? それでナビで調べてみると、その地点からわずか5kmほどの距離。これは参詣しなきゃ!
ということで急遽予定を追加して叡福寺に向かいました。では参拝記を。前回の参拝記はこちらで。

叡福寺の最寄り駅である近鉄喜志駅の周辺は一般的な商店街で人や車の往来が多い街である。以前訪れた
時にはだんじり祭の最中で勇壮なだんじりが駅前に繰り出していた。だんじりは岸和田のが有名であるが、
その周辺地域でも同様の山車が出る祭りが多くあるみたいだ。駅前には「聖徳太子磯長御廟」と刻まれた
立派な石柱が建っている。斑鳩のJR法隆寺駅前にも同様に「聖徳太子御旧蹟」と刻まれた石柱があるが、
どちらも聖徳太子ゆかりの地であることへの誇りがあらわれている。

喜志駅からは巡回バスが出ていて、これまでの参詣ではこのバスに乗車して叡福寺に向かったのだが
今回は自家用車。喜志駅あたりから数分して太子町内へと入りやがて叡福寺の多宝塔(重文)の相輪が見えてくる。
自家用車は門前脇駐車場が無料で利用できる。駐車場のみならず境内も開放されている。


南大門をくぐると広い境内一面に白砂がきれいに敷き詰められていて、いささか遠慮気味にその上を歩き
境内を進んで、まずは太子の本地仏である如意輪観音を本尊とする金堂や太子を本尊とする聖霊殿にお参り、
最後に正面奥の御廟所を参拝した。境内では植木職人さんが剪定をしていて、敷き詰められた白砂は
掃き清められている。美しく整えられた境内は聖徳太子御廟を守護するという叡福寺の務めの気持ちが現われて
いるようで、参詣する者にとってもある種の心地よい緊張感をもたらすのである。


叡福寺と道を挟んで正面の向かい合わせに新西国霊場札所である西方院がある。太子遷化の後に
3人の乳母たちがこの地で太子の菩提を弔ったという。


叡福寺のある太子町の東方は奈良県との県境で斑鳩とは直線距離にして10km超ほどである。
また北方には羽曳野・藤井寺・八尾があり旧国名では河内国だが、かつて蘇我氏と敵対した物部氏の
本領地があったため、両者の戦場ともなり、その由縁から太子ゆかりの寺院も多く点在する。
上之太子の叡福寺、中之太子の野中寺、下之太子の大聖勝軍寺をはじめ、蘇我稲目が建立したと
伝えられる西淋寺や菅公との縁もある道明寺などもこの地域にある。太子との結びつきが強い地域である。

参拝日時:平成21年11月28日(土)午前10時半~午前11時

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鶴林寺~播磨の法隆寺・刀田の太子~その3

2009-06-28 12:41:58 | 聖徳太子巡礼
鶴林寺の有名な仏像に「アイタタ観音」の愛称のある聖観世音菩薩像が宝物殿に安置されています。
「アイタタ」とは「あー痛たたーっ!(><)」なんですが、この名の由来はその昔この仏像を盗んだ男が、
金銀でできた仏像だと思って見たところ銅造だったもんで腹を立ててかなづちで壊そうと(←無茶しよんな)
腰のあたりを打ったところ仏像が「あー痛たたーっ!刀田へ帰えろー」と声を発したため、
泥棒の男は驚いて(←そりゃ驚くわな)この仏像を鶴林寺へ返して改心したという伝説です。
ちなみにこの聖観音像の腰が大きく曲がっているのはかなづちで打たれたからだそうです。
実はこの仏像は実際に戦後に盗難にあっていまして、発見されて戻りましたが一部が損壊していた
そうです。犯人は伝説のように改心したんでしょうかね?

白鳳時代の面影を残す重要文化財の聖観音立造は表情こそ違えど法隆寺の「夢違観音立像」に通じる
ものがありますね。この聖観音像の写真はこちらで。

では、境内の写真をもう数枚。大講堂・常行堂・三重塔。


太子殿から三重塔を見る。


鉄扉が「卍」ですね。特注かな?


あとは新薬師堂にウインクする仏像としてトリビアの泉に出た摩虎羅(まごら)像などもある鶴林寺。
そう大きくない境内ですが見所満載なのでおすすめです。

さて夏本番も間近いですが、夏の酷暑の中での寺院参拝は相当キツいのでしばらくは控えます。
秋には再び西国三十三所のご開帳も順次行なわれます。しばし休止です。

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鶴林寺~播磨の法隆寺・刀田の太子~その2

2009-06-22 20:34:08 | 聖徳太子巡礼
昨日の続き・・・

鶴林寺の境内はさして広くはないですが、多くのお堂があってそのいずれもが、重要文化財や
兵庫県の指定文化財などになっています。

天台宗では重要なお堂である常行堂。平安時代の建立。重要文化財。


護摩堂。室町末期、永禄6年(1563)建立。重要文化財。


鐘楼。室町中期、応永14年(1407)建立。重要文化財。


三重塔。室町時代建立。県指定文化財。


観音堂。江戸中期、宝永2年(1705)建立。


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鶴林寺~播磨の法隆寺・刀田の太子~その1

2009-06-21 12:17:18 | 聖徳太子巡礼
書写山を出て車を走らせること約40分で兵庫県加古川市にある鶴林寺に到着しました。
聖徳太子霊場第27番、その他にも新西国霊場や西国薬師霊場の札所でもある鶴林寺は
その寺宝の多さから「播磨の法隆寺」「西の法隆寺」とも異称される古刹です。寺伝では
聖徳太子がこの地に隠遁していた高句麗の僧恵便のために建立した寺と伝えますが、
この地に太子の領地があったようで太子との縁が深い地域です。

鶴林寺のまわりは「鶴林寺公園」として整備もされていて、門前の駐車場も無料で駐車できます。
その駐車場から歩いてすぐのところに三重塔と山門が見えます。僕は平成18年以来3年ぶり2回目の参詣です。


山門から直進すると大講堂(本堂)です。ご本尊は60年に1回のみご開帳される薬師如来。
室町時代、応永4年(1397)の建築で国宝です。堂内は入堂可。


この大講堂から見て左手に桧皮葺の「太子堂」があります。平安後期の建築でこれも国宝です。ご本尊は釈迦如来。


ここでこの日2回目のラッキー。実はこの太子殿は普段は入堂できませんが、6月末日まで
開扉されていて拝観が可能でした。前回参拝の時はもちろん入れなかったので、今回はじめての
拝観となります。今では肉眼では確認できない壁画があり、また右手の壁には御簾が掛けてありましたが、
その壁には太子の尊像が描かれているそうで中世には信仰の対象となっていたそうです。
その壁画の尊像も重要文化財です。この他にも境内やには多くの文化財指定の寺宝がありますが次回に。

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明日香村を歩く

2009-05-06 08:50:39 | 聖徳太子巡礼
明日香村に観光に来た人のほとんどは飛鳥駅前などのレンタルサイクルで
自転車を借りて明日香村巡りをするのが一般的みたいです。
みんな、颯爽とペダルをこいで遺跡・寺院巡りをしていましたよ。

そんな中、僕は歩き。少々曇天だけど気温は20度を超えて暑い。
橘寺を出て次は飛鳥寺を目指します。飛鳥寺は蘇我馬子による創建で蘇我氏の氏寺です。
創建当時は「法興寺」という寺名でした。平城京遷都とともに法興寺は平城京へと移り
元興寺という寺名で法灯を現在まで伝えています。

飛鳥大仏と称する日本最古の丈六金銅釈迦如来像が本尊です。この釈迦如来は平城京
に移らずにこの飛鳥の地に残りました。


残念ながら飛鳥寺はここまで。受付に列ができるぐらい人の数が多くて、狭い堂内が
人でごったかえしている状況が容易に想像できましたので、今回はパスしました。

そして飛鳥寺を後にして、田園地帯を飛鳥駅に向かって歩きます。
途中には「伝板蓋宮跡」がありました。飛鳥の地は推古天皇以来持統天皇まで
約100年間、宮都が置かれて宮殿も数ヶ所造営されましたが、その遺跡はどれも
確認されていません。そのうちこの「伝板蓋宮跡」はこの地に板蓋宮があったであろうと
する伝承を元に発掘調査が行われて写真のような遺構が発見されました。
しかしこの遺跡は板蓋宮ではなくて、より新しい宮殿遺跡だと推測されるので
「伝板蓋宮跡」とされています。

伝板蓋宮遺跡。向うにあるのは甘樫丘。




このあと近鉄飛鳥駅に入り、次の目的地である壺阪山へと向かいます。
飛鳥駅の名所案内板。多いっ!




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