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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 116

2023-09-15 11:55:46 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
     『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


116 光の円うつろいてゆく枯野原小綬鶏(こじゅけい)飛びもせず逃げてゆく

     (当日発言)
★「光の円」ってどのくらいの大きさなんでしょうかね。(鈴木)
★「光の円」は太陽です。時間的経過を言っている。(慧子)
★枯野原に光が移動していく、天体の動きのようなものを感じているのかな。(鈴木)
★私も鈴木さんと同じように、枯野原を何か丸い形で光が移動していく、そういうイ
 メージでした。円の大きさは分からないけど、樹はない一面の枯野原だから木漏れ
 日はない。また、太陽だと上を見上げるんだけど、あくまで原を移動する地上のひ
 かりをみていると思う。(鹿取)
★作者は夕暮れの枯野原にいて、作者が近づくと小綬鶏が飛ばないで逃げてゆく。
   (藤本)
★けっこう長い時間、枯野原の情景を眺めていて、時間の移ろいを詠んでいるのかな
 あ。小綬鶏の「飛びもせず逃げてゆく」が、いかにもそういう感じですね。。
   (鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 115

2023-09-14 11:06:26 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


115 まばたけば深まりてゆく静寂の花敷(はなしき)部落月あかり冴ゆ

      (レポート)
 群馬県吾妻郡に一軒宿の「花敷の湯」がある。「花敷部落」はこの花敷温泉がある集落なのであろう。夜更けと共に集落の人々の眠りも深まっていく。「まばたけば」から「花敷部落」に月の冴ゆる集落の「静寂」を改めて実感している。地名が歌に静かな調べを作っており余韻も生まれている。(崎尾)
  花敷温泉:猪狩りのためにこの地を訪れた源頼朝が発見したとされています。その
       ときに、桜の花びらが一面に敷きつめたように湯に浮かんでいたことか
       ら「花敷」と名付けられました。歌人の若山牧水もこの地を訪れ「一夜
       寝てわがたちいづる山かげの温泉(いでゆ)の村に雪降りにけり」の短
       歌を残しています。(インターネット)

                               
         (当日発言)
★レポーターのインターネットとあるのは「中之条町観光協会」のHPからの引用です
 ね。源頼朝が発見とか牧水が歌を詠んだとか権威付けがされてますけど。花敷部落は
 牧水が「みなかみ紀行」で訪れた村の一つでたくさん歌を詠んでいて、たくさんの歌
 碑も建っています。花敷部落、美しい名前ですね。(鹿取)
★私は「まばたけば」が分からない。まばたかなくても月明かりが冴えているのは見え
 る。(藤本)
★でも「まばたけば」があるのが渡辺さんですよね。自分の行為と対象をわりと強引に
 結びつけている。(鹿取)
★ここがうまいところだ。普通の人は情景だけ詠むんだけど。「まばたけば」があるか
 ら静止画ではなく時間の移り変わりが出ている。まばたいて見る度に風景が深まって
 いく。まばたく度に新しい視点を更新していくような感じ。それに実感ができる。
    (鈴木)
★そうですね。「まばたけば」があるから渡辺さんの肉体がでているというか、肉体を
 通してリアリティを保証している。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 114

2023-09-13 15:21:55 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


114 火口原わが耳となるすずしさよ夏の夜深く落石つづく

         (レポート)(崎尾)
  火口原:複式火山で、外輪山と中央火口丘との間に広がる平地。箱根の仙石原、阿
      蘇山の阿蘇谷、南郷谷など。
                                      

       (当日発言)
★作者はどこにいるんですかね。火口原のホテルかなんかにいて落石の音を聞いている
 んでしょうか。(鈴木)
★火口原って広いところですよ。パンフ持ってきましたが。昔の噴火が火口原になった
 んだから今落石しているはずはない。夜出ていくこともないので、部屋にいて自分の
 耳がすずしさを誘い、昔むかしの落石を耳が聞いている。(藤本)
★火口原自体がわが耳になるのではなくて、「火口原」の後に切れがある読みですね。
 すずしさ、というのは精神的なある気分で、渡辺さんの歌には遙かなもの、化石の歌
 とかによく使われるキーワードですよね。私は夜中火口原にいたら、静かなので他で
 起こっている落石の音が聞こえると思いましたが、はるか昔の幻聴を聞いていると取
 ることもできますね。(鹿取)
★耳となるというからには落石の音はどこかから聞こえているのでは。これが幻聴とい
 うことになると、歌全部が幻想になる。実感したものを元にしないと。作者がどこに
 いるかでこの歌のリアリティが違ってくる。(鈴木)
★歌の設定の中では真夜の静寂の中で落石の音を耳が拾っている。それが幻聴か実際の
 音かはどちらでもかまわないと思う。「火口原」で切れると読むと、やはり作者の位
 置は火口原しかない。火口原は仙石原のように広い範囲なんだから、戸外にいなくて
 も、ホテルの部屋にいても「火口原」ではあるわけですね。とても詩的でスケールの
 大きい言葉だけれど。(鹿取)
★僕は火口原が耳の形をしているんだと思います。(鈴木)
★鈴木さんのように読んだら歌としてはつまらない気がするけど。(藤本)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 113

2023-09-12 12:18:24 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


113 重力の自滅をねがう日もありて山塊はわが濁りのかたち

      (レポート抄)
 浄化でき得ない自身の濁りを詠い切実である。(崎尾)


     (当日発言)
★自分の濁りのかたちである山塊がなくなってしまえばよいという歌です。ニーチェに
 とっても重力は大事な力で、重力がなくなればわが濁りも無くなるんじゃないかと。
   (慧子)
★慧子さんのニーチェとの関連のさせ方は違うんじゃないかな。ツァラツストラは重力
 をあざ笑いながら深山に消えたという渡辺さんの歌を以前やりましたが、あそこでは
 精神の高みに上ろうとする自分を引きずりおろす力として重力といっているようで
 す。私はこの歌ものすごく単純に、山登りが辛くて重力がなかったら楽なのに、と考
 えながら山塊を目の前にしているのかと解釈していましたが。肉体的に辛くてある時
 ふっとそんな破滅的な考えが浮かんだと。まるで自分の心 の「濁りのかたち」のよ
 うに山塊が横たわっていると。でもこれじゃ渡辺さんの歌らしくないですね。(鹿取)
★私は「重力の自滅」ってよく分からないです。自分の死を願う日もあるけど、ってこ
 とですか。山塊を見ながらこれは自分の精神の濁りと同じで、動かないと思っている
 のでしょう。自分の自滅なのか地球のことなのか、もっと他のことなのかよく分かり
 ません。(藤本)
★この重力はニーチェと関係させなくても読める歌。自分の心身の濁りが山塊のように
 形をなしていて、それは重くて辛いこと。そう考えると山塊は自分の力では取り払え
 ないので、重力がなくなってくれれば山塊も形をなくす可能性がある。(鈴木)


      (後日意見)(2020年10月)
 (当日発言)の二つ目の★鹿取発言の中で言っている渡辺松男の歌は『寒気氾濫』冒頭一連中にある「重力をあざ笑いつつ大股でツァラツストラは深山に消えた」。
 ところで、『蝶』(2011年刊)に次のような歌がある。
重力は山のぼるとき意識せり靴の踵に黒牛がゐる
 この『蝶』の歌から考えると、113番歌はやはり山登りの歌とみてよいのではないだろうか。ツァラツストラは重力をあざ笑いつつ大股で深山に消えたわけだが、力弱い〈われ〉は疲れて、重力なんか無くなればいい、と思っている。そんな理不尽な願いを抱く〈われ〉の濁りの形のように行く手には山塊が聳えている。
 もっとも、『ホーキング、宇宙と人間を語る』(2011年刊)によると重力の定義はこうだ。【自然界の4つの基本的な力の中で、最も弱い力。質量エネルギーを持っているすべての物質間に働き、お互いを引きつける】
 この定義によると、重力は全ての物質間に働くそうだから、厳密に言うとこの歌の使い方は少し違うのかもしれないが、詩においてはそのことは問題では無いだろう。
   (鹿取)


          
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 112

2023-09-11 17:33:32 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放

          
112 みはるかす大気にひかる雨燕にわたくしの悲は死ぬとおもえず 

      (レポート抄)
 鳥の中で最も空中飛行に適した形をもつ(言泉・小学館)とある雨燕。(崎尾) 


      (当日発言)
★「ひかる雨燕」と「わたくしの悲」はイコールじゃないかと思いました。そして「ひ
 かる雨燕」はとても愛しいものに思えたのでそれが死ぬとは思えなかった。(慧子)
★僕も慧子さんと同じような意見です。普通は死って強いマイナスの言葉だけど、この
 場合だとこの悲しみはとても深いものがあって、人生の本質みたいなものに繋がる感
 じ、永遠に残るような悲。(鈴木)
★私は雨燕とわたくしの悲は同じとは思えない。雨燕を見ながら私の悲は小さいものだ
 と思っているのかなあ。(藤本)
★私は最終的には雨燕と「わたくしの悲」は同じでもかまわない。遠くの方で飛んでい
 る雨燕が光って見える。その雨燕は生へのあこがれとかいとおしみとかを呼び起こ
 す。そして「死ぬとおもえず」といっている「わたくしの悲」はそんなに嫌なものじ
 ゃなくて、この「悲」と共に生きていくんだというわりと昂揚した気分かなあと。も
 うひとつ核心がつかめない気もするんだけど、大好きな歌です。(鹿取)
★この悲って両方とれるんですよね。いとおしいという気持ちと、この悲をなくしたい
 という気持ちと。次の歌(重力の自滅をねがう日もありて山塊はわが濁りのかたち)
 を読むとこの悲は「濁りのかたち」のようにも思えてくるし。でもこの悲をなくした
 いという歌だとつまらないし。(鈴木)
★でも112の歌に限っていうと、雨燕を見てとても浄化された気分になっているよう
 に思えます。見て、といってもやっぱり対象化しているのとは違うので、そういう意
 味で慧子さんのいうように燕イコール私でもかまわない。(鹿取)

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