ヒゲ社長の徒然日記

(有)西工務店ヒゲ社長の、華麗で無謀なチャレンジ物語

新潟県中越沖地震に思う

2007年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

台風4号が、この山陰には大きな被害も出さず通過してくれ、これでやっと太陽が拝めるかと期待していたにもかかわらず、毎日のように曇り空から肌寒い雨粒が落ちてきています。

先ほどネットで、天気図を見てみると、前線は再び南下し、梅雨が明けるのはもう少し先になりそうで、「夏と海」がとても恋しい私としては、今しばらく我慢の日々が続きそうです。

でも、これだけ日照時間が短くなると、農作物に被害が出そうで、農業従事者が多く、稲作にしても、野菜作りにしても、とても盛んな斐川町にとって、元気と陽気がとっても欲しくなってきたように感じていますが、皆さんはいかがですか?

それにしても、新潟・長野の大きな地震には、驚かされましたね。

特に新潟の中越は連続で被害に遭い、地震はエネルギーが一度放出されると、しばらくは落ち着き、次にエネルギーがたまる随分先の未来まで、当分はだいじょうぶだろうという、私の勝手な憶測は、みごとに崩れ去ってしまいました。

テレビ映像の中の原子力発電所が、本体ではないにせよ、施設内の一部から火災発生により黒煙を上げているのを見、思わず県内の鹿島原発の隠された活断層が、勘違いであって欲しいと、漠然と思っている自分がそこにいました。

ガスよりも、灯油よりも、安くて便利で安全なはずの電力が、こうした負の遺産と言われる発電施設のお世話になって作られていることを、もう一度考える機会を与えてくれ、決して忘れてはいけないと、警鐘を鳴らしているように感じました。

そして、無惨にもつぶれ、地面にひれ伏した古い木造建築物達は、“あるじ”を守れ無かっただけでなく、自らの脆弱さにより、“あるじ”の命を奪ってしまい、泣き伏しているように感じたのは、決して私だけではないでしょう。

100年掛けて育った木は、百年の耐力があるかもしれませんが、適宜な保守管理、健全な気候状態があってのことなのです。

しかし、いずれにしても、私達が今後手掛ける住宅は、“あるじ”の命を奪ってしまう弱さではなく、いかなる災難にも立ち向かい、そこに住む家族を守る「シェルター」としての役割を担うだけの強さを待たせなければならないと、改めて感じました。

いにしえの時代より、人が家を欲するのは、危険な外界の環境から、家族を守るためであった事を、決して忘れてはいけません。

決して・・・

<SCRIPT Language="JavaScript" SRC="http://volunteer.yahoo.co.jp/donation_detail/donation_detail.js#1301004"></SCRIPT> <NOSCRIPT>Yahoo! ボランティア募金</NOSCRIPT>