世界はミュージカル

長らく世界の舞台は超・超大国アメリカのワンマンショーのようだった。今もアメリカが大国であることは変わりないが、アメリカの頭の超の部分が1個取れた分、舞台には多くのプレーヤーが登場するようになった。BRICSやアラブの春のような中東から北アフリカ一帯の動きが目立ってきた。地上全体に明かりが灯されてきた感じで、燎原の火はとことん拡がってほしい。

舞台の隅々まで明るく照らされ、世界の国々がそれぞれの衣装を身にまとい、それぞれのリズムを踏んで踊りだし大合唱になったら、どんなに素晴らしいだろう。

 授業料を払いぎくしゃくしながらその舞台へと近づくに違いないが、できれば授業料は少なく、あまり遠回りせずに事を為せばいいのにとは思う。

 待て待て!

    そんな舞台に君は間に合うんか?

      そうだよ、 今の世界を(森のようちえん)にしてしまえば、出来上がった舞台よりもっと深みのある舞台に君が登場できるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

何事もやりすぎは良くない

戦後、日本は自由貿易を経済運営の中心に据えて走ってきた。

得るところも大きかったに違いないが、失ったものも少なくない。現時点で、プラス・マイナス計算はどうか?

 市場を広げることは事態は間違っていないが、国としての産業の自立から言えば自国の産業の保護、取り分け食糧の自給体制は経済成長以前の経済の基盤として確保する必要がある。

 食糧自給率の低下、膨大な財政赤字に至った今日も、社説は『攻めの協議を急げ』と政府を煽り、(消費者の利益)の名をかたり世論形成に努める。

 これはマスコミのやる仕事だろうか?

これを言わせて利益を上げる人たちはこれでいいが、現に不利益を被り将来ツケを負わされる多くの国民や若者の代弁はだれがするのか?

 経済の全体的な現状が未だ語られない。 バランス感覚を失したマスコミ。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

希望

 世界のグローバル化は見えやすいが、多様化は見えにくい。それでも、フクシマの原発事故は世界の国々に多様な波紋を描いて見せてくれた。

 日本でも、孫氏や多くの知事が原発離脱へ向け地域の現状の違いを生かした太陽熱発電に傾注したのは、多様化を示す大きな出来事である。

 不幸な事故が希望を生み出した久々の良いニュース。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )