『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

いわき市小川町上平の東小川熊野三所権現

2007年04月05日 | 歴史
いわき市小川町上平に東小川熊野神社がある。
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が

明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』には、
熊野神社の例祭が旧暦の3月15日に行われていたとして、
以下に引用するような記述がある。
また、筠軒の筆は、別当、光明寺のこと、
修験の年行事のこと、
山伏の「回り旦那」(「かすみ」)のこと、
修験年行事である越田和氏と上平氏の争いのことなど、
さまざまなことに及んでいる。

十五日 東小川熊野三所権現例祭。
東小川熊野ハ城北二里十甼許、上(ウハ)平(ダイラ)村ニアリ。
治安三年、紀州熊野ノ神ヲ勧請スル所ナリトイフ。
別當光明寺、修驗ニテ、岩城ノ年行事タリ。
古文書数通ヲ藏ス。暦應二年三月一日、権少僧都隆賢ノ譲状アリ。
隆賢ハ郡主岩城清胤ノ子ナリ。
光明寺ノ主トナリ、修驗道ヲ修スルヨリ、子孫世々熊野別當タリ。
維新後、復飾シテ上平ヲ氏トス。猶此祠ニ奉仕ス。
因ニ録ス。光明寺ニ藏スル古文書ノ中ニ、文安三年、
三坂七郎信忠ヨリ上平式部ヘ贈リシ状ニ
「年行事職ノ内、北方正眞仕配ニ預リ置申候。
已来、上平ヱ不届キ成儀仕候ハヾ、右之霞御取カヘシ云々」トアリ。
按ニ、霞トハ山伏ノ回リ旦那ヲイフ方言ナリ。
枕友ニモ、某山伏ハかすみヲ多ク持チ居ルナドイフト見ユ。
又、慶長十八年、岩ケ崎修驗年行事越田和ト
岩城年行事上平ト両郡霞下ノ争論起リ、
公事ニ及ビシ事、其頃ノ文書ニ見ユ。
霞下争論ハ即得意塲ノ争ヒナレバ、
かすみトイフ事、古ヨリ称セシ詞ナラン。

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