ヒゲ社長の徒然日記

(有)西工務店ヒゲ社長の、華麗で無謀なチャレンジ物語

いま確実に出来ること! vol.89

2011年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の雪の朝から、今朝の高霜と続き、気温も上がり快晴のいま(お昼過ぎ)となる。

まさしく三寒四温のここ斐川町であり、それはいっこうに構わないが、東北をいじめるのだけは、やめてほしい。

寒気なんぞが、いま行くべきではないし、しつこく揺らすのもいい加減にしてほしい。

ましてや、原発なんぞ・・・

とんでもない災いが日本中を震え上がらせた。

もちろん、一週間経過したのに、何も解決していないし、悪化している事実もある。

それにしても、木造の建築物とは、あれほどたやすく水に浮き、さらわれ、瓦礫になる物なのか。

確かに、あの津波のエネルギーは爆大だったとはいえ、残ったのは鉄骨の骨組みと、コンクリートの建造物のみ。

百年なのか千年なのかは知らないが、確実に起きるプレートのひずみによる災害。

そこに生活していた人々の命を含め、すべてを洗い流してしまった。

「家」はそこに住む人々の生命を守るシェルターとしての機能も持たなくてはいけない。

決して、装飾や、快適さだけを求めてはいけないのだ。

かといって、大地震にも大津波にも負けない、核シェルター並みの機能を持たせれば、我々一般市民には高価すぎて、手も出せなくなる。

凡人の私達には、いまは何も出来そうもないが、とりあえず出来るのは、危険な場所には家を造らない事ぐらい。

危険でない場所が何処なのか、日本に有るのかないのか、それさえも解らないまま・・・

いま確実に出来ること!

被災地に出かけるすべも、物資を送る手段も何も持たないが、被災していない我々一般国民が、唯一出来る事。

東北を、関東を応援できる唯一の、いま出来ること。

それは「義援金を送ろう!」と叫ぶこと。

そして、小さな善意が集まれば、きっと日本を元気にしてくれると信じること。

仙台にいる義妹の家族は、奇跡的に全員無事を確認した。

足の悪い義父と同居であることと、海岸線から2.5キロに自宅が有るのをマップで確認したとき、無理だと思った。

身元確認だけでもしたいと、そんなあきらめも頭をよぎった。

三日間の音信不通は、さすがにこたえた。

避難所暮らしではあるが、生意気なメールが届くようになってきたのが、夢のようだ。

でも、そうでない家族がたくさんいることを、決して忘れてはいないし、忘れてはいけない。

暴動も、略罰も起きない国民性を誇るのもいいが、いまやるべき事はそんなことではない。

被災していない我々一般国民が、唯一出来る事。

それは、義援金を送ろうと叫ぶこと!!