小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

この土地を守りたいと思うこと

2004年10月30日 10時52分00秒 | 新潟県中越大震災・地震
小千谷からちょっと離れた場所で
マスコミではあまりとりあげられてはないが
すごい集落がある。<カメラが入っていけないのだろう

孤立してしまった土地で
みんなが力を合わせて避難場所に風呂やシャワー室を作ってしまったのだ。
大工さんが中心になって小屋を建て
大きな釜で湯を沸かしポンプで水を引く。
シャワー室も3-4室はあっただろうか?

自分の家の畑からとってきた野菜をもちより川で洗い
女性が温かい料理をこしらえて集落のみんなで火を囲んで励ましあいながら食を共にする。

生きるとはこういうことだ。
陸の孤島・・・
誰も頼れないなら自分らでやるしかない。
地域の者同士でいたわりあい助けあい知恵を出し合い励ましあい
悲しみをエネルギーに変える。

その土地を愛するものがなせるワザ。
ふるさとを愛する心がそうさせる。

電話が通じない場所は、郵便屋さんだけでも行き交うことができるようにしてもらいたい。
離れた土地で心配している家族と交信ができれば
お年寄りの励みにもなる。

安心して暮らすことができるようになるまで
みんな頑張ってほしい。

容赦ない自然の脅威。
これからの時期、小千谷 川口 十日町地区では大雪が降る。
何十年と暮らしてきたふるさとを自分たちの手で守りたい気持ちはわかる。
しかし身があってナンボだ。
疲れて息絶えてしまっては何にもならない。
もしも少しでも安心して暮らせる場所があるとするならば
お年寄りにはほかに身を寄せるということも考慮に入れてもらいたい。

鯉も牛も家族のようなものだろう。
見放すことができないと村の人は言う。
しかし共倒れになっては困るのだ。
どこかで見切る勇気がいるのかもしれない。

小千谷のみんな 頑張って!

2004年10月29日 23時43分00秒 | 新潟県中越大震災・地震
家族そろって食事ができること。ありがとう。
おいしいねと笑って食べられること。ありがとう。

今日はポカポカいいお天気でした。

晴れてくれてありがとう。
もっと彼らを暖めてあげてください。
晴れやかな気分に導いてあげてください。

なにかできることはない?
その気持ちにありがとう。
声聞かせてくれてありがとう。
メールや書き込みで馬鹿話ありがとう。

あたしなんか「大変」なうちに入らない。
温かいお布団で寝られるし お風呂にも入ってる。
家族バラバラにならずに一緒にいられる、それだけで幸せ。
こうして気にかけてくださる方がいる。
ありがとう。ほんとにありがとう。

小千谷で被災してる人のためにあたしができること。
わかってる。
でもできなくてもどかしくなる。
あたしは母親、あたしはまずこの子たちを守らなければならないから。

おそらく今現地の被災者のニードは清潔へのニードだろう。
そしてこれからいつまで続くのかわからない生活への不安。

そして小千谷は豪雪地帯。
寒さだけではなく、ドカ雪が降れば家屋の倒壊も心配だ。
一晩で60センチとか平気で降る。
今でさえ通行止めの道路だらけだというのに
冬季は通行止めになるというのなら、まさに小千谷は陸の孤島になるだろう。

冬が来る前に川口のトンネルをなおしてほしい。
群馬側からの交通が遮断されてるのが激しく痛い。

がんばれみんな。
がんばれがんばれ。

道路をなおしてほしい。
道路がなおれば手伝いに行ける。

新潟の人は我慢強い。
我慢しないで心配なことがあれば意思表示しようよ。
助けてくれるっていう人に甘えてみようよ。

みんながんばれ。

このblogについて

2004年10月29日 00時00分00秒 | 新潟県中越大震災・地震
今回の地震で被災された小千谷市民の方が書いている日記がありました。そこにはマスコミが伝えてくれない、現場の風景がありました。

ただ、その日記は会員しか見ることができないのです。こんなすばらしい日記をもっといろんな人に見てもらおうと、ご本人の許可を得てこのblogに転載することにしました。

本来ならご本人自ら情報発信できればいいのですが、ほぼ1日1回、限られた時間でしかネットにつなぐことしかできないようですので、が変わって掲載をいたします。

いつまで続くのかわかりませんが、よろしくお願い致します。

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