小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

池ケ原雪まつりとすいか

2007年07月30日 11時54分34秒 | 小千谷(新潟)
先週末、池ケ原雪まつりが開催された「雪蔵の里」には今回はじめて行った。
ここには雪をエネルギーとして利用している巨大貯蔵庫がある。

写真の土色をした部分は全部もみがら。
その下に雪のかたまりがあって、貯蔵庫を雪が覆うようになっている。




雪まつりの日にこの巨大貯蔵庫に入れてもらえるというので、体験してきた。
(写真)雪蔵入り口に並ぶ人びと




教室2つ分くらいはあったかな。
中には米や酒、じゃがいも、ごぼうなどがまとめて貯蔵されていた。
ひや~~~ん。
気もちい~。
でも摂氏1度くらいなので、カラダが冷えすぎるとよくないから、と10分弱ほどの体験だった。

雪をマイナスイメージからプラスイメージに変える発想。
雪国の人の知恵やたくましさを実感した。

雪上すいか割りも楽しかった。
実際はこのように雪上の青いボールをすいかに見立て、振り下ろした棒がボールに当たったら「すいか」をプレゼントしてもらえるというルールだったが、子どもも大人もほのぼのムードで、携帯をかまえる大人たちも一列にならんで待っている子ども達も「ちがう!ちがう!」「左!!左!お茶碗もつほう!」「下がって~」など大盛り上がりだった。
雪の上だから上手に歩けず「コケッ」ってなるのがかわいかった。

昨夜、ゲットしたすいかをいただいた。
甘かったー。
ごちそうさまでーっす。

ビンゴ大会ではビンゴ先着5名様には「メロン一箱」が当たるという大盤振る舞い。
やる気マンマンだったけど・・・ダメだったw

ヘラクレスカブトもはずれたw
でも、抽選券を持っているこどもたちにはもれなく普通のカブトムシがプレゼントされ、チビたちはうれしかったみたい。
ちゃんと自分で世話しろよ~。おかーちゃんはしねーぞー。

こぢんまりとした町内のおまつりはほのぼのしてていい。

そうそう、この池ケ原の雪4トントラック3台分が柏崎のこどもたちに届けられたそうです。

小千谷市から雪のプレゼント(新潟日報 7月28日付)

「避難所にいると(子どもたちは)ゲームばっかりしてダメだて!」とイライラしてたお母さんもいたけど、この時期に雪山は楽しいですよね~!

大豆うこん雪まつりのあと、畑に草取りに行ったんだけど(大豆・うこん・さつまいも)、ヘビーな仕事に「疲れた~疲れた~」「ママ~○○はさぼってるよ~」と子ども達はブーブー。
そのやりとりをずっときいていた隣の畑のおじさんが、私たちが帰り支度をしていると自分の畑からすいかをもいできて「子ども達にくわせてくれ。」と「ほれっ」と持たせてくれました。
子ども達が「ありがとうございました~~」というとおじさんは後ろ向きのまま手を挙げてこたえてくれました。

どわー。
この優しさ、いまはいかん。
ちょっとうるる~

ありがとうおじさ~~ん。

カウンセリングで気持ちが楽に

2007年07月26日 23時00分56秒 | 新潟県中越大震災・地震
刈羽村にボランティアに行ったとき、阪神高齢者・障害者支援ネットワークのKさんからある女性を紹介された。
刈羽村の職員の方で、ふたりの子どもを持つお母さん。
その方の子どもさんが、震災から様子がおかしいのだという。
普段に増して暴力的でおねえちゃんやお母さんを蹴ったりたたいたり、ものすごく荒れているのだそうだ。

ボランティアに行ったときは、ほんとにちょこっとしかお話ができなかったので、その後の子どもさんとお母さんの様子がずっと気にかかっていた。

忙しいだろうなぁ、とは思いつつ、今日ボランティアセンターに電話をして、とりついでもらった。

明るい声が聞こえてきた。
彼女は、二日ほど前に「こころのケアセンター」で専門家からカウンセリングを受けたのだという。

あれだけの震災があったのだから、子どもに「怒ってはいけない。」と無理をしていた彼女。
でも、カウンセリングで
「お子さんにとって、いつものお母さんでいてあげることが大切なのかもしれませんね。」とアドバイスを受けたんだそうだ。

その後、お子さんとしっかり向き合って
「叩いたら痛いよ。」「叩かれたらお母さん悲しいよ。」と告げたらしい。
また、職場に子どもさんを連れていったこともあったけど、それはやめて
「どうしてもお母さんのそばに居たい、っていうんなら、お母さん仕事やめてずっとあなたのそばにいるから。」
って言ったんだそうだ。
すると、お子さんは「(やめなくて)いいよ。」と納得したらしい。

いつもの、厳しくて優しいお母さんに戻って、子どもさんにもストレートに母親としての「覚悟」を伝えたんですね。

どうせ教科書的なことしかいわれないだろうと思っていた彼女は「ほんとうにカウンセリングを受けてよかったですよ~!私も最近涙もろくなって、わけもなく泣けてきたりしてたので・・・。でも気が楽になりました。まわりのみんなにも’やばいな’と思ったらカウンセリング受けたほうがいいよ!ってすすめてるんですよ~」と。

あーよかった。
うれしくて涙が出た。

「なにかあったら電話してくださいね。」
というと
「ほんとにしちゃいますよ!!」
と言ってもらえたのもうれしかった。

子どもが心配だったから、と、こんなに早い時期にカウンセリングを受けてる前向きな彼女に大拍手!

陰ながらエールを送らせていただきます!

また揺れた。

2007年07月25日 07時37分43秒 | 携帯から
今のは?震度1か2くらいかな。ずわっと横に揺れました。きょうはこどもたちサマースクールで午前中は学校です。気をつけて登下校してほしい。東京にいる旦那が心配メールしてきたけど、「東京いるとホント情報少ない。原発とリケンだけ(しか報道してない)」と怒ったマーク。でもそれが東京マスコミ、トーマスなのさ。

伸びゆく子

2007年07月24日 14時52分24秒 | 日常
きょうは終業式。
子ども達は「伸びゆく子」という名の「通知表」を持って帰り、いそいそと見せにきた。

「どれどれ・・・」と開いてみたが、
意味不明な評価が目にとびこんできた。

表紙の裏。
「学びと生活のようす」の欄で
項目の横の「1学期」の下にはフツー「◎」や「○」がついているはずなのに、空欄の箇所があるのだ。(しかも3箇所も!)

子どもにきくと
空欄の本人は「先生が付け忘れたんじゃないの?」といっている。

またきょうだいは
「これ最悪の場合なにもかかれないっていう噂だよ。」
なんていってる。

「◎も○もまったくない子もいたよ?」
「ほんとに??」

先生としては、「△」はつけづらいのか。
だとしたら「×」なんてネガティブ評価なのでもっとつけづらいだろうに。

項目をよーく見てみた。

・・・・・・・( ̄▽ ̄;)!!
思い当たるふしがある!!

でもw

なんか書いて欲しい
そんなにうちの子、最悪なのかw

せんせー!空欄はかえって親を不安にさせま~す!(T▽T)

「伸びゆく子」・・・かぁ。
伸びしろはいっぱいあるんだがなぁ……(-。-)

おだいじに

2007年07月23日 13時02分23秒 | 新潟県中越大震災・地震
刈羽村の災害ボランティアセンターに着いたときに、知り合いに何人も会った。
昨年の今頃、日本災害看護学会で大変お世話になった福井大学のS先生、阪神高齢者・障害者支援ネットワークのKさん。
中越復興市民会議のIさん、Aさん、Sさん。
長岡技大の学生ボランティアサークル 「Volt of nuts」のみなさん。
おぢや元気プロジェクトのWさん・・。

刈羽村の社協さんをがっちりサポートされており、「わー。たのもしーーー」と思うと同時に、知った顔があちこちで見られてこちらもほっこりした気持ちになれた。

中越大震災のときから東奔西走されていた地元新聞社の記者さんにも会えた。
2年前はゆっくり話すことはなかったけど、声をかけると笑顔が返ってきた。

夜、その記者さんからメールが届いていた。
「今日は偶然会えてびっくりでした。この一週間無我夢中で走りまわっていた気がしますが、ふと立ち止まるといろんな思いがこみ上げてきます。」と。

そんな彼はいま苦悩に直面している。
一部のマスコミが被災者に誤解されるような行動をとったことで市が過敏になり、当面「マスコミはシャットアウト」になったというのだ。

’マスコミというだけでひとくくりにされる’
’いい取材ができない’

これは被災地にとっても被災地を思う人々にとってもマイナスだ。

中越大震災のときより風化は早く、風評被害だけが残るんじゃないかと中越の人たちは心配しているが、そうならないように祈りたい。

ボランティアに行ったほねさんは被災地のみなさんのもとから立ち去るときに「おだいじに」と声をかけたという。
「がんばってください。」は言ってはいけないことば。

「おだいじに」

いい言葉だなと思った。

中越大震災のときから走り続けている方がたにも・・・。

「どうぞおだいじに」

******
この一週間、おひとりおひとり温かい励ましのコメントを頂戴し、心から感謝しています。
また個人的にメールをくださった方々にも御礼申し上げます。
ありがとうございました。
すべて拝読しておりますが、返信が間に合わず申し訳ございません。
このエントリーをお借りして心からお詫び申し上げます。

【こころのケア】刈羽村にボランティアに行って感じたこと

2007年07月21日 20時46分43秒 | 新潟県中越大震災・地震
こども3人引き連れて刈羽村にボランティアに行ってきました。
目的は
「刈羽村のこどもたちの遊び相手になること」と「そのおかあさん、おばあさんの(人にはいえなさそうな)ニーズを拾い上げること」

私たちが行かせていただいたのは小さな避難所だったのですが、「小千谷市から来ました!」と名乗ることで話にとっかかりができ、スムーズにお話をさせていただくことができました。

子ども達は小千谷小学校の名札をつけ、さらにガムテにマジックで名前をかいて胸にはりつけました。
家を出る前に「柏崎のおともだちにどんなことができるとおもう?」と問うと、「絵本を見せてあげたい。」とか「トランプもっていってあげる」とか「折り紙の本と折り紙をもっていこう」などなど、子どもたちは子どもたちなりに支援の方法を考えてしたくをしました。

すでに大学生のボランティアたちが避難所の子どもたちの相手をしていたので、輪にすーーっと入っていくことができ、子ども達も「楽しかった!」と喜んでいました。

私はおばあさん3人組とゆっくりとお話をさせていただきました。
やはり、今は「お風呂に入りたい」「洗濯をしたい」というのがいちばんのニードでした。
その中でさらにつっこんで話をすると「実はいびきがうるさい人がいて、みんな毎晩眠れなくて困っている」ということでした。
しかし、「いびきがうるさくて迷惑だから。」という理由でその人を隔離するわけにもいかず、社協の方も困っておられるようでした。

また中学生とお話したときに「友だちに会いたい」「学校に行けないのでつまらない。」という話のあと、「地盤災害について知りたいんですけど・・・。」と言われ、正直ビックリしました。
自宅の地盤が悪いので、再建するときに家本体を修繕するだけでは不安だというのです。
どのような支援を受けられるのか、受けられないなら引っ越したほうがいいのか、きっとご両親がそういう話を家庭内でしているのでしょう。
中学生の彼女も大変心配してました。
「なにかいま必要なものはある?」ときいたら「(住宅再建のための)お金・・・」といって笑っていました。

これから罹災証明を発行してもらい、住宅再建のための話し合いが現実になっていきます。
このような疑問について、わかりやすい住民説明会が必要だし、被災者生活再建支援法の改正においてもぜひ早急に論議しなければいけない問題だな、と思いました。

おかあさんにもお話をうかがうことができました。
急性期は過ぎ避難生活には慣れてきたけれど、一気に現実的なもの(お金のことや家の再建のこと)が押し寄せてきた、と話していました。

私もミクシィに日記をはじめて書いたのはこの時期(震災から6日目)だったことを思い出します。

中越大震災などで地盤災害を体験した方との交流をコーディネートすることも、中越沖地震を体験された方の「こころのケア」になるんじゃないか、とふとそんなことを考えました。

写真は
【うれしかった救援物資】きゅうりの浅漬け
きのう樽でもってきてくれて一本一本配食してくれたんだそうです。
おばあちゃんのもんぺがキュートでした

神経過敏

2007年07月20日 08時41分03秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨夜の余震「うわっ!」とびっくりして飛び起きたけど小千谷は震度2だった。(柏崎・刈羽は震度3)
体の背面全部が床に密着しているので、立っているときより余計揺れを感じるのかなぁ。
子どもは起きなかったので安心してまたすぐに眠りについた。

やっぱりあれ以来、揺れに敏感になってる。
きのうは長岡のスーパーで魚を選んでいるときに平ケースがいきなりブルブル震えだして「うわ!」って声出してビクッとしてしまった。
なんだ。地震かと思うじゃんよ。自分だけ挙動不審。

一生のうちに震度6を4回も体験するなんて思わなかった。

つねに「今余震がきたらどうしよう」と思いながら行動しているのでストレス。
気持ちがざわざわざわざわして落ち着かない。