ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

阪和鉄道の痕跡に触れた2

2021-04-14 21:05:15 | 遊び関係

三国ケ丘の駅はなぜか両脇が高くなっています。
なぜこんな構造になっているんでしょうか。



ネットで調べてみると
これにはいろんな原因があったそうです。
ひとつは御陵の横をとおるので
不敬だというのが多くの考えだったそうですが、
それならなぜ仁徳陵の横にある
中百舌鳥駅は半地下にならなかったのか
という説があって、
なるほどちょっと違うよなあって感じです。

で、まあ結局doironには
確かな情報は見つけられてないのですが、
もしかしたら理由は阪和鉄道の
高速化にあったのかもしれません。

というのもこの鉄道は国の基準を
超えた猛スピードで運転をしていたそうです。
この時に阪和鉄道が打ち立てた
平均速度81.6km/hという記録は、
後に東海道本線に特急「こだま」が
運転されるまで日本最速の記録だったそうです。
それを目指していたんなら、
アップダウンを考慮して
できるだけ直線でまっすぐ
平らな道を目指してこんな路線を
作っていたのかもしれません。

阪和線に乗って一番前の
車両に乗って路線を眺めてみてください。
ずっと直線の見事な線路が
目に入ってきますから。



そしてもう一つ分かったのは、
その時に三国ケ丘の駅周辺を
半地下にした土をどうしたかというと、
なんと上野芝~津久野間の高架道路の下に
盛られて使われていたんですね。
驚きです。

路線の形の中に過去の痕跡が
残っているのですね。

さて、まだ三国ケ丘駅にいます。

いろいろ眺めてゆきましょう。
まずはホームの構造です。



この駅のホームの屋根なんかには
線路が使われていたりしますねえ。



意外に線路はこの駅意外あちこちで
ホームの建物に使われていたりします。

で、一方で下りホームはというと、
こちらは木製の建物です。



しかもはりの端っこなんかには
刻みが入っていたりして、



すこしおしゃれに作られています。
しかも下りホームはなんと多くが
なんと石積みの基礎が使われています。



登りはコンクリートなのにねえ。

線路のはり、ホームの基礎など
過去の遺物も残したままで
駅が成り立っているのですねえ。

じゃ、ここから歩いて行きましょう、
と最初は思っていたのですが、
まあこういう線路の点検歩きは初めてですので、
歩きの力はできるだけ抜いて
駅を眺めることに今日は集中しましょう。

なので、次の目的地である富木まで
電車で移動することにしましょう。

快速電車で鳳まで行き、



鳳駅の道標なんかを写真にとって
各駅停車で富木に向かいます。

鳳の次がその富木駅。



なぜ富木かというと、
中臣氏の一支族である殿来連から
由来しているといいます。
その影が淡路島まで届くという
立派な楠が生えていて、
旅路の目印になっていたから
というのがその殿来の由来だそうです。

そんな等乃伎神社に近いのが
この富木駅です。



この駅のまず見どころは駅本体の建物です。

駅には財産表というのが張られており、
それにより製造年月日がわかります。
しかしこの駅には財産表がありません。

かわりにというか、
発見された図面などから、
この三角屋根の建物は
阪和鉄道当初のものであることが
わかるそうです。

うん。なんか昔の駅の思い出は
こんな三角屋根であることが多いですね。



この三角屋根の天井に使われているのが、
立て板をずらっと並べて
張り付けた立て板張りが
今もその姿を残しています。



そしてホームはというと、
石積みの基礎が昔はこうして
なだらかに下っていたことがわかります。

きっと駅舎内に踏切があったのでしょう。

続く

コメント
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