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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 368 中欧②

2023-10-21 13:19:22 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


368 イシュトヴァーンのされかうべに吾れも会ふべくやあやしざわめく人に蹤きゆく

    (レポート)
 ハンガリーにキリスト教をもたらした建国王である「イシュトヴァーンのされかうべ」へとこわいものみたさのざわめきであろう。しかしここで「されかうべ」にこだわるのだが、イシュトヴァーンの右手のミイラは聖イシュトヴァーン大聖堂に保存されている「されかうべ」ではない。これは当時演じられていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という演劇の題名ではないか。ならばそれを何かの括弧でくくってもよさそうなのにと思うのだが、どうであろう。(慧子)


   (当日発言)
★「あやし」はどこに掛かるのか、分かりにくい。(藤本)
★下に掛かっていくと考えたらどうか。(鈴木)
★終止形だからここで切れているんだけど、意味の上では上下どちらにも掛かるので
 は。ところで、「イシュトヴァーンのされかうべ」はどこにあるのだろうか。「イ
 シュトヴァーンのされかうべ」がここに陳列されているわけではないが、流行の演
 劇に引っかけてしゃれているのではないか。だから「あやし」と言っているのでは
 ないか。(鹿取)


      (まとめ)
  Wikipediaによると、「一〇三八年、ハンガリー王国の礎を築いたイシュトヴァーンは他界し、その遺体はブダペストの西方にあるセーケシュフェヘールヴァールの大聖堂に埋葬された。現在は、この都市にイシュトヴァーン博物館が置かれている」そうだ。また、「遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、一七七一年マリア・テレジアによってブダに戻された」ということである。すると、聖イシュトヴァーン大聖堂には右手のみがあり、セーケシュフェヘールヴァールの大聖堂には右手の無い遺体が収められていることになる。セーケシュフェヘールヴァールはブダペストからは離れた場所にあり、ブダでは「イシュトヴァーンのされかうべ」には会えない。
 レポーターのいうように現地で上演されていた「イシュトヴァーンのされかうべ」という流行の演劇を観に行ったのかもしれない。あからさまに括弧でくくるとつまらないので、わざと括弧なしで韜晦を試みたのか。そうすれば「あやし」も生かされる。
 ちなみに、ウラル山脈あたりに住んでいたマジャル民族が西進してこの地に住み着いたのがハンガリーの起こりだそうだが、その部族長アールパードを「伝説の鳥」が生んだと伝えられている。初代国王イシュトヴァーンはその子孫にあたるそうだ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 367 中欧②

2023-10-20 12:11:19 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


367 影響力少なきゆゑ伝承は安らけし漁夫の砦に菩提樹は散る

      (当日発言)
★何の影響だろうか、分からない。(藤本)
★同じようなことがいつの世も繰り返されていることを言っているのか。(崎尾)
★「漁夫の砦」に残されている伝承は、それほど大事件では無かったので、いまは静か
 な風景の中にあって安らかに菩提樹が散っているということだろうか。(鹿取)


     (まとめ)
 「伝承は安らけし」は、遙か昔だから安らかなのか、もともとそれほど残虐なことがらではなかったのか。あるいは、非常に残虐な事柄があったのだけれど、その言い伝えは少人数にしか伝わらなかったので、安らかなものとして今日には残っているということか。十三世紀、モンゴル軍は残虐を極めたというし、ナチスやソ連軍のこともまだ近い過去である。とても「安らけし」とは振り返れないだろう。365番歌「旅人は何を見るべきただ静かなハンガリーの秋を漁夫の砦に」、366番歌「ドナウ川秋がすみせり漁夫の砦にたたかひし漁民のことも忘れつ」などから考えると、何か伝承を外れた忌まわしい過去を作者は見ようとしているのだろう。(鹿取)   
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馬場あき子の外国詠 366 中欧②

2023-10-19 10:54:10 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


366 ドナウ川秋がすみせり漁夫の砦にたたかひし漁民のことも忘れつ

      (当日発言)
★素朴な建物。近くには弾丸の跡がたくさんあった。(N・K) 
★「忘れつ」と言っても忘れてはいない。「花も紅葉もなかりけり」と同じで一度見せ
 てから打ち消す効果。(鈴木)


       (後日意見)(2015年7月改訂)(鹿取)
 「漁夫の砦」は1902年に完成した。名称は中世に漁業組合が王宮を守る任務を帯びていたことに由来する説を採ると、「漁夫の砦」自体は戦いと直接は関係がないようだ。N・Kさんの発言にある砦近くの弾丸の跡はいつの戦いのものだろうか。①ハンガリー動乱でソ連軍が侵攻してきた時か。②ナチス・ドイツがブダペストを砲撃した時か。数首後にハンガリー動乱を詠った歌が何首かあるので①かもしれない。
 しかし、ここでは特定の戦いに限定する必要はなく、秋がすみがたつドナウ川は視界を遮られており、そのかなたにぼうぼうとして過ぎ去ったいくつかの戦いを思っているのかもしれない。今現在の空間的把握の難しさから、過去の時間を遡って思っているところが面白い。春がすみのかなたに歴史上の大和のもろもろを透視している前川佐美雄の次の歌に通うところがある。   
 春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 『大和』前川佐美雄
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馬場あき子の外国詠 365 中欧②

2023-10-18 23:04:24 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


365 旅人は何を見るべきただ静かなハンガリーの秋を漁夫の砦に

     (レポート)(慧子)
漁夫の砦:ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建立された、数個の尖塔と廻廊。砦
      といっても闘いに使われたものではなく、マーチャーシュ教会を改修した
      建築家シュレックが街の美化計画の一環として建造した。この名はかつて
      ここに魚の市がたっていたことや、城塞のこのあたりはドナウの漁師組合
      が守っていたいたことなどから付けられた。白い石灰石でできた建物自体
      も幻想的で美しいが、ここはドナウ川と対岸に広がるペスト地区を一望で
      きる絶好のビューポイント。(「地球の歩き方」)

     (当日発言)
★1、2句が眼目。最初から風景に入っていくのが普通の歌い方だが、ここで気分をし
 らしめている。一呼吸おいてから焦点を絞っていく見せ方。(鈴木)
★「ハンガリー」と大きく出ているところがおもしろい。(鹿取)
 

     (後日意見)(2013年10月)
 例えば「ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢」など一連の終わりの方の歌を読むと、365番歌の初句と2句がそれらの終わりの方の歌の伏線になっているのが分かる。つまり漁夫の砦からはドナウ川に沿って美しい町並みが広がっている。静かな秋の景観に旅人である〈われ〉はうっとりしてしまう。しかし美しい景観の背後にはハンガリー動乱はじめ歴史上の戦いの傷が隠されているのだ。〈われ〉はそれを見なければならないし、見ようと思う。それら戦いの記憶に、(たとえ戦さに使われたものでなかったとしても)「漁夫の砦」という名称の選びは意識の中で繋がっているのだろう。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 133

2023-10-17 09:51:52 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研 15 (14年5月)まと
    【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
     参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
             

133 ジェット気流に透かされている天つ空 恐竜はかくさみしかりしか

     (発言)(2014年5月)      
★あんな大きな恐竜が淋しかったように、父親もきっとさみしかったんだろうなと詠っ
 ている。(曽我)
★恐竜がなんでさみしかったかというと、曽我さんが言ったように体がでっかいからな
 んだろうね。あれだけでっかい体をもっているけど、ジェット気流には届きそうで届
 かない。お父さんを前提に読むとさらによくなりますね。(鈴木)
★体が大きくて生臭くて、先行する何首かの父と恐竜は重なる点が多いですね。(四宮)
★お父さんの連想で 恐竜が出てきて、お父さんと恐竜は重なってはいるんでしょう
 が、「かく」は「このように」だからジェット気流を通して空を見てさびしいのはま
 ず〈われ〉。それで恐竜もこんなふうにさびしかったんだなあと思っている。(鹿取)
★佐々木実之さんが恐竜は引きずっている太いしっぽが痛かったので滅びたんだという
 ようにうたっていて、それも痛ましい思いがしたんですけど。ついでにいうと、気象
 変動で恐竜が滅びたというのは通説ですけど、断定はされてないようですね。(鹿取)
★「透かされている天つ空」ってどうも気持ちわるいんですが。「いる」、「あまつそ
 ら」という音の並びが気持ち悪いんです。ウの音とツの音が続いているのが辛くて気
 持ち悪い。どうして天つ空を最初にもってこないかなあと。(四宮)
★「天つ空ジェット気流に透かされている」だとだらだらした感じになるなあ。あと、
 恐竜の直前に「天つ空」の語が来るのは大事なことだと思う。(鈴木)
★透かされて「おり」だったら音の続き具合はまだ納得ができる。すみません、勝手な
 こと言って。(四宮)
★いや、四宮さんの言っている感覚はちょっと分かる気がします。音韻に敏感になるこ
 とは詩人にとってとても大事なことで、歌作るときに役立つと思いますよ。(鹿取)


       (まとめ)(2014年5月)
  鹿取発言中の実之さんの歌は〈恐龍は引きずりて行く太き尾の痛きゆゑ滅びたるにあらずや〉(佐々木実之『日想』)、歌集巻頭の「日想」の章にある。ある意味荒唐無稽だが、恐龍の太き尾に仮託された自意識が何とも痛ましい歌である。
 恐竜も父も大きいからよけいにさびしい、という意見が出たが、渡辺松男の「日常宇宙」(「かりん」1997年2月号)という評論に次のような興味深い記述があるのを思い出した。(鹿取)
                     
 【丁田隆の〈ざっぷりとプランクトンを食みながら淋しさをを言うことばを持たず〉に触れて「……鯨のことを詠んでいる歌である。鯨がプランクトンだけで生きているとは思えないが、小魚やその他のものと一緒に無数のプランクトンも口に入るのだろう。ざっぷりと食う、生きていることそのことに関わるような淋しさ、しかし言葉を持たぬとなれば、これは読者の痛いところを突いてくる歌だ。……(中略)……しゃべらない鯨はしゃべらない分、生きなければならないだろう。/しかしと思う。鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその淋しさもいいのであって、百姓の祖父の場合はかっこよくもなんともなかった。淋しいなどとは言えないし、言おうものならぶったおされた。もっと小さければどうだろう。そもそも感情移入などしきれない。ダニが耐えていたら人は笑うだろう。】
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