40歳からの早期リタイヤ計画

一生独身+賃貸暮らし、手取りの半分を貯め続けて早十数年。IDは怒髪天(JAPANESE R&E)から。

猫が可愛いなんて誰が言った、青島にて 続

2015-06-13 17:09:22 | 09 旅・東京
日曜日朝6時半、伊予長浜駅着。駅歩1分のひなびた漁港に、青島行きのフェリー乗り場。周辺は、数軒の住宅と10台分程度の駐車場、そしてとある新興宗教の建物。
ちなみに伊予長浜駅は無人駅で、飲み物の自動販売機が一台あるのみ。鉄道も単線非電化の一両編成ばかり(松山と南予を結ぶ特急は、全て内陸の内子線を経由する。)このため、島に渡る際は事前に食糧・水分を買い込んでおかねばならない。

一日二往復するフェリー「あおしま」は、乗客定員34人。ネットにも書いてある通り、島に上陸できるのは34人×2往復=68人/日、ではない。朝上陸した人も、昼過ぎに上陸した人も、ほとんどは、朝ではなく夕方の便へ本土に戻る(逆に言うと、朝の便で本土に行く人はほとんどいないのかもしれない。そういえば、朝、島へ上陸した際も、帰りの便で本土に戻る乗客はいなかったように記憶している)ため、一日の往復可能人数が34名である。

朝の便で確実に島に渡れるよう(昼の便では1時間しか滞在できない。)、出航の一時間半前に到着したはいいが、なんと一番乗り。日曜日だというのに拍子抜け。ひょっとして、既にブームは過ぎたのだろうか。

島自体はそれなりに大きいが、人が歩いて行ける範囲は非常に限られている。
港を中心に、東西で合わせてもせいぜい徒歩15分、1kmあるかないか。背後にはすぐに山が迫っているので、奥行きはほとんどない。

正直言って、8時35分~16時15分の7時間半をこの中で滞在するのは、少なからず暇である。この時間で、私は文庫本を1冊読破した。前日にブックオクで108円の単行本を買っておいて大正解だ。

島に入って初めて知ったのだが、この島は廃墟の巣窟でもある。高台にある二階建て鉄筋の建物はとっくに廃棄されている。部屋に入ると黒板があり、そこで初めて小学校であるとわかる教室の天井には燕が巣を作った形跡。音楽室跡に残された小太鼓には、「昭和42年青島小PTA」の文字。同じく廃棄された日本地図帳には昭和30年代発行とある。廃墟マニアにもお勧め。しかも、その更に上には中学校と思しき建築物。しかし道がない。っていうか、建物自体が緑色に覆われている。まるでラピュタの空中要塞(と言っては言い過ぎか)。結局、歩いて行けたのは小学校まで。

夜の野良猫の生態を見てみたいのであれば、島で一夜を過ごす手もあるかもしれない。ただし、宿はない(商店も自動販売機も無い島である)。また、船は往復で乗船券を販売しているし、船で行き・帰りの人数を管理している(朝の行きの便では乗船名簿への記載あり。夕方の帰り便では、バスガイドさんよろしく人数を数えていた)から、夕方の便で一人足りないとなったら確実にばれるし、翌日帰りの乗船券を買う時に「昨日はどこに泊まった」とかいろいろ聞かれるかも知れない。
言う間でもなく、青島での野宿は歓迎されないだろう。

これだけネットで話題になっているにも関わらず、なんでもすぐに地域振興だとか田舎の活性化に結びつける世の中で、全く商業化されていないことが逆に驚異ですらある。青島には商店や自動販売機の1つもないどころか、伊予長浜駅前や本土の港の待合所にも、青島猫グッズの一つも売っていない(っていうか、それ以前に、朝も、夕方本土に戻ったときも、待合所は開いていなかった。)。

元々青島が長浜町(現:大洲市)とのつながりが深いのだろうと推測するが、地図でみると、青島~長浜、青島~郡中(伊予市中心部)港の距離はほぼ一緒である。長浜が既にさびれていることを考えると、住んでいる老人の利便性を考えても、郡中港発着に切り替えた方がいいようにも思った。(それとも、今も長浜に住む人が、定期的に島に帰っているのだろうか。)いずれにしても、そう遠くない将来、青島は無人化し、まさに猫(と観光客)だけの楽園になるような気がした。