『筑前国続風土記』
「白山権現社
久原村白山の上にあり。高山也。
白山権現を祭る。十一月初めの卯日に祭あり。
昔は大社にて、社僧の寺院の総号を白山頭光寺泉盛院
と号して、天台宗なり。
僧坊は本谷に百坊、西谷百坊、山王五十坊、別に百坊、
凡四所に僧坊三百五十区有しと云。其むかしの址を尋ね見るに
けにも土民の云伝へし如く、三百五十坊もありつかんと見えて、
所々僧坊の旧跡おびただしく広し。皆荒野となれり。
座主の坊を大石坊といひしかや。中にあるを本谷と云。
西なるを西谷とし、東にあるを別所と号せしかや。
其址山中所々に多く、石の塔なと残りしところもあり。
(つづく)
「白山権現社
久原村白山の上にあり。高山也。
白山権現を祭る。十一月初めの卯日に祭あり。
昔は大社にて、社僧の寺院の総号を白山頭光寺泉盛院
と号して、天台宗なり。
僧坊は本谷に百坊、西谷百坊、山王五十坊、別に百坊、
凡四所に僧坊三百五十区有しと云。其むかしの址を尋ね見るに
けにも土民の云伝へし如く、三百五十坊もありつかんと見えて、
所々僧坊の旧跡おびただしく広し。皆荒野となれり。
座主の坊を大石坊といひしかや。中にあるを本谷と云。
西なるを西谷とし、東にあるを別所と号せしかや。
其址山中所々に多く、石の塔なと残りしところもあり。
(つづく)