前回に引き続き、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元
(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけての、いわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
『磐城誌料歳時民俗記』旧暦7月6日の項には、旧暦7月7日の七夕を迎えるための準備について、次のような記述がある。
六日 七夕ノ歌ヲ書キ、竹梢ニ着ケ、立ル。農家ニハ小麦藁ニテ馬ノ形ヲ作リ、厩ヤノ上ヘアゲ、又ハ門口ニ建テ置クモアリ。是ハ盂蘭盆ノ聖靈、是日ニ冥途ヲ首途(カドデ)シタマフ迎馬ナリトイフ。妄誕甚シキ事ナレドモ、古ノ茅巻馬ノ遺風ナラン。
これを現代的な表現に書き改めると次のようになるかと思う。
旧暦7月6日 短冊などに七夕の歌を書き、それを七夕の竹の枝に結び付け、その竹を門口などに立てる。また、農家では小麦の藁で馬(藁馬)を作り、馬小屋の屋根に投げ上げたり、門口に立てる。藁馬というのは、お盆にやって来る祖霊を天国まで迎えに行く役割を担っていると言われている。これはいかにも荒唐無稽な説であるが、日本で古い時代に作られていた「茅馬(ちがやうま)」の名残りなのかもしれない。
七夕に麦藁で「藁馬」を作るという風習も、現在、いわきでは、ほんの一部の地域を除き、ほとんど見られなくなってしまった。
(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけての、いわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
『磐城誌料歳時民俗記』旧暦7月6日の項には、旧暦7月7日の七夕を迎えるための準備について、次のような記述がある。
六日 七夕ノ歌ヲ書キ、竹梢ニ着ケ、立ル。農家ニハ小麦藁ニテ馬ノ形ヲ作リ、厩ヤノ上ヘアゲ、又ハ門口ニ建テ置クモアリ。是ハ盂蘭盆ノ聖靈、是日ニ冥途ヲ首途(カドデ)シタマフ迎馬ナリトイフ。妄誕甚シキ事ナレドモ、古ノ茅巻馬ノ遺風ナラン。
これを現代的な表現に書き改めると次のようになるかと思う。
旧暦7月6日 短冊などに七夕の歌を書き、それを七夕の竹の枝に結び付け、その竹を門口などに立てる。また、農家では小麦の藁で馬(藁馬)を作り、馬小屋の屋根に投げ上げたり、門口に立てる。藁馬というのは、お盆にやって来る祖霊を天国まで迎えに行く役割を担っていると言われている。これはいかにも荒唐無稽な説であるが、日本で古い時代に作られていた「茅馬(ちがやうま)」の名残りなのかもしれない。
七夕に麦藁で「藁馬」を作るという風習も、現在、いわきでは、ほんの一部の地域を除き、ほとんど見られなくなってしまった。
小麦の藁で作った馬ですか
茄子に割り箸を刺して、馬の形にして
お盆にお供えするのは今でも見たことがありますけど…
風流ですね
キュウリとナスに割り箸を刺して、
馬や牛を形どって上げますよね。
これも藁馬と同じ意味合いを持つのだろうと言われていますよ。
私が暮らすいわきでは、七夕も、お盆も月遅れで行われます。
ですから、七夕は8月7日、
そして、お盆は8月13、14、15日です。
いわき市平の七夕祭りはなかなかのものです。
どうぞ、皆さん、お越しください。
その行事や仕来りには、どういう意味がこめられているのか、
そういうことを知らずにするのも、
まあ、いいのでしょうが、
でも、謂われや理由、理屈を知って
そういうことをする方が、やっぱりいいですよね。
このブログ、とても役に立ちます。
単なるトレビア、知識にするだけではなく、
私自身の血や肉にしたいです。
毎日を豊かに生きるために・・・。