玄洋社頭山満の盟友杉山茂丸の孫龍丸氏。
今でいう非政府系組織をいち早く立ち上げて
インドの深刻な緑化に没頭したことは有名ですが、
一方では企業家でもあったようで、
「博多人形に革命を起こす」といい
プラスティック素材の博多人形を
開発する会社を立ち上げたりしていました。
祖父茂丸氏は後に中国革命の父となった孫文を
日本亡命中にかくまうなど、アジアの政局に深く係わっており、
息子泰道(夢野久作)の整理した茂丸氏50代の日記には
海外の知人向けに博多人形を贈っていたことが書かれています。
龍丸氏も台湾やインドに博多人形を郷土福岡の土産として
贈っていたようですが、いかんせん素焼の製品はいかにも脆く、
そのような背景でプラスティック素材の博多人形を
会社を立ち上げてまで作ろうとしていたのでしょう。
当然、博多人形業界からは反対されて原型を製作することが出来ず、
彫刻家安永良徳に人脈を頼って事業を進めようとしたようです。
残念ながらこの事業からは芽が出ませんでした。
今でいう非政府系組織をいち早く立ち上げて
インドの深刻な緑化に没頭したことは有名ですが、
一方では企業家でもあったようで、
「博多人形に革命を起こす」といい
プラスティック素材の博多人形を
開発する会社を立ち上げたりしていました。
祖父茂丸氏は後に中国革命の父となった孫文を
日本亡命中にかくまうなど、アジアの政局に深く係わっており、
息子泰道(夢野久作)の整理した茂丸氏50代の日記には
海外の知人向けに博多人形を贈っていたことが書かれています。
龍丸氏も台湾やインドに博多人形を郷土福岡の土産として
贈っていたようですが、いかんせん素焼の製品はいかにも脆く、
そのような背景でプラスティック素材の博多人形を
会社を立ち上げてまで作ろうとしていたのでしょう。
当然、博多人形業界からは反対されて原型を製作することが出来ず、
彫刻家安永良徳に人脈を頼って事業を進めようとしたようです。
残念ながらこの事業からは芽が出ませんでした。