2月11日、旦那の転勤赴任に遅れること3ヶ月、やっと私も渡米する日になりました。
思えば結婚を決めてから、本当に怒涛のスケジュールだった。
☆4月
結婚を決意。(この頃から渡米の可能性がちらほら)
☆5月
(お互い)自分の家族に結婚の意思を伝える。
☆6月
双方の実家に挨拶。
イタリアやらポーランドやら海外出張。
☆7月
やっと渡米(ほぼ)確定。
インドやら南アやら海外出張。
この頃、会社に退職の意思を伝える。
☆8月
結納。そこで急きょ渡米前に結婚式もすることに。
☆9月
結婚式準備。ダイエットとエステ通い。
☆10月
結婚式。
結婚式に来られなかった鳥取の祖父母を二人で訪問。
☆11月
結婚式に来られなかった北海道の旦那の祖父母を二人で訪問。
そして旦那は先に渡米。
☆12月
退職が迫り、仕事に追われる日々。
メキシコやらコスタリカやら海外出張。
そんな中での北陸ゴス旅は癒しだった。
☆1月
ついにカウントダウンとなり、いよいよ仕事に追われる日々。
加えて、有難くも超ハードな送別会スケジュールに追われる日々。
更に免許のAT限定解除のため教習通いの週末。
寝不足、暴飲暴食、精神的負荷(悪い意味じゃないけど)により疲労困憊。
でも名残惜しみつつも温かく送り出してくれたたくさんの方に心から感謝。
そして最後のご褒美として苗場ゴス旅。楽しすぎた。
☆2月
1月末で東京の部屋を引き払い、一旦大阪の実家へ。
関西の友人、鳥取の祖父母、会いたい人に会う毎日。
あと、銀行口座とか保険とか、必要な手続き関連をせっせと。
改姓、住所変更、でも東京から転出届出しちゃってるし…と、意外と面倒なことが多かった。
そして迎えた2月11日でした。
当日は、早朝の関空からまずは成田へ。
両親が関空まで見送りに来てくれました。
特に母は涙もろい人で、ずーっと我慢してるのが丸わかり。
自分の人生、前を向いて思うがままに、とは言えど、両親を残して旅立つ自分が果たして正しいのかどうか、
答えなどないと思ってはいますが、切なくなる気持ちは拭えません。
成田までは、これまた旦那の転勤で大阪から東京へ引っ越すことになった妹が、
見送りがてら&東京の住まいの整理がてら、一緒に来てくれました。
そして妹と成田でお別れ。
寂しいけれど、二人とも嬉しい理由で旅立つんだから、と笑顔で別れました。
成田から目指すはアメリカ・シカゴ。
会社規定でビジネスクラスだったので、シートも食事も快適そのもの。
ゆったりと12時間の空の旅を楽しみました。
出発した関空も成田も快晴で、到着したシカゴも快晴で。
まさに旅立ちの日にふさわしく、とても気持ち良かったです。
先に赴任した旦那から、シカゴはイミグレも税関も混むよ~と言われていたものの、
どちらも私が先頭切る勢いでガラ空きだったし、次の搭乗ゲートを確認してから
ラウンジに落ち着いたのは、乗継便出発の2時間も前のことでした。
と、ここまでは余裕だったのですが。。。
乗継便が何度もゲートを変更し始め、やっとたどり着いたゲートでは出発時刻の変更変更。
旦那からのメールで到着地が大雪と知らされ、何かいやーな予感はしていたのですが、
結局、そのいやーな予感が的中するという残念な結果になってしまいました。
乗継便が欠航になり、次の便に振替えられたものの、すぐにその便も欠航が決まり。
それ以降、当日中に乗れる便はすべて欠航が決まり、シカゴ足止めが決定したのでした。
ということで、まずはホテルの手配。
幸い、航空会社のディスカウント料金で泊まれるホテルを紹介されたので、
自分で探す気力も能力も正直持ち合わせてなかったし、即そのホテルを予約しました。
次は一旦預けた荷物のキャンセルと引き取り手配。
これが結構やっかいで、どこかのカウンターに申し出て荷物を引き取るイメージだったんですが、
「9番レーンにしばらくしたら流れてくるから勝手に持って行って」というシステムで。
やむなくレーン横で待ちぼうけながら、
「ほんとに流れてくるんだろうか」
「私がこのレーンにたどり着くまでの間に、すでに誰かが勝手に持ってっちゃってたりしないだろうか」
「どこか別の便に乗せられてしまってないだろうか」
と、このときばかりは本当に不安で仕方なかったです。
結局、待つこと1時間。荷物は出てきませんでした。
やっぱりおかしい!と思い、間にも何回か状況を聞きに行ったカウンターに再度申し出ると、
「もしかしてこの荷物かしら?」と、カウンター横に置いてある見覚えのあるスーツケースを指さすおばさん係員。
「これです!これ私のです!!これをずーっと待ってたんです!!!」
怒りなのか喜びなのか安堵なのか、わからないけどとにかく大興奮で荷物に駆け寄る私に、
「私が先に取っといてあげたのよ~」なんて得意げに言うおばさん係員。
「ウソだろ!じゃあなんでさっき私が聞いたときに教えてくれなかったんだ!絶対この荷物に気づいてなかったろ!」
とは思いましたが、もうそんなことどうでもよくって、とにかく荷物が手元に戻ったのが嬉しくて、
「サンキュー。バイバイ。」と、その場を去った私は我ながら大人でした。
でかいスーツケース2つを引きずりながら、空港近くのホテルにチェックインしたのは午後2時すぎ。
空港到着が午前7時半だったから、気付けば7時間も経過していました。
安心したらさすがにお腹も空いていて、空港で買ってきたSUBWAYの美味しかったことったらなかったです。

その後、旦那が車を飛ばしてシカゴまで来てくれました。
片道6時間、東京⇔大阪くらいの距離かな。
ホテル予約もできたし、翌朝便も確保できたし、来てくれなくても大丈夫な状況には何とかなっていましたが、
やっぱり一人は心細かったかし、正直来てくれてホッとしました。
~つづく~
思えば結婚を決めてから、本当に怒涛のスケジュールだった。
☆4月
結婚を決意。(この頃から渡米の可能性がちらほら)
☆5月
(お互い)自分の家族に結婚の意思を伝える。
☆6月
双方の実家に挨拶。
イタリアやらポーランドやら海外出張。
☆7月
やっと渡米(ほぼ)確定。
インドやら南アやら海外出張。
この頃、会社に退職の意思を伝える。
☆8月
結納。そこで急きょ渡米前に結婚式もすることに。
☆9月
結婚式準備。ダイエットとエステ通い。
☆10月
結婚式。
結婚式に来られなかった鳥取の祖父母を二人で訪問。
☆11月
結婚式に来られなかった北海道の旦那の祖父母を二人で訪問。
そして旦那は先に渡米。
☆12月
退職が迫り、仕事に追われる日々。
メキシコやらコスタリカやら海外出張。
そんな中での北陸ゴス旅は癒しだった。
☆1月
ついにカウントダウンとなり、いよいよ仕事に追われる日々。
加えて、有難くも超ハードな送別会スケジュールに追われる日々。
更に免許のAT限定解除のため教習通いの週末。
寝不足、暴飲暴食、精神的負荷(悪い意味じゃないけど)により疲労困憊。
でも名残惜しみつつも温かく送り出してくれたたくさんの方に心から感謝。
そして最後のご褒美として苗場ゴス旅。楽しすぎた。
☆2月
1月末で東京の部屋を引き払い、一旦大阪の実家へ。
関西の友人、鳥取の祖父母、会いたい人に会う毎日。
あと、銀行口座とか保険とか、必要な手続き関連をせっせと。
改姓、住所変更、でも東京から転出届出しちゃってるし…と、意外と面倒なことが多かった。
そして迎えた2月11日でした。
当日は、早朝の関空からまずは成田へ。
両親が関空まで見送りに来てくれました。
特に母は涙もろい人で、ずーっと我慢してるのが丸わかり。
自分の人生、前を向いて思うがままに、とは言えど、両親を残して旅立つ自分が果たして正しいのかどうか、
答えなどないと思ってはいますが、切なくなる気持ちは拭えません。
成田までは、これまた旦那の転勤で大阪から東京へ引っ越すことになった妹が、
見送りがてら&東京の住まいの整理がてら、一緒に来てくれました。
そして妹と成田でお別れ。
寂しいけれど、二人とも嬉しい理由で旅立つんだから、と笑顔で別れました。
成田から目指すはアメリカ・シカゴ。
会社規定でビジネスクラスだったので、シートも食事も快適そのもの。
ゆったりと12時間の空の旅を楽しみました。
出発した関空も成田も快晴で、到着したシカゴも快晴で。
まさに旅立ちの日にふさわしく、とても気持ち良かったです。
先に赴任した旦那から、シカゴはイミグレも税関も混むよ~と言われていたものの、
どちらも私が先頭切る勢いでガラ空きだったし、次の搭乗ゲートを確認してから
ラウンジに落ち着いたのは、乗継便出発の2時間も前のことでした。
と、ここまでは余裕だったのですが。。。
乗継便が何度もゲートを変更し始め、やっとたどり着いたゲートでは出発時刻の変更変更。
旦那からのメールで到着地が大雪と知らされ、何かいやーな予感はしていたのですが、
結局、そのいやーな予感が的中するという残念な結果になってしまいました。
乗継便が欠航になり、次の便に振替えられたものの、すぐにその便も欠航が決まり。
それ以降、当日中に乗れる便はすべて欠航が決まり、シカゴ足止めが決定したのでした。
ということで、まずはホテルの手配。
幸い、航空会社のディスカウント料金で泊まれるホテルを紹介されたので、
自分で探す気力も能力も正直持ち合わせてなかったし、即そのホテルを予約しました。
次は一旦預けた荷物のキャンセルと引き取り手配。
これが結構やっかいで、どこかのカウンターに申し出て荷物を引き取るイメージだったんですが、
「9番レーンにしばらくしたら流れてくるから勝手に持って行って」というシステムで。
やむなくレーン横で待ちぼうけながら、
「ほんとに流れてくるんだろうか」
「私がこのレーンにたどり着くまでの間に、すでに誰かが勝手に持ってっちゃってたりしないだろうか」
「どこか別の便に乗せられてしまってないだろうか」
と、このときばかりは本当に不安で仕方なかったです。
結局、待つこと1時間。荷物は出てきませんでした。
やっぱりおかしい!と思い、間にも何回か状況を聞きに行ったカウンターに再度申し出ると、
「もしかしてこの荷物かしら?」と、カウンター横に置いてある見覚えのあるスーツケースを指さすおばさん係員。
「これです!これ私のです!!これをずーっと待ってたんです!!!」
怒りなのか喜びなのか安堵なのか、わからないけどとにかく大興奮で荷物に駆け寄る私に、
「私が先に取っといてあげたのよ~」なんて得意げに言うおばさん係員。
「ウソだろ!じゃあなんでさっき私が聞いたときに教えてくれなかったんだ!絶対この荷物に気づいてなかったろ!」
とは思いましたが、もうそんなことどうでもよくって、とにかく荷物が手元に戻ったのが嬉しくて、
「サンキュー。バイバイ。」と、その場を去った私は我ながら大人でした。
でかいスーツケース2つを引きずりながら、空港近くのホテルにチェックインしたのは午後2時すぎ。
空港到着が午前7時半だったから、気付けば7時間も経過していました。
安心したらさすがにお腹も空いていて、空港で買ってきたSUBWAYの美味しかったことったらなかったです。

その後、旦那が車を飛ばしてシカゴまで来てくれました。
片道6時間、東京⇔大阪くらいの距離かな。
ホテル予約もできたし、翌朝便も確保できたし、来てくれなくても大丈夫な状況には何とかなっていましたが、
やっぱり一人は心細かったかし、正直来てくれてホッとしました。
~つづく~