採燈師に続き参加の行者たちも九字を切り願文の書かれた乳木を火に投げ入れます。
外護摩は煙の行ともいえます。
桧の枝で覆われた護摩壇の天井部から白龍が現れます。
採燈師が九字を切って木ぎれを壇に投入します。
いよいよ炎が現れると、壇を覆う桧の枝を引き下ろし
壇の木組みが顕わにされます。
採燈師はさらに九字を切って願文の入った乳木を豪火に投入し始めます。
護摩壇の周辺で法弓の儀、法剣の儀、斧の儀、閼伽の儀、法螺の儀
などが次々に繰り広げられます。
法螺の儀と並行して神火から松明に火が移されます。
採燈師が願文を読み上げるといよいよ護摩壇の下部に松明が差し込まれ
じょじょに白煙が壇の天井部と底から流れ出します。
稚児を先頭にした隊列が竈門神社ご本殿の階段下まで至った後
山伏の一行は採燈師を先頭に結界の外を右回りに半周し
採燈師が真言を唱え結界の縄を切って入場します。
続いて結界の入り口で山伏問答が繰り広げられ
客役の山伏が入場して場が整います。
神社本殿より神火を神官が運び出します。
結界内に設えられた祭壇の燈火に火が移されます。
まさに宝満山の祭祀は神仏が一体となった形として行事がおこなわれていることが実感されます。
法螺が鳴り響き、いよいよ護摩供の開始です。
平成27年5月31日 予定通り竈門神社での大護摩供がおこなわれました。
朝9時前から宝満山修験会の山伏が集まり
前日までに準備した結界の中を清めます。
今回は壇の前に桧の枝葉で3つの座が設えてあります。
今回は縁故の行者さんの供養のため護摩供の前に
特別に壇前作法が行われました。請願が読み上げられ勤行が厳かにおこなわれます。
作法が終わり、しばらくして社務所前にて本日の役割の確認が行われました。
お稚児さんを交えていつもの記念撮影です。
カメラマンは参道のみどりやさんです。
社殿では奉告祭がとりおこなわれ、筑前琵琶福岡旭会の米村旭翔会長による
「宝満山」が神前で朗々と謳いあげられます。
いよいよ護摩供の始まりです。
つづく
今日は朝9時に竈門神社の原、内山、北谷の氏子代表の方と
宝満山修験会のメンバー、神社の神官さんとで原と北谷に分かれて
護摩壇の材料である桧とその枝を切りだす作業をしました。
毎年暑い盛りになりつつある気候で準備はなかなかに大変です。
協力いただける氏子さんの森が道に近かったので
クルマを横付けして道端で作業開始です。
午前中で約20束の枝、1.2mに切りそろえた丸太約30本を回収してお宮に運び込みました。
明日まではお天気が持ちそうですが・・・・祈るばかりです。
今回の調達は二手に分かれ、取材は北谷の「オッゴヤ」という畠と山の境に行きました。
「オッゴヤ」は字台帳では「奥小屋」となっています。
護摩壇は桧でつくられます。
桧は枝のついた形のものも、葉先だけのものも準備します。
丸太は伐採した木の径が20~30cm程度の太さの部位を130cmほどに切りそろえます。
伐採木だけでなく枝打ちした材も必要です。
樹上のひとは杣人ではありません。れっきとした神職さんです。
毎年の行事の積み重ねのたまもので、それぞれが粛々と段取りをこなして
お昼には軽トラック6杯分の枝と丸太の調達が終了しました。
宝満山の竈神社でおこなわれる採燈大護摩供は
5月27日(日)10時30分より催行されます。
信者さんや当日の参加者から託された願文を入れた乳木が
護摩壇の周りに持ち込まれました。
行者が宝剣で乳木に切り込みを入れる所作をして
真言を唱えながら次々と炎の中にそれを投じます。
壇を覆っていた枝葉が落とされ、
護摩壇は丸太の木組みのみになりました。
先達は又木と桧扇でさらに炎を煽ります。
白紙が巻かれ、水ひきでくくられた特別な乳木が
大先達の手元で短剣により一刀を加えられ、
護摩壇に投げ入れられます。