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強気のプーチンが涙したロシア大統領選 新政権の今後の課題、対日政策を読む

2012年06月02日 05時19分19秒 | Weblog

DOL特別レポート  【第249回】 2012年3月9日   北方領土問題対策協会理事 茂田 宏

 

3月4日行われたロシア大統領選挙では、事前の予想通りプーチン首相が当選し、返り咲いた。前回とは異なり、国内では反プーチンの世論も強まっている。これまでの業績を評価しつつ、プーチン政権の今後の課題、対日政策の行方を検証する。

大統領選の結果を
どう読むべきか

しげた・ひろし
1942年生まれ。1965年東京大学中退、外務省入省。ハーバード大学、モスクワ大学留学。1996年外務省国際情報局長、1997年総理府国際平和協 力本部事務局長、1999年在イスラエル大使、2002年国際テロ担当大使、2004年東京大学客員教授、2006年日本財団特別顧問、2008年北方領 土問題対策協会理事。主な編著書『日露・日ソ基本文書資料集』、訳書『インテリジェンス:機密から政策へ』

 3月4日行われたロシア大統領選挙では、プーチン首相が63.6%の得票を得て、当選した。共産党のジュガーノフが17.2%、無所属のプロホロフが8.0%、自民党のジリノフスキーが6.2%、公正ロシア党のミロノフが3.9%の得票であった。

 投票率は65.4%であった。

 プーチンは勝利宣言の際に涙を見せたが、この結果を喜んでいると思われる。プーチンは性格上、陰で権力をふるうのが得意で、選挙運動は得意ではない。

 プーチンは2000年3月の大統領選挙で52.9%の得票で当選し、2004年の選挙では71.3%の得票で当選した。しかしロシア憲法上、大統 領は連 続して2期しかやれないことになっているので、2008年にはメドヴェージェフを大統領にし、自らは首相になっていた。今回、再び大統領として返り咲くこ とになった。

 2008年11月、メドヴェージェフ大統領はロシア憲法の改正を行い、これまで4年であった大統領の任期を6年に延長した。今回の選挙で選ばれる 大統領からこの任期が適用されるので、プーチンの任期は2018年までになる。2018年の選挙でプーチンが勝てば、更に2024年までプーチンは大統領 にとどまりうることになる。異例の長期政権の可能性が開かれたと言える。

 この選挙は公正な選挙であったのか否か。OSCE(欧州安保協力機構)は「重大な問題があった」との声明を発表し、野党も不正を指摘、不正糾弾デモも行われた。

 選挙の不正の有無は今後明らかになろうが、この選挙は国民に真の選択肢を与えるものではなかったと言えるだろう。リベラル派政党であるヤブロコの ヤブリンスキーが、候補推薦名簿の不備を理由に立候補を阻止され、カシアノフ元首相も政党登録ができず出馬できないなど、立候補者の絞り込みが行われた。

 プーチンはこれまで政敵を排除してきた。今回の選挙でも本当の意味での対抗者の立候補を阻止してしまった。信任投票のような選挙であったと言える。

勝利宣言の際に
なぜ涙を見せたのか

 そういう状況の中で、63.6%の得票をしたことで、プーチンが涙を浮かべるほどに喜んだのは何故なのか。2004年の得票率71.3%、さらに2008年のメドヴェージェフの得票率71.2%より低い得票率でしかないのに、どうしてかくも喜んだのか。

 これはプーチンの人気が国民の間で落ちてきていること、そのことをプーチン自身が痛いほど感じているからではないかと思われる。

 昨年9月24日統一ロシアの党大会で、メドヴェージェフ大統領はプーチンを次期大統領候補として推薦し、プーチンが受け入れた。この際メドヴェージェフは、プーチンといわゆるタンデム政権を組んだ時から、そうするという約束があったことを明らかにした。

 国民からは、これはプーチンが政権を私物化している、国民が選ぶべき大統領を二人の間で決めるなど、有権者をばかにしているとの強い反発を呼ん だ。昨年11月20日、プーチンは格闘技の会場に現れ、勝利者をたたえるためにリングに上ったが、2万人を超える観客から、出て行けとの大ブーイングを受 けた。プーチンは思わぬ出来事に、声を震わす場面があった。

 そうしたなかで昨年12月4日、下院選挙が行われた。プーチンが党首を務める統一ロシアは49.5%しか得票できなかった。議会の過半数は得た が、議席数を450議席中、315から238へと大幅に減らした。その上、この下院選挙が操作されていたという抗議のデモが、大都市を中心に巻き起こっ た。プーチンがこれを外国からお金をもらってデモをしているなどと非難し、火に油を注ぐような言動をしたために、デモは反プーチン・デモになった経緯があ る。

 そんな中での大統領選挙であったから、第1回投票での63%余の得票は、プーチンにとり有難かったということである。

 なおモスクワでのプーチンの得票率は47.0%であった。今後は地域別にプーチンの得票率を分析する必要がある。プーチンが中産階級に見放され始めたという観察が正しいかどうか、そういう分析で明らかになるだろう。

民主主義は後退し
経済の近代化には失敗

 メドヴェージェフ大統領時代も、実質的にロシアを指導していたのはプーチンであった。したがって、プーチン政権は2000年以来ずっと今日まで続いて来たと言える。このプーチン政権の業績はどう評価すべきか。あまり高い評価は与えられない。

 政治的には、民主主義が後退し、地方の知事は選挙ではなく任命制になった。マスメディアの自由も減った。議会も翼賛議会化した。司法の独立や法の 支配を確立するのではなく、明らかに後退させた。ロシア屈指の石油会社だったユーコスを破たんさせ、その所有者ホドルコフスキーへの2度にわたる有罪判決 が、そのことを雄弁に示している。そのなかで汚職の蔓延があり、強権政治になった。

 経済的には、ロシアは石油・ガス輸出に依存する経済から脱却することに失敗した。近代化は掛け声倒れに終わった。ロシアを「木の生えたサウジアラビヤ」と揶揄する人もいるが、あたらずとも遠からずと言える。

 国際政治の用語に「資源の呪い」という言葉がある。これは、資源国は資源が値上がりすれば大きな収入を得られるため、努力して小さく儲けていく工業を発達させられないことを意味するが、ロシアは今なお、この「資源の呪い」にかかっている。

 さらに国家が経済に占める割合を大きくし過ぎた。公務員の数がエリツィン時代に比しほぼ倍増しているし、国家予算のGDP比は40%にも達する。効率的な経済ではない。

 社会的には、国民の間に「停滞のムード」がある。政治的意見表明の場が抑えられ、起業をしようと思うと賄賂をあちこちに配らなければならない。こ ういう状況のなかで、若者はロシア国外への移住を希望するものが多い。人口は減少してきている。ロシア人男性の平均寿命は2009年で62.8歳でしかな いことが、社会の病理を示している。

 プーチンはエリツィンから混乱したロシアを引き継ぎ、それを安定させた、経済も改善したとされている。これはその通りであるが、その多くは石油・ガス価格の上昇によるものであって、ロシア経済が近代化され、強くなったとは言えない。

 その証拠に、リーマンショックによるロシア経済の落ち込みはひどかった。人々が生き生きと、イノベーションを起こすような国にロシアがなっている のかというと、そうではない。人間は安定のない時には安定を求めるが、安定だけで満足できるわけではない。プーチンは安定をもたらす役割を果たしたが、そ の果たすべき歴史的役割を果たしてしまった人にさえ見える。

 日本人は、ロシアが大国で、日本は小国であると考える癖がある。北方領土問題などを考える際にも、強大なロシアに小さな日本が島を返してと哀願しているように考えがちであるが、そうではない。

 ロシアの国内総生産(GDP)はIMFの2010年の数字をみると、日本の3.5分の1しかない。経済力でいえばロシアを3つ以上合わせても、日本より小さいということを意識しておくのが適切である。

プーチン政権の今後
変化しなければ行き詰まる

 プーチンが正式に大統領になるのは今年の5月である。しかし、今でもプーチン主導政権であり、5月の就任を大きな節目とする理由はない。

 ロシアの現状を踏まえると、これまでのやり方を継続していくだけではプーチン政権は行き詰るし、ロシアも行き詰るだろう。変化が必要である。

 プーチンは1月に入り、ロシア紙に7つの政策論文を発表した。地方の首長の公選制復活、汚職の撲滅、軍事力の増強など、いくつかの政権公約がなさ れている。対外的には大国主義路線、強いロシア路線である。国内的には汚職の撲滅、国家の役割を縮小する産業の非国営化、政治の若干の民主化などを約束し ている。

 プーチンがこれらの課題を果たしていくことはできるのであろうか。

 ロシアの今の経済力で、強いロシア、大国としてのロシアを実現し、維持していくことは難しい。さらにプーチンの反欧米志向は、ロシアを中国と歩調を合わせる「中国のジュニア・パートナー」的な国にしてしまいかねない。

 国内での汚職の撲滅もなかなか困難であろう。ロシアでは上層部は身ぎれいであるが、下僚に問題があるというわけではない。レント・シェアリングというシステム(※)が出来ており、プーチンの仲間が私欲のためにそれを利用している。そのシステムがプーチン政権の基盤になっている面がある。プーチンがこれにメスを入れられるのか、疑問がある。

 政治の民主化も一部の国民が期待するほど行えない可能性の方が強い。プーチン政権は、今後、困難な政権運営をせざるを得ないと見るのが常識的であろう。

 プーチンを名指しで批判することは既にタブーではなく、プーチンのカリスマ性はなくなっている。プーチンには、ロシアの国民の声に耳を傾け改革を 行っていく道と、反対派を弾圧して静謐(せいひつ)を保っていく道がある。プーチンは後者の道をとり、事態をより悪化させてしまう怖れが十分にある。

※プーチンをトップとするエリート層による、余剰収益の分配システム

対日政策が変わると
期待するのは間違い

 プーチンが5月に大統領に就任した後、対日政策、特に領土問題の解決に向けて動くのではないかとの意見がある。メドヴェージェフが、日本側の反対にもかかわらず国後島訪問を強行したのに対し、プーチンはそういうことをしていないと指摘されている。

 こういう意見は、ロシアの内政についての誤解と、プーチンの領土問題に対する考え方についての誤解に基づいている。

 プーチンは、部下であるメドヴェージェフが大統領を務めていた時期を含め実力者であった。プーチンとメドヴェージェフの対日政策に差があろうはずがないのであって、その差に期待するというのは間違いである。

 プーチンはこれまで、1956年の日ソ共同宣言で約束されている歯舞、色丹を平和条約締結後に日本に返すと言っているが、国後、択捉については、 ロシアの領土として確定しているとの考え方を再三表明している。これでは北方領土問題の解決につながるわけはなく、1956年以来の対立を繰り返すだけで はないかと思われる。

 選挙の前の3月1日、プーチンは朝日新聞の若宮啓文氏を含む海外メディアに対し、日露間の領土問題を最終的に決着させたい、双方に受け入れ可能な解決で「引き分け」にしたい、大統領就任後に両国外務省をテーブルに着かせ、「はじめ」の号令をかけたいと述べた。

 日本側としては、このプーチンの領土問題解決意欲はそれなりに受け止め、歓迎し、協議に臨むべきであろう。プーチンは2島返還で最終決着を望んで いると思われるが、それを越えたことを考えているのかどうかを確かめる必要がある。日本としては、4島への日本の主権の確認を要求していくということであ ろう。

 日露間の領土問題は、2島か4島かの問題ではなく、その帰属が国際的に決まっていない千島と南樺太の帰属を最終的に決める問題でもある。日露両国 が基本に立ち返って話し合えば、勝者も敗者もない解決は可能であろうと私は考えているが、日本側がこれまで行ってきた正統な要求を取り下げて、安易な妥協 をするくらいなら、解決しないままにしておく方が日本の国益に沿うと考える。

http://diamond.jp/articles/print/16500


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