『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月5日  飯野八幡宮の「焼大黒」

2008年08月18日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月5日の項には、
次のような記述がある。
飯野八幡宮の「焼大黒」に関するものだ。

五日 飯野八幡宮ノ宮番ヨリ大黒像ヲ摺出ス。
此板木ハ、昔時、本社回禄ノ災ニ罹リシ時、
焼焦(ヤケコゲ)タレドモ、
其像猶依然タルヲ以テ世ニ焼大黒ト称シ、防火符トス。
懇望ノ者ハ錢十二文ヲ賽シテ之ヲ受ク。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦1月5日 
飯野八幡宮の宮番が、人々に大黒様の御姿を刷った御札を配る。
これに用いる版木は、
むかし、飯野八幡宮が火災にあった際、
一部が焼け焦げたものの、無事であったので、
それ以後、これを世間の人々は「焼大黒」と呼ぶようになり、
これで刷った大黒像の札は
火災除けの御札として多くの人々の信仰を集めることになった。
この御札は、欲しい者には12文で譲り渡された。


ちなみに、12文というのは、
現在の500円ぐらいに相当すると思われる。
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