小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

チームジャンプ

2006年05月30日 18時53分46秒 | 小千谷(新潟)
次の日曜日は小千谷小学校の運動会です。
町内対抗チームジャンプ(大縄跳び)の練習がはじまりましたよ。
毎年張り切って練習するのに雨天で中止になることが多くてがっくし。
今年は晴れてほしいですね。
うちの町内は大人のほうが足を引っ張っているみたいですがw

最近物騒な事件があとを絶たずテレビを見ていてもブルーになりますが、子供と親がこんなふうにいっしょになって笑ってる声が聞こえるとなんだかほのぼのした気持ちになりました。

いい酒

2006年05月29日 04時39分04秒 | 新潟県中越大震災・地震
3年前にネットで知り合った友達と家族ぐるみのつきあいにまで発展した。
超遠距離なのにお互いの実家に遊びに行ったり、普段でも毎日のように近況を報告しあってる。
会いたいね会いたいね、と言うばかりでなかなか会えなかったんだけど、このたびのおにいさんの葬儀の際、彼女が車で名古屋駅まで出迎えに来てくれて葬儀場まで送ってくれ、その間2時間弱だったんだけど会うことができた。
嬉しかった。
顔見るだけで・・会えただけでウレシイ。
そういえば、彼女の実家に遊びに行く直前だったんだよ。おにいさんに最後に会ったのは。
「これから友達んちに遊びに行くんだ~~♪」って駅でおにいさん一家とランチした、それがおにいさんに会った最後だったんだ。

おにいさんの葬儀のあと東京経由でまた慌しく帰るのだが、接続の時間にモモパパさんと「いっぱいひっかける」ことができたのも嬉しかった。
「最近どう?」みたいな野暮な会話はない。
ブログをいつもチェックしてくれてるので小千谷の様子、あたしの様子はわかってくれてるみたい。
相変わらず穏やかででっかい人だった。
何も説明しなくても小千谷の現状をわかってくれてるってことが心地いい。
これはホントに気持ちいい。
もう地震なんかとっくに落ち着いたんでしょ、という空気の中、全然そうじゃないとわかってくれてる人がいるということがとてもうれしかった。

昨夜はおっき~さんが長岡に帰ってきているというのでジンギスカンパーティーにお邪魔しました。
「お肉お肉!」と子供たちも大喜び・・……(-。-)
昔エバラの焼肉のタレのCMでそういうのあったよね。
焼肉パーティーに招かれた家族が「野菜なんかあとでいいの!」というニュアンスで
「とっとととっととお肉から~」って肉ばっか子供の皿にとりわけてる光景。
うちのやつらも ンもーーー ギラギラしてて肉から肉からつっついてた。
あー恥ずかしい!
ごめんよ~~(恥)
でも楽しかったよ~。アリガトー!
子供たちもお兄ちゃんたちが遊んでくれるのでとても楽しかったみたいです~。

そのあとにもまた新しい出会いがありました。
昨年のおぢや祭りで神戸の消防士さんが挙げてくれた花火を覚えていますか?
その神戸の消防士さんが小千谷にご訪問されるというのでちょっと顔を出させていただきました。
かなり前から「小千谷から」を見てくださっていたと知り、また感激でした。
そして「まだまだ阪神淡路は終わってない。終わらないんですよ。」という言葉が印象的でした。
中越の我々にとってみれば、阪神の方は大先輩。
「わかってくださってる」と感じられたこと。
「気にしてくださっている方が今でもいらっしゃる」
それだけで救われます。

できることをできることから、という無理のないスタンスで。
「幸せとは何か」について語りあいました(^_^;)

いい酒が飲めた一週間でした。
感謝しています。
またがんばります。
一日一日を大切に。
それがなによりの幸せなんだとみなさんに教えていただいた一週間でした。
ありがとう。

女が家を空けること

2006年05月28日 14時04分19秒 | おやぢ家の人々
こどもって。
母親が留守のときに限って熱だしたりする。
私はこどもの機嫌さえ悪くなければ39度とか出てもたいして心配しないで様子を見る派なんだけど
預かってるほうにしてみれば「どうしよう!!」と焦るらしい(当然かww)

帰宅したら家がゴミステーション化してた。
分別・・・されてない……(-。-)
洋服が足元に転がっている。
洗濯して乾いたのをたたむ前のものなのか昨日着てて脱ぎ捨てた服なのか。
わからない……(-。-)

「ママがいないとあんたたちは何もできないの??」
と怒りたくなるのをぐっとガマンw

夫も風邪引いて倒れてたらしいからw(病人がふたり!)

こどもに飲ませてほしい薬がそっくりそのまま弁当のふたや割り箸やティッシュといっしょに放置されてる。
ここでまたピッキーン!
ちょっと汚いくらいなら片付ければまだいいがw
薬はちゃんと飲ませてよ!!!
この抗生剤はね?ちゃんと飲ませないと効果が出ないの!!

・・・・でも言えない。
お葬式に行かせてもらったんだから なにも文句はいえない。
飲ませてないものを
「どうして飲ませてないの!!」
と怒ったところでもう時間は戻らないw
これからのことを考えよう・・(と冷静になろうとがんばるジブン)
救急外来に電話して指示待ちw
さっき処方された抗生剤はやめてその抗生剤のほうを先に飲ませることに。

先週末、お葬式に行く前ってなんだか色々忙しかったわん。
運動会の色布つけ。(体操着と帽子に色布を縫い付ける。子供の数×3枚w メンドー)
お昼寝布団の用意(洗濯 アイロン 四隅を縫い付けるw)
給食着を洗ってアイロン

↑こういうのは夫に任せられないですからねー。

女が家を空ける前後はホンットーに大変なのです(^_^;)

美しき花

2006年05月25日 01時12分41秒 | 日常
あのあと泣いて泣いて目が「おいわさん」になって、日曜日だったので朝ごはんも作らずに11時ごろまでダラダラ寝ていた。
寝てると忘れられるからいい、と思って。
というか、なにもする気が起きなかった。
いつまでたってもおなかがすかない。胃は痛い。
こんなことははじめてだ。
子供が「ママー携帯鳴ってるよ~。」と携帯を持ってきた。
おねえちゃんだった。
しまった!先にかかってきちゃった!
亡くなったおにいさんが今自宅に帰ってきた、という報告だった。

自分が崩れてしまいそうだから、親戚にも親しい人にも誰にも話さなかったこと。
闘病生活はキツくて最後には痛み止めもきかなくなりもがき苦しんだけど、最後までおにいさんはがんばって家族の前では苦しんでいる姿をできるだけ見せないようにしていたこと。
息を引き取ったときのこと。
などをはじめは淡々と、でも「今、おとうさん、そばにいるけどね。顔見ながら話してるけどね。私のことも家族のことも本当に愛してくれてたからさ・・。しあわせだったから・・。」と口にした途端におねえちゃんが泣き声になってしまった。
気丈に振舞ってたおねえちゃんが素になったときに私も糸がきれ、電話口をとおして私たちはいっしょに泣いた。
「なんとかして会いに行くからね。ありがとうって直接言いたいから。」と私が意思表示をすると、おねえちゃんは「あぁ。○○ちゃん来てくれたらおとうさんも喜ぶわぁ。ありがとね、ありがとね。」とまた泣き崩れた。

「最後のお別れ」をするまで全然ピンとこなかった。
ただただ涙が出るだけで。
いつもふざけたことばかり言ってたおにいさんだからほんとは「どっきり」なんじゃないかと思うくらい。
告別式では遺影もちゃんと見られずに、お経をききながら鼻水と涙がいっしょになったものをどうやって最小限の音ですするか、目立たないようにささっと涙をぬぐうかに専念していた。

一般の弔問客にはご退場いただき、遺族と親族だけが「最後のお別れ」を許された。
そのころにはもう涙と声を殺そうとしても肩がひっくひっくしゃくりあげてしまって自制できなくなっていた。

しずかにお花をたむけて次の人に順番を譲る親族。
私はその最後についた。
棺に近寄りおにいさんの顔が視界に入った。
おにいさんがあまりにきれいな顔だったので「じゃじゃーん!」って両手パーしておどけて起きてきそうで私は我慢できなくなっておねえちゃんたちといっしょに声を出して泣いてしまった。
「○○さん(おにいちゃんの愛称)。。。ありがとね。・・ありがとね。」
と言ったときに
「○○ちゃんが来てくれたよ!おとうさん!!」
とおねえちゃんがおにいさんに呼びかけてくれた。

ほっぺを触らせてもらったときにまたひとつ、私の五感がおにいさんの死を受容した。
「ほんとに死んじゃったんだ・・・」

ひとつひとつプロセスを踏む中で私は冷静になったり、急に涙したり忙しかった。
火葬場に向かうマイクロバスの中では10年も20年も会ってないような親戚と近況報告をする。
誰も地震の話などしない。
もう終わったと思われてるんだろうなぁ。とちょっとシニカルな気分になったりした。

都会の火葬場ってこんなに事務的なんだ。。とへんなとこでびっくりしたりもした。
どんどん仏様が運びこまれてくるので感傷的になる余裕がなく、いちばんびっくりしたのは炉の外側にボタンがないこと!
私の田舎のほうでは大抵火葬場の炉の外側には丸いボタンがあり、喪主がそのボタンを押すようになっていた。(それが当たり前だと思ってたしそれが儀式なのだと思っていた。)
おねえちゃん的には「あのボタンを押すときのボッという音がダメなの~~」と言ってたので結果オーライだったのだけどw
またうちの田舎のほうでは仏様のお骨を「この方はここが悪かったのですね。」などと解説してくれるおじさんがいたりした。
もちろんそこではそんなおじさんはいなかったし、隣の遺族のお経がきこえたり(手をつなげるほどの至近距離)、隣のお線香を間違えて持ってしまったり・・とめっちゃがちゃがちゃムード。
「拾骨は10人でお願いします。」などと最初から制約があったのもびっくり。(ふたりでひとつの骨を拾うので5箇所の骨のみ)
ここで一気に涙が乾いた。

3人のこどもたちは告別式では涙涙だったけど、火葬場の控え室ではおねえちゃんも交えて談笑もでき、いい時を過ごせた。

日付かわったけど、きょう(昨日)はましゃの新曲の発売日。
「美しき花」という曲をおにいさん家族に捧げたい。
この曲はある実在する家族をイメージして作られた曲なんだということをトーキングFMを聴いてて知りました。
その家族の親御さんもお子様を残してはやくに旅立たれたということでした。

あなたの残した宝がこの先いろんな場面で花を開くごとに青い空の向こうで温かく見守っていてあげてほしいという想いをこめて。

おにいさん ほんとうにありがとう。

訃報

2006年05月21日 00時37分00秒 | 日常
大切な人が亡くなった。
信じられなくて受容できない。
残されたおねえちゃんにメールもできない。電話もできない。
おにいさんの笑い顔しか思い出せない。

おにいさんとの出会いは、私小学生12歳。おねえちゃん高校生。おにいさんは私の倍の24歳。干支がいっしょだと盛り上がった。
私のことをすごくかわいがってくれてデートにもよくひっついていったw
地震の年に10年ぶりに会った。
以前会ったときにはおなかにいた娘が成長していて、出会ったころの○○ちゃん(私)にそっっくりだ、と大笑いしていた。

ファミコンなんかない時代にパソコンでアドベンチャーゲームを教えてくれたね。
まだMS-DOSの時代で

c:\>Take book

とか自分で英単語を考えて打ち込んで解いていくようなゲームで、私は見事にはまりおねえちゃんたちの家に遊びに行っては夜明けまでやってたっけ。

3人の子供に恵まれそれぞれが成人し、これからおねえちゃんと楽しむってときだったのに。
おにいさんがよく口にしていたのは
「僕は子供大切だけど、それよりもレイ(おねえちゃん)が好き。レイより長生きはしない。僕が先に逝く♪」
と。
そんなことを照れもせずにシャーシャーと言う人だった。
有言実行もいいけど早すぎんだよ~!

今思う。
大切な人たちと一日一日を笑って楽しく過ごすということがなによりも幸せだということ。
大切な人に 「ありがとう」 という気持ちをちゃんと伝えることや「だいすきだよ」 と表現することが大事なこと。
そばにいられなくても「心はそばにいる」ことを伝えること。
いっしょに食べたり飲んだりして笑うことが大事なこと。

ありがとう。
おにいさん。
ちゃんと御礼をいいに会いにいくね。

宇宙にも行ける時代だから天国でもインターネットができるといいな。
おにいさんなら面白おかしくここ2-3日の気持ちをブログにしてくれそうだからw

福山Day

2006年05月19日 08時15分20秒 | 福山雅治
おはようございまーす
早起きしてお弁当つくったので
「めざましテレビ」の芸能コーナー(7:30ごろの)はゆっくり見ることができました。

夫がチビに話しかけているのを
「ウルサイッ!」と一喝w
テレビの音が福山の声が聞こえないんジャイッ<超凝視(@_@)

初回限定盤DVDの映像が初公開。
朝から拝みましたよ。どぅふふ。
のゎぁ~色っペェ~(~0~*)<CD買おっ!

今夜は忙しいのです。
20:00~ テレ朝系 「ミュージックステーション」
23:00~ TBS系   「 恋するハニカミ」
24:50~ 日テレ系 「音楽戦士」

福山出演しまくり。
今日はそーです。福山Day なのですっ。

「恋するハニカミ」では弾き語りするみたいなのでマチャミの鼻血ぶりが楽しみw

今日は一日がんばれそう♪

詳しくは福山雅治公式サイトの【NEWリリース最新情報!!】をどうぞ~

山本山の菜の花が咲いたよ!

2006年05月17日 13時54分43秒 | 小千谷(新潟)
山本山の沢山ポケットパークの菜の花が咲きました!






七分から八分咲きくらいでしょうか。






台風が近づいているため薄曇りでの撮影となり残念。
あぶが動くのでピントがなかなか合わず苦戦しましたw





小千谷の町が一望できます。






のっぽさんで140センチくらいはありました。
10日前はまだこんなにチビだったのに。





塩殿のデイリーの100メートルほど十日町寄りにこのお花畑の入り口があります。
(現在片側工事中 看板あり)
閑散とした景色が続きますが、途中目印にこんな看板があります。
そのまま坂を上へ上へと走ってください。



カーブをいくつか曲がると・・。
ハイ!着きましたよ~ヾ(〃^∇^)ノ
小さなあずまやがあり、休憩できます。
自動販売機はないので、何か買ってから来てね。
あ。ゴミは持って帰ってくださいね。


母の日

2006年05月15日 01時18分25秒 | おやぢ家の人々
母の日だから・・・と。
夫がお花を買ってきてくれました。
いつもはカーネーション一輪だったりするのですがw
今年はなんか大きいゾ!<ブログにアップしてもらうのを期待してるのか?w

いつも夕飯でヒィヒィいってるので
「今夜はママが行きたいところに行こうよ。」

・・・ということでレ・アーリに行くことにしました。

あたしは「ゴルゴンゾーラチーズのクリームソースのパスタ」をいただきました。(ひとりで食べたかったのにたかられた・・・)
夫は「旬のあさりとたけのこのパスタ」を。(大盛で(-o-;))
子供たちは3人とも「モッツァレラチーズとアスパラのトマトソースのパスタ」にしました。(子供たちおいしいチーズが大好き)
精算のときに「(子供さん)3人も・・・すごいですね。」と言われました。
「ハイ。大喰いなので大変です・・・今度はこっそり来ます。」
などと言いながらw
彼女はシェフの奥様なのでしょうか。
とってもステキな方です(* ̄(エ) ̄*)ポッ


子供たちが手紙を書いてくれてプレゼントしてくれました。
私が料理を作っている絵。
それを手伝う娘。
男どもは皿を差し出して「早く~」と待ってる絵。
リアルすぎて笑いましたw

アナログの手紙っていいですね。
ほんとうれしいです。

あたし家事も育児も手抜きばっかでダメダメかーさんでした。ずっと。
でもこの子らにとってはひとりだけのかけがえのないお母さんなんだよなぁ。
ほんとはこんな手紙もらえるような立派な母親してないんです。
子供たちの手紙を肝にすりこんで、気持ちを入れ替えようと思った一日でした。

ありがとう。

今日はいいビールですw
全国のがんばってるお母さんたちに「お疲れさま!」
(^O^)/C□☆□D\(^_^ )カンパーイ!

山のごっつぉー

2006年05月15日 00時00分06秒 | 新潟県中越大震災・地震
やまこし道楽村よもぎひら山菜ガイドに参加したmakikoさんが、収穫した山菜のおすそわけに小千谷まで来てくれました~♪



こごみ(こごめ)ぷりぷりの「こごみ(こごめ)」「山うど」「あさつき」
「ぜんまい」もたくさん採れたそうです。
下処理の仕方なんかもよもぎひらのおかあさん方が懇切丁寧に指導してくださるとのこと。



わらび(奥)あけびの芽(左)ずいき(右)こちらは、よもぎひらのおかあさんたちが朝からお料理してくださったものだそうです。
わらび(奥)あけびの芽(左)ずいき(右)
あー。ごちそうだー。
ンマスギー。
ひとりで今夜全部食べてしまいそうでコワーイw


山うどこちらは山うどのきんぴら。ピリ辛で激ンマ!!
私にこのおふくろの味は出せないっス。
今度姑に教わろう。




「ちょっとママこれ食べてみてよ。」とmakikoに言われ、ペロンと指ですくってなめたのはコレ。

「( ̄▽ ̄;)!! ヤバイねコレ・・・。何杯でもイケそうだよ・・。」

あさつきをみりんやら味噌やらお酒やらで煮込んだものらしいんだけど、ポン酒とコレとあったら・・・。
あー。もう!\( ~∇~)/

チッ。
こんなことなら私も子連れで参加するんだったぜ。
出遅れた(^_^;)

こういう山菜料理がサササッと作れて
夫の同僚とかが急に来たら「なにもないですけど・・」と「スッ」と出せる奥様に私は憧れている。(憧れだけだけどw)

あー田舎料理が上手に作れるのはカッチョイー!
そしてこれがとんでもない「ごっつぉー」だということに
中越のみなさんは気づいていただきたい。
いつも食べつけてて(自然に豊かすぎて)わかってないかもですが。

あー。いいなぁ。田舎暮らし。
あー。憧れる。山菜料理が作れるおかーちゃん。

道楽村スタッフにおねがい。
今度は料理教室企画してください。

迷惑電話

2006年05月14日 15時41分46秒 | 日常
電話が鳴った。

「こんにちはぁ~♪(すっとんきょうな声)
#★$(アルファベット3つ)の松本ですけど~。」
(このかん高い声はセールスだな?英語の教材かダイエット系に違いない)
「奥様でいらっしゃいますかぁ?」(奥様じゃねーよ。おやぢだよ。)
「いいえ。(-_-メ;)」(すっごい冷たく怒ったように。←超棒読み系)
「そうですかぁ~(^_^;)・・・・・奥様いらっしゃいますかぁ?」
「いませんが。(-_-メ;)」(また棒読み)
相手がちょっとうろたえた空気が読み取れた。

しめしめ(^w^)

どう考えてもいい年こいた女の声なのに、
奥様はいないと言い張るw
セールスレディのトークに間があいて
「え?誰?娘?母親?それとも姉?妹?・・何?」
と考えてるのがわかった。結構楽しい。

「○○警察署ですが~お宅のご主人が強制わいせつ罪で捕まって今○○駅にいるんですけどねぇ。」
という電話がかかってきたというお宅を私はうらやましいとさえ思ったw
そういう電話だったら絶対ひっぱって会話長引かせてやるのに~w(録音したりしてw)
こういう電話がかかってきたら開口一発。
「え!またヤッちゃいましたか!?」
って言ってみたい(^_^;)

ナンバーディスプレイにしようかなぁ。
と思いつつも ま、いっかー ってそのままきてしまってる。
どーせならネタになるよな詐欺師に電話かけてきてほしいぜ。

来週は福山雅治がばんばん露出しますよ~

2006年05月13日 00時33分42秒 | 福山雅治
カーステでFM新潟聴いてたらましゃの新曲「美しき花」がかかってました。
もう覚えたもんね。いっしょに歌えるもんね。

来週月曜日には「笑っていいとも!」の『テレフォンショッキング』に出演!
楽しみです。録画します♪

来週から新曲プロモでテレビにたくさん露出してくれそーです~。にゃは♪
ミュージックステーションには2週連続出演。
5/21には「新堂本兄弟」に出演。
ってことはKinkiといっしょになんか歌うんかなぁ。
トーク楽しみや~。

おっと「恋するハニカミ」にも出るんだね。
まちゃみにはサプライズだったみたい。<予告でまちゃみが大喜びしてた
よかったねぇ~♪気持ちわかるでぇ(^_^;)

ところでFM新潟のパーソナリティ。
番井 奈歩さん。
番 稲穂さんだと思ってますた(^_^;)

途中で切れる

2006年05月12日 02時37分27秒 | お知らせ
。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。

この顔文字をコメント欄につかったら途中で切れた。
てつさんもしげさんも
コメントが途中で切れてるっぽいよね。
疎外感・置き去り感

 >_ 

長いコメントしてくださった方で↑こういう顔文字を入れたために途中で切れちゃった人がいままで大勢いたんだろうな。
ってやっと今気がつきました。
ご迷惑おかけしました。

どうにかして!>goo事務局

ひとりじゃない

2006年05月10日 22時55分43秒 | 新潟県中越大震災・地震
ぷっはーっ。
麦汁がんまいっす。
昨日今日暑かったですね~。
春通り越して一気に夏になったみたいです。
今日は県内32℃33℃まで上がったとこがあったらしいですね。
車に乗った瞬間『もわ~~ん』としてハンドル握ろうとしたときに
「あつっあ~つつつっ!!」
って運転席でひとり阿波踊りしちゃいましたよw

一昨日の夜はなんか急に気分が滅入ってしまって
あたしもついにバーンナウトしたか?
と思いましたが、ひとばん泣いたらすっきりしました(^_^;)

やっぱりね・・・。
感情を吐き出せる場所が必要です。
子供いたら泣けないし。
子供寝てから飲みながらぼろぼろぼろぼろ涙こぼして声殺して泣いたあと鼻ちーんってかんで。
それでも結構すっきりするもんですね。
もうすっかり元気です。(あまり落ち込みが長く続かないヤツσ(o^_^o))

今日は友達と久々に会ってくっちゃべって、「実はね・・・」っていう本音も打ち明けることができて心が開放されました。

ここ数日つらかった気持ち、我慢してた気持ち、もどかしい気持ち、そのジレンマのようなものをすぐに理解してくれる人がそばにいてくれること。
近況報告をしなくても私のブログを読んでくれてるから『つーかー』でわかってくれている。
このブログをやってて本当によかったな。。ってまたあったかい気持ちになりました。

春になったので『がたっ』とくる。
それは私だけではなかったとわかりちょっと落ち着きました。

みんなおなじに被災したからこそ、被害の差はあれどなにもいわなくても共感できる。わかりあえる。
たかがネットされどネット。
プラス方向にネットが生かされればいいなぁ、と思った一日でした。

疎外感・置き去り感

2006年05月08日 15時20分51秒 | 新潟県中越大震災・地震
山屋・片貝から越路を抜けて新産のヤマダ電機に行った。
1週間前ここを通ったときとまた町並みが変わっていた。
色とりどりのチューリップが民家の花壇でまっすぐ咲いていて、新緑が一気に増えた。
手入れの行き届いた樹木はなんていう名前かわからないけれど、車を降りて写真を撮りたいと思うほど美しく、運転しながらキョロキョロしてしまう。
山を見てもついこのあいだまで茶色だった部分がこの大型連休中に黄緑に変わっている。
車の屋根に桜の花びらがついている。
そろそろ毛虫の季節だなぁ(笑)
新緑の中 車を走らせるのはすがすがしくて気持ちいい。
好きな音楽でもかけながら窓を開けてドライブしよう。

GW明け。
チビは赤ちゃん返りすることもなく、朝お友達に会った途端に
「あ!○○くんだ!!」と走って行った。
まる一年「ママがいい。ママといっしょにいる。」と泣いていたことなど嘘のよう。
「みんながこんなふうに笑顔に戻れたらいいのに。」とおもう。

昨夜小千谷市在住の方から一通のSOSメールがきた。
「気持ちがいっぱいいっぱいでダウンしそうです。親も地震病で大変危険な状態です。今度ダウンすると自虐行為に走りそうです。」と。

まわりが元気になれば元気になるほど疎外感や置き去り感にさいなまれてしまう人たちがいる。
チビのように元気になった人がいる一方で、心がすっきり元気になれず前向きになったりネガティブになったりを繰り返している人がいる。
もう一年半が経った。
そろそろ地震のことも封印しようと「語らない」を徹底している人もいるだろう。

気にしていたい。
まるごと受け止める度量はないけれど。
私も気持ちに少しゆとりができて家族ひとりひとりに目を向けることができるようになるのに1年半かかった。
ずっといっぱいいっぱいだった。

聞いてもらうだけで楽になることもある。
同じ小千谷市民として。
それくらいのことしかできないけれど。
ひとりで悩まないでメールをくださったことがうれしい。
素直に感情をはきだしてくださったことがうれしい。
マイナスの感情も小出しにしていかなくては、このままではつぶれてしまう。