小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

居場所がない!

2005年10月31日 00時43分32秒 | 新潟県中越大震災・地震
去年の今頃は夫の実家に一時避難していた。
夫の両親も川口で被災しており和南津トンネルの手前で私たちと同様に車中泊をしていた。
携帯の電池切れで夫の両親との連絡は途絶え、どこで避難しているのか、いつ自宅に帰れそうか、全く連絡がとれなくなった。

偶然にも震災の翌々日にお互いに同じルートでそれぞれ逃げ帰った。
和南津トンネルが崩落したため一旦長岡に出て柏崎にまわり小国、十日町を経て山を越えるという大廻りを余儀なくされた。
6-7時間はかかっただろうか。

小千谷の自宅が気になって仕方ない私。
でも義両親は自分たちがどれほど大変だったかを茶のみ仲間に何度も何度も大げさに話すばかり。
夫は仕事でいない。
茶を飲みにくるのは親戚のじーさんばーさんたち。
私は気持ちのやり場がなかった。
誰か「若い人」と話がしたい(笑)

ひとりになりたかった。
お茶に誘わないで欲しかった。

こうるさい親戚のじーさんがきてるとき夫がいない席で
「この際同居を考えたらどうだ」と話をもちかけてくる。
違反だろ、それ。
見舞金を差し出したあとに夫のいない席で言うな。
うんうん・・・とうなづくだけの義両親。
子供が「めじょげ(かわいそう)」だから?
じょーだんじゃない!!
それとこれとは違うだろー!!

家に帰りたい、家に帰りたい、はやく小千谷にかえりたーーーい!!!

きちゃなくておんぼろの我が家だけど、あたしゃ自分ちがいいのだ!
小千谷の友達と話がしたかった。
早く家を片付けたかった。
世話になるということの居心地の悪さ。
居場所のない空間のストレス。
悪い嫁ですんません。
でもあたしそれは譲れませんからっっ。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
めざせ鬼嫁 (アサ爺)
2005-10-31 18:51:37
アサ爺と申します。はじめめまして。

というか、一年、ママさんのブログで勇気付けられ来た小千谷の爺です。

誰からもコメントがないから、初めてコメントします。

居場所、人間にとって、人間が生きるうえで、一番大事なところです。と、思っています。

居場所の確立は、誰も助けてくれません。自ら切り開くところであり、自らが獲得する場所です。

悪い嫁であっても、鬼嫁であっても良いじゃぁ、ありませんか。

居場所なくて、人は生きていけないんですから。

めざせ、鬼嫁。

がんばれ、ママさん。

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Unknown (say96)
2005-10-31 19:57:48
長岡→柏崎→小国→十日町なんですか?

長岡→柏崎→高柳→十日町では?

いずれにしても十日町へのルートは厳しかったでしょう。

お互いに生き延びられてホントよかったっすね
返信する
Unknown (おぢやのおやぢママ)
2005-11-01 00:24:38
■アサ爺さん

はじめまして。

うわっ。また小千谷の方だぁ!

大雪の先輩だぁ~。

緊張するーー(^_^;)



震災のとき、友達の子供さんが「山に行ってくる」といってひとりきりになりたがったと言ってました。

なんかわかるー!って。

ちょっとひとりきりになって想いにふけりたいこともありましたよね。

車の中でしか安らげる場所がなかった方もいらしたでしょう。

車で避難していたらそれさえもなかったですよね。

あーなんか色々思い出してしまった・・。



このブログは本当に安らげる場所でした。

みなさまのおかげなんです。

もっともっと井戸端会議ができたらいいですね。



書き込みありがとうございました。

今後ともよろしくお願い申し上げます。



■say96さん

長岡→柏崎→小国の交差点経由で山道を乗り越え→川西→十日町

だった記憶です。

小国で地元の人に道を聞いたら、たまたまそこに役場の方がいらして、「ついておいで!」と言っていただき、誘導していただきました。

一般の方は進入禁止の山道で、軽だったので狭い道でもなんとか越せました。

割れた道をのりあげながら走った記憶があります。

小国はかなり被害が大きかったみたいでしたね。

ほんとにあのときは大変でしたね。
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