ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

太子葬送の道 平野塚古墳へ

2021-07-05 21:25:06 | ウォーキング

役行者のほこらを過ぎて、
葬送の行列はまだ尼寺地区を進んでいきます。

亡くなったのが二月ころでしたら
葬送の行列は寒かったでしょうねえ。

この辺は雪も降っていたかもしれません。
僧たちは凍える手に耐えながら
この道を歩いていたでしょう。



こんな田んぼの中のみちを歩き、
川をたまにはわたりながら
進んでいきます。



ここの道には「太子道」という
名前がついていましたね。



まあ、太子が生きた状態でも
ここを通って歩いていたこともあるんでしょう。
そしてやがて道は、
アップダウンのある道に
差しかかっていきます。

今は「白鳳台」と名前がついています。

そんな山の中に入ってゆくと、
このあたりでは多くの古墳があるようです。



この公園の中にも
変なこんもりがありますよ。



あとでわかったのですが、
このこんもりも古墳跡だそうです。

でもこの先に平野塚の古墳が
あると思うのですが・・・と思いつつ、
道を行ったり来たりしていると、



車の中で時間をつぶしているような
おじさんが「どこか探しているの?」
と聞いてきますので
「平野塚古墳をさがしているんです」
と伝えると

「ああ、そこやったらこういきなさい」
と教えてくれます。
「この道をしばらく行くと、
左に入っていく道があるので
そこへ進み、さらに右にまがって、
左の山道を下るといいよ」だって。

むむ、なかなか一気に頭に入りませんが、
頭の中に架空の地図を作って
覚えこませました。

そんな頼りない頭の地図を
頼りにしばらく歩いて行きながら、
後ろを振り返ると車の横に立ち
まだ見守ってくれているようです。

年齢的にはdoironより下なんでしょうが、
子どもの初めての通学を見守る
やさしいおじいさんのようです。

こういう歩き旅をしていると、
先程のバイクに乗ったおじさんと言い、
このおじさんと言い、
皆さんとっても親切に
案内してくれたりします。

そういえば昔、練習で
バイクに乗っているときに、
面白い話がありました。
山の中の村でおじいさんが
バイクに乗っているdoironを
とめるのです。

「すみませんねえ。
この頃この道で自転車に
乗っている若い人が、
孫にいつも親切にしてくれる
と聞いたんで。もしそうだったら
お礼をいおうとして止めたんです。」

とのこと。

バイクを止めてサングラスを外し、
メットを脱ぐと

「ああ、違ったわあ。
若い人て聞いてたから」だって。

その頃は50歳くらいだったかな。
でも顔を見るなり「違うわ」とは
失礼なおっさんでした。

最近は還暦もこえ、
道をころころ歩く
高齢者散歩人風に見てくれて
とても親切な人が多いです。

いやあ、なかなか歳も
とってみるもんですな。

頭の中に描いた地図を頼りに、
ぶらぶら歩いて行くと、



坂道の下に古墳らしきものが
見えてきました。



歳をとると、生き残るための想像力も
意外に働き、ちゃんと目的地に
到着しました。よしよしです。



古墳の中に入ってゆくと、
棺を納めていた石槨の中が見れます。



なかなか古墳でここまで
見せてくれるのは珍しいですね。

石槨の状況から見れば、
王族の墓のように見えるんだそうです。
ここに納められていたのは、
二上山で撮れた凝灰岩で
作られた石の棺だったそうです。

そういえば法隆寺近辺の古墳にも
この山の凝灰岩が使われていましたね。

数十万年前に大噴火したこの山の石は、
当時とても重宝されていたようです。



この古墳は平野塚古墳の
南の方の墓ですが、
その墓の前には広い公園が
作られておりましたので、
ではここで昼食にすることにしましょう。



まるで古墳のような豪華な
お弁当箱を開け、
味噌汁も入れて豪華昼食としましょう。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 太子葬送の道 尼寺廃寺跡 | トップ | 歩きの思い出 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーキング」カテゴリの最新記事