小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

秋の風景

2005年10月31日 18時14分20秒 | 新潟県中越大震災・地震
車を走らせていて「アレ?」と思う。
このあいだまであった家が週末のうちに解体されてなくなっていた。
一方窓の外に大根を干している家を見かけるようになった。
あったかくて大好きな風景だ。

震災直後に田麦山のおばあちゃんが漬物をつけていた。
地震で家に戻れず倉庫に住んでいるというのに。
そこでの暮らしは続いてる。
なにがあってもこれはオラの仕事だという村の人の強さを感じた。

そろそろ冬支度をしんばというにおいがする。
船岡山の木々も色づきはじめた。

今夜また大学イモのリクエスト。
チビの掘ってくれたさつまいも。
黒ごまがうまいんだよね。
でもあの油と砂糖がぷつぷついってるのをみてるとこわくなるのであたしゃパスw

居場所がない!

2005年10月31日 00時43分32秒 | 新潟県中越大震災・地震
去年の今頃は夫の実家に一時避難していた。
夫の両親も川口で被災しており和南津トンネルの手前で私たちと同様に車中泊をしていた。
携帯の電池切れで夫の両親との連絡は途絶え、どこで避難しているのか、いつ自宅に帰れそうか、全く連絡がとれなくなった。

偶然にも震災の翌々日にお互いに同じルートでそれぞれ逃げ帰った。
和南津トンネルが崩落したため一旦長岡に出て柏崎にまわり小国、十日町を経て山を越えるという大廻りを余儀なくされた。
6-7時間はかかっただろうか。

小千谷の自宅が気になって仕方ない私。
でも義両親は自分たちがどれほど大変だったかを茶のみ仲間に何度も何度も大げさに話すばかり。
夫は仕事でいない。
茶を飲みにくるのは親戚のじーさんばーさんたち。
私は気持ちのやり場がなかった。
誰か「若い人」と話がしたい(笑)

ひとりになりたかった。
お茶に誘わないで欲しかった。

こうるさい親戚のじーさんがきてるとき夫がいない席で
「この際同居を考えたらどうだ」と話をもちかけてくる。
違反だろ、それ。
見舞金を差し出したあとに夫のいない席で言うな。
うんうん・・・とうなづくだけの義両親。
子供が「めじょげ(かわいそう)」だから?
じょーだんじゃない!!
それとこれとは違うだろー!!

家に帰りたい、家に帰りたい、はやく小千谷にかえりたーーーい!!!

きちゃなくておんぼろの我が家だけど、あたしゃ自分ちがいいのだ!
小千谷の友達と話がしたかった。
早く家を片付けたかった。
世話になるということの居心地の悪さ。
居場所のない空間のストレス。
悪い嫁ですんません。
でもあたしそれは譲れませんからっっ。

ブログ開設一周年

2005年10月29日 23時16分57秒 | 新潟県中越大震災・地震
本日10月29日。
ブログ「小千谷から」を開設していただいて一周年になります。

「家族そろって食事ができること。ありがとう。
おいしいねと笑って食べられること。ありがとう。 」

からはじまるこの日記は、別の会員制サイトに一年前の今日、避難先の夫の実家からなにげなく書き込んだのが発端でした。
「この日記をみんなに読ませてあげたい。会員以外の人にも読んでほしい。僕がブログを立ち上げるので掲載していいですか?」と持ちかけてくださったのがネット仲間のドラちゃんでした。

「小千谷から」という簡潔明瞭なタイトルをつけてくださって、検索エンジンでもすぐにひっかかるようにしていただきアクセス数は急激に増加。
11月初旬に関西のある新聞社から取材依頼がきたのが反響の大きさを実感するはじめての出来事でした。
その直後には小千谷市内に勤務されておられる方から心のケアの専門家の先生をご紹介いただいたり、全国の方々からもたくさんの応援メッセージをいただくようになりました。

そのネットワークはとどまることを知らず有識者からマスコミからボランティアから一般の市民まで。日本だけに限らず海外までも。一年経った今でもどんどん広がりをみせています。
私のような普通の主婦が震災をきっかけにここまでのネットワークを築けるようになったのは、このような縁の下の力持ちがいらしたからに他ならないのです。

このような場を授けてくださったドラちゃんに心から御礼申し上げます。
そして「小千谷から」をずっと応援してくださったみなさま。
本当にありがとうございました。

震災直後から感情的に暴言を吐いたり批判をしていたにも関わらず、アラシ(サイトを荒らす者)が全くこなかったのは、ここに来られる方の意識レベルの高さがアラシを寄り付かせなかったのだろうと思っています。

みなさんのおかげでどれほどのものをいただいたでしょうか。
感謝してもしきれません。
コメントをしてくださった方も
しなくてもちょくちょく見てくださっていた方も
本当にありがとうございました。

「小千谷から」を一年間続けてこられて幸せです。
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

トラウマと闘う日々

2005年10月29日 09時41分25秒 | 新潟県中越大震災・地震
明け方の地震でおにいが飛び起き「あーー!!あーー!!」とおびえて泣いた。
おにいがこんなふうになるのははじめてだ。
チビの次はおにいなのか?!
やっと落ち着いたと思ったのに。
一年以上経ったのに。
子供の夜泣きには無反応だった夫もすぐに身を起こし、「だいじょうぶだよ。だいじょうぶだよ。」と声をかけていた。

近所の工場は土曜日の今日でも解体工事をしている。
「建物が何棟も何棟もつぶれている」という酷い景色を半年見ながら暮らしてきた。
「はやく片付けてほしい」とずっと思っていたしここがきれいになっていくのはうれしいけれど、その裏側では小さな揺れや騒音に毎日毎日耐えている日々だ。
大きい音を立ててゴンゴン!!と揺れるとき、わかっていても身体が「ハッ」とすることがある。
これが毎日毎日3ヶ月続くのか。
普通の工事の騒音や振動とは違う震災独特の苦悩がある。

自助 共助 公助

2005年10月26日 00時48分47秒 | 新潟県中越大震災・地震
一年前の自分と今の自分を比べてひとつだけお利口になったことがある。
それは「震災時に行政を頼ることはできない」ということがわかったことだ。
あの頃の私は「市民の私たちが困ってるんだから市役所がなんとかしてくれる」と思いこんでいた。
市の職員もみな被災者。大変なのはよくわかる。
でも、市でまわらないのなら県に国に自衛隊に「困ってます」って訴え続けてくれると信じていた。
でもそうじゃなかった。
そんな簡単なことじゃなかった。

なぜそこまで公助にこだわったのか。
それは私が小千谷の中でもコミュニティの希薄な地域に住んでいることと、まわりに頼れる親きょうだい親戚ってーのが全くいないから。
近くの親戚やきょうだいと連絡をとりあっている人たちのことがうらやましくてしょうがなかった。
どこの人も自分ちのことだけで精一杯。
遠くからポンと嫁にきた私。ひとりぼっち。
夫の親戚も小千谷じゃない。
電話は通じない。ラジオも欲しい情報は流していない。
となると誰と助け合う?っていう話。
そこで隣人がいちばん頼れるということを痛感する。
私と同じように遠くからここへポンと嫁にきた奥さんとかね。
極限状態で道路情報を共有しあい、どこでガソリンが買えたとか誰誰はどこに避難したよ、とかこれから先どこで避難するのか、などの情報を交換しあった。
震災直後に寄り合って助け合うことができるのは間違いなく遠くの親戚より近くの他人なのだ。

違う地域からポンと引っ越してきたお年寄り夫婦なども災害弱者だ。
とり残され感で孤独になるのは仮設住宅に限ったことではない。

あのとき知らない人同士で携帯の番号を交換しあって助け合った。
十日町が通れたらメールしますから!(実際は通じなかったけれど)
山でなにか困ったことあったら電話して!すぐに助けに行くから!
ライフラインが通ったら教えるから。
これ食べて、と冷凍していたお肉や魚やペットボトルに入っている水を置いていく。
ガスコンロもフライパンも「よかったら使ってね」とどこにも逃げずに車中泊をするという人のために置いてきた。

みんなそれぞれに避難場所を選択し、私たちは散り散りばらばらになった。

あのとき助け合った人たちともまた以前と同じようにドライな関係に戻った。
そしてまた雪が降れば助け合う。
ここぞというときに人間は捨てたもんじゃないんだよ、と都会暮らしで震災におびえているあなたに伝えたい。

そして行政に言いたいことは、
できないことはできないとハッキリ言ってほしい、ということ。
大体のメドがついたら市民に知らせてほしい、ということだ。

ありがとう。

2005年10月24日 00時01分31秒 | 新潟県中越大震災・地震
朝、家族みんなで総体に行って献花してきました。
5:56はチビがそのとき寝ていた部屋でみんなで黙祷しました。
(チビはふすまが二重に重なりあっているすぐ前で寝ていたので落下物に当たることなく怪我もなかったのです。)

電気がついててうれしいね。
ごはんが食べれてよかったね。
チビが元気になってうれしいね。
みんなでチビの笑顔をのぞきこみ、あーだこーだいって笑った我が家のメモリアルでした。

ありがとう。

震災を語る会

2005年10月23日 23時41分37秒 | 新潟県中越大震災・地震
黙祷のときからもう駄目でした。
こらえきれるはずもなく陰で涙しました。
土曜の17:56
おそらく毎年10月23日の17:56よりは第4土曜日の17:56のほうが心がざわつくのだと思います。

円になって外を向いて黙祷しませんか、という上村先生の提案を最初きいたときには正直びっくりしました。
そして、先生が本当に山古志や川口だけでなく他の被災地のこともちゃんと気にとめてくださっているということがよくわかる名案だと感動しました。
「震源地川口から、色々な被災地に向かって全犠牲者を想い祈りましょう」というその主旨は小千谷から参加した私の心を強く震わせました。

地震があったときに畑に避難するまでのことがフラッシュバックしました。
硬直して叫び続けるチビを夜中にトントンしてあやしながら自分も泣いたこと。
この「小千谷から」の読者のみなさんに励ましていただいて前へ前へすすめたこと。
いろんなことが走馬灯のように駆け抜けあふれ出しました。

みなさんに映像を見ていただく途中でももう駄目w
自分の作品で泣いてどーすんねんって話。
ナルちゃんもいいとこ。

けど、そのあとに拍手をいただいて、初めて出会った方の目が涙で潤んでるのを見たら、たとえ一緒に震災を乗り越えたというわけではなくとも共感できたのかな?ってやっぱり素直に嬉しかったです。

ほんとみなさんありがとうございました。
自己紹介も何もできないままの取り乱し隊長でごめんなさいでした。

これは個人でボランティアをされてる方のお言葉。
「ぼくらみたいな草の根ボラは大きいボラ団体との交流がないので、こういう会を開いていただけるのはとても嬉しい!」と。
そうですよね。
行政間の壁が厚すぎて、ボラ団体間のコミュニケーションが図れなかったことは震災の課題でしたよね。
本当に素敵な会だったと思います。

上村先生をはじめ川口町の企画商工課長の方、おいしい「ありがとう汁」を作ってくださった川口の方々、ご配慮くださったTenyのディレクター様、そして「震災を語る会」で出会えた皆々様、
本当にありがとうございました。
楽しかったです!

【'05かわぐち体験防災キャンプ】 どしゃぶりだったけど

2005年10月23日 22時25分42秒 | 新潟県中越大震災・地震
「ありがとうを川口から」のTシャツです。
大人のLサイズだったのでチビが着たらひきずりそうな長さ(^_^;)






Tenyの18時のニュースより。
3倍モード(6時間)で録りっぱで出かけたら、テープの最後のほうにすがるように映ってた!
みんなに見せたい!





ところがこの撮影の途中で一瞬にしてどしゃぶりに。
上の空撮は雨雲を心配してのとっさの仮撮りだったのです。






止みますように・・・スタッフは祈りながら雨宿り。






グランドでの撮影はあきらめ体育館に移動。
上村先生の提案で参加者全員で「ありがとう!」と声をそろえ、手をつないでバンザイをしたところを多くの取材陣に撮ってもらいました。
(私は動画に夢中。静止画はこれだけしか撮ってません。今日の日報の朝刊に載ってましたね!)

川口の住民の方がたくさん集まってくださってました。
ジンとしました。

撮影のときに限って大雨が降ったけれど、私にとっては忘れられない思い出になりました。
悔しいだろ?
だったらまたこんな企画を立てて集まってくれよ、と
中越地震を忘れないでくれよ、と空の神様にいわれてるような気分になりました。

みなさまお疲れ様でした。
私からはこの企画に「ありがとう」です。

【心のケア】チビの心が復興した

2005年10月22日 04時14分38秒 | 新潟県中越大震災・地震
朝起きると家族には「オハヨウ♪」と言うチビも、先生に「おはようございます」はどうしても言えませんでした。
それが地震後はじめて・・・。
保育園の玄関で大きな声で「おはようございます!!」が言えました。
そして、家を出る前に「ボクきょうげんかんでバイバイできる!」と宣言し
地震後はじめて保育園の玄関でニコニコしながらバイバイしました。

涙がぼろぼろでます。
チビの心が復興しました。

余震のばかやろうに10ヶ月近く脅かされ続け、発熱したら今でも夜中にうなされたりするけれど、まわりのみなさんの温かい愛情でここまでこれました。
特に仲良しのお友達や担任の先生には本当に感謝です。
チビがさびしい思いをするたびに面倒みてくれたおねえちゃんおにいちゃん。
「泣かないで。いっしょにあそぼ。みんなチビくんのことが大好きなんだよ。」と声をかけてくれた陸くん。

みんなみんな本当にありがとうございました。

中越地震から一周年です。
チビにとっては心の病気とはさよならのセレモニー。

今日は天気予報は雨だけど心は晴れで頑張ります。

NSTでは江口洋介のTV番組は10/29(土)

2005年10月20日 17時43分01秒 | 新潟県中越大震災・地震

『江口洋介が追い続けた1年
中越地震の町に咲いた超特大花火~花火の数だけ涙があった~』


NST(地元フジテレビ系列)では来週末の
【2005年10月29日(土)14:30~16:00放送】
とのこと。(木村さん情報ありがとうございます)
新潟以外は22日(土)放送みたいなので混乱しちゃったぜ。

よっしゃ~!
これで迷うことなくイベントに行ける~!

ありがとうビデオ完成~♪

2005年10月20日 11時22分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
やーーっとイベントに提供する映像ができました。
細かいアラが目立つのでちょっとモヤモヤするけど。
雪氷災害調査検討委員会のフォーラムのときの流しっぱ映像よりは進歩したと思いますw
技術より心!
これは某ミクシのあるコミュで知り合った某テレビ番組制作会社ディレクターのお言葉。
そーっすよねそーっすよね?
動画編集ソフトの本見ながらがんばってたけどわからんものはわからんのよ。。
なので、わかんなければ聞くw
マイミクでもないのに私のぶしつけメッセージにご親切に回答してくださりどうもありがとうございました。
(モザイクのかけかたを教わったww)
あとはね、アドビのサポートセンターの方!
めっちゃ親切で感動すらおぼえました。
DVDへの書き出しができなくてヒーヒーいってた私に「できましたか?」って翌朝わざわざ電話してくれたのよ!!
んもーうるうる。

逐一教えてもらって無事解決することができたあのときのソーカイ感は出産並みのwひどい便秘がなおった系かも(^_^;)

あーーすっきりすっきりー!!

DVDは、昨日それぞれの実行委員長 星野ゆうまさん(中越地震復興の集い)上村先生('05かわぐち体験防災キャンプ)のところに手渡してきました。

さっきやっとタイムカプセル用の往復はがき5枚買いに行ったよ。
そしたら星野さんがはがきの回収にきてた(爆)<おつかれさま!

22日、イベントいろいろ重なるけど、それぞれが成功したらいいね!
(江口洋介のテレビはリアルタイムではみれません~~w)
あとは天気だー!
晴れてくれー!!

車検もすっかり忘れてて、今やっと納税証明書をさがしあてた。<発掘作業に近いw
そして学校行事は続く・・
秋の体験学習、いもほりえんそく、バス遠足、緑鳥子供まつり(文化祭)、ドッジボール大会~\( ~∇~)/ 

さーてさてさて無駄に忙しいけどがんばろうねー!


振り出し

2005年10月17日 18時32分39秒 | 新潟県中越大震災・地震
うわぁっぁぁぁっぁぁぁ!!
ずれこんだ!!
映像と音がちょっとずつずれたぁぁ。
上書きで消えたのもある。
泣き目。

でもご飯作らねば。
今日はおでん。
煮えたらとっとと食ってくれ。
かーちゃんはご飯いらない。PCにはりつきたい。
頼む。今夜は話しかけてこないで~(願)

ブラックジャック見てて。
コナン見てて。
音読の宿題は出てないだろうなぁ?w

いや・・・
やっぱやめたww
子供が寝てからがんばることにした。
今夜こそ集中するぞー!

風と土

2005年10月16日 00時00分53秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨日はじめて小千谷市の職員の方からメールをいただきました。
「私は所詮よそもの。どんなにがんばっても生粋のおっぢゃんしょにはなれない。。」と最近は落ち込んでいたので、【私は小千谷市民であり、市の職員ですが、ママさんの言葉には共感することがとても多いです】と言ってくださったのが本当に嬉しかったです。
周りの目がやたら気になり最近は思ってること(特に負の部分)をブログに素直に書けませんでした。
雪知らず 小千谷知らずのくせに言いたいこと言いやがって・・って鼻つまみモンだと思われてるだろうなぁ、とずっと思っていました。

その方から「これからも思ったことを遠慮せずドンドン伝えていってください」と励ましていただき本当に嬉しかったです。

躊躇していたこと、勇気を出して前に踏み出せそうです。
どうもありがとうございました。

風の人(よそもの)と土の人(地元の人)が融合し合ってはじめて「風土」ができる。
いい話ですね。
Tさん(名前出したいけど一応配慮)→かわちゃん→おやぢママ という流れで「へぇ~~。いい話だぁ~!」とうなづいた一件でしたw

→風と土のカルテ

関心あるかたはこちらへどうぞ!

土曜の夕方

2005年10月15日 17時32分09秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨日は親子丼だった。
普通に親子丼を作った。
私は意識してなかったのに家族が言う。
「あの日も親子丼だったね。」
「食べる前に地震がきたんだよね。」

錦鯉の品評会の看板を今日町で見かけた。
日が短くなり長袖の人が多くなり、朝チビを送りに行くときにはキンモクセイのいい香りがする。
うれしいはずの晴天の日も。
きっと身体が何かを感じてる。
小千谷の10月はたとえカレンダーなんかなかったとしても、きっと心がざわつくものがある。

土曜の5時。
なにもイベントのない普通の土曜の夕方。
あのときもひとりで育児してたっけ。

子供は今友達の家に遊びに行っている。
あんなにひとりきりになりたかったくせに。
涙がでてきてどうもダメだ。

震災を語る会で

2005年10月14日 01時42分54秒 | 新潟県中越大震災・地震
一周年に向けて人々の関心が中越に向けられている現在。
今はいいよ。
10/24過ぎてみ?
コンサート会場から客がどっと帰るように関心は一気に薄れていく。
そのときの孤独感ってどんなだろう。

ましゃのライブから半年経つけどいまでも余韻がある。
私も彼のように人の心に残るようなふんわりしたやさしい気持ちになれる作品が作れればいいな、と思う。

今しかない。
伝えたい。
テレビやネットで流せないものだからこそ、同じ空間で気持ちを分かち合いたい。
それが「集う」ということ。
行政や団体の枠のないところで、しがらみも何もないところで、人間対人間として向き合っていけたらいい。

あのときホントはこんな気持ちだったんだということ。
今はこんな気持ちだよってこと。
吐き出して励ましあって笑いあって泣いて、そして前にすすめればいい。

もうすぐですね。
また新しい素敵な出会いがあると信じています。
ラストスパートがんばりましょう。

→震災を語る会