自己中心の(老成)か無責任かボケか

「棄権は無責任」のマスコミの論調がある一方「参議院選挙の最大の争点は投票率」と言う論者もいる。

自分は後者の説に近い。

有権者は20歳以上にしか与えられていないのだから、日本の将来を考えたら、参政権の無い20歳に至らない子供や若者の為に選挙権を行使するのは有権者全体に課せられた責任だろう。にも拘らず、幾多の選挙を繰り返した結果が今日の日本の姿である。現世代では返済できない借金の山を作るだけでなく、異常気象を起こすほど地球を痛め自然を壊してしまった。一体選挙や投票も意味は何だったのか?

国民主権と大義は良いが、一人一人の国民はどれだけ直接社会の事を知ることが出来るだろうか。

お隣さんの事も隣りの街で起きている事も増して隣の国や地球の反対側の事は伝えられる情報無くしては知る事はできない。
結局は情報機関による報道(ほとんどはマスコミ情報)に依る以外に知る術はない。公共放送の代表のように言われるNHKですら経営のトップは民間の大企業からの横滑りを継承させ、まして新聞社や民間の放送局はスポンサーの支持なしには成り立たない情報産業であり利潤を追求する企業体であって公正さを売る企業ではない。

そこから提供された情報によって国民は社会を知り社会的行動をするのであって投票行動は同じ文脈の中にある。

その結果が取り返しの出来ないような状況を作った。

実態は、政治のを選択した結果のように見えるが、実際はは与えられた情報を選択した政治責任以前ににマスコミの情報提供の責任が横たわっているよに思えてならない。

人の適切な行動も不適切な行動も情報如何にあると考えるのは人の暗黙知(自然知)ではないか。

若者に棄権者が多いと言われるが私は72歳になってやっと気が付き、その域にたどり着いたのかもしれない。

自分本位に(老成)したのか無責任なったのかボケが始まったのかは迷っているが、家族から(ヒンシュク)をかっている事だけは事実のようだ。

 

 

 

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