昼食は食堂でいただきました。
高野山の精進料理風の定食で
すっかりお腹は膨れましたよ。
電車なのでビールも少し。
罰当たりといわんといて下さいね。
ここから最後に高野山の霊宝館を目指しましょう。
再度また15分ほどてくてく歩いて
目指してゆきました。
途中、お土産屋さんで生のごま豆腐を
買うとともに、くるみもちなどを
扱っているお店でまんじゅうなど買いましたね。
バッグを一つ持ってましたので、
詰め込んで、袈裟を付けた二人は
歩いてゆきます。
この日は気温がここ高野山でも
30℃を超えていました。
冬に来たときは、坊さんは薄着で
寒いやろなあと想ったのですが、
熱い夏も大変ですね。
汗まみれでお経をあげたり、
ごまを燃やしたりしているんでしょうかね。
壇上伽藍の手前金堂の向かい側に、
その霊宝館があります。
高野山霊宝館は、こうした
高野山内の貴重な文化遺産を
保存展観する施設として
大正10年(1921年)に
有志者の寄付と金剛峯寺によって
開設されました。
現在では国宝21件、重要文化財148件、
和歌山県指定文化財17件、
重要美術品2件、合計182件、
約2万8千点弱を収蔵するほか、
未指定品になりますと
5万点以上を数える収蔵量で、
それらの保存管理をしている施設です。
ここも参与の知り合いであると言えば、
無料で入っていくことができます。
中に入ってゆくと、様々な銅像があります。
見たかったのはねえ、
国宝の八大童子立像(制多伽童子像)
だったのですが、残念今の展示の中には
国宝は展示されていません。
制多伽童子はとても人間的な
顔をしている像です。
運慶作なんだそうですが、
もうなんか「しっかりお参りしなさい」
と申し付けてくるような感じです。
参与の人が見たかったのは
重文の「孔雀明王像」なんですが、
これはおられましね。
孔雀の背に乗るという絵画的な姿を、
快慶は仏像彫刻として
見事に完成させています。
部屋の一番奥で、しっかりと
たたずんでおられました。
ここではいいものをいっぱい見ましたねえ。
空海が描いた書類のレプリカ
なんかもありましたねえ。
普段図書館とかに行くと、
空海の教えなんかは様々な本に
なっています。
そういう本を見るたびに、
借りて勉強しようかなあ
と思うのですが、なかなか
そういう入り組んだ本を
読んでいくのは難しいですねえ。
そんな時間があるなら、
もっとあちこち行ったり、
絵をかいたりという風に
使う方がdoironには必要やろなあ
って思ってしまうのです。
もっと読みたい、
もっと書きたい、
もっとうろうろしたい。
そんな風に突き詰めて考えていったら、
生きてるうちにできることは知れています。
なんとまあ人生って短いもんだと、
つくづく思いますね。
さあ、これで今日の高野のお参りは
すみました。
展示会のお礼参りもしたし、
襖絵をはじめいいものを
たくさん目にすることができて
最高でした。
以前奥之院の橋の絵をかきましたが、
今回もまた何か気になったものを
絵にできたらなあと考えています。
その時はまたここで
報告することにします。
高野にはまだまだ伽藍の見学や
奥の方にある立里の荒神社
とかもありますねえ。
参与の人らが出かけるときに、
またついていこうかなあなんて
勝手に考えたりしています。
霊宝館からはバスに乗り、
大門横を通って高野山の駅に向かいます。
昔町石道を走って上るマラソンに出た時に、
帰りはこの道を歩いたなあ
なんて思い出したりしていました。
ケーブル、高野線、南海本線と
乗り継いで帰宅しました。
四国八十八か所を回り、
空海さんが入定しているという
高野にも行きましたが、
本当にすごい宗教的な世界が
あるもんなんですね。
お礼参りを兼ねた高野詣。
これで終わりです。
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