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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 57、58

2023-09-20 16:49:54 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
   【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
57 蛇つかひ黒い袋に手を入れてくねる心を摑み出したり

     (当日意見)
★くねる体、でなく心であるところが上手い。(崎尾)


     (まとめ)
 くねる心、といったところが面白い。くねる体、では当たり前の歌にしかならなかった。もちろん、くねっている蛇体に心は反映されている。黒い袋、もゴミ袋のようなただのビニールかもしれないが、黒という色を出したことで神秘的な効果が出た。(鹿取)


58 蛇つかひの黒い袋にうごめける感情のごときうねりのちから

       (当日意見)
★蛇は独特の動きをする。(崎尾)


       (まとめ)
 57番歌「蛇つかひ黒い袋に手を入れてくねる心を摑み出したり」の補完。蛇が袋の中でうごめいている様子を「感情のごときうねりのちから」という。57番歌の「くねる」よりさらにダイナミックな動きで、それを「うねりのちから」と言っている。感情の「ごとき」であって、「うねりのちから」イコール蛇の感情だ、というのでもない。この辺りの微妙な接続が興味深い歌だ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 56 アフリカ⑥

2023-09-19 11:04:16 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
    【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
56 夕日濃きフナ広場にはじやらじやらと人群れて芸なしの蛇もうごめく

     (レポート)
 フナ広場はマラケシュにあるジャマ・エル・フナ広場のことである。ジャマ・エル・フナとは死者の広場という意味で、昔は罪人の処刑場だった。広場と言っても街の一角が商業地で、多くの店が集まっています。ここには多くの人が集まるので、見世物や街頭芸人がいろいろな出し物を演じて、客からお金をもらいます。蛇遣いも有名です。コブラを笛を吹いて踊らせる芸はよく知られています。「じやらじやらと人群れて」硬貨の音にも聞こえ一層の賑やかさの表現。笛を吹いてもなかなか思い通りにいかないこの蛇。「芸なしの蛇」。愛嬌者だろうか、意地っ張りなのだろうか、実に楽しい。     (T・S)
 

         (当日意見)
★じやらじやら、の擬態語が蛇(じゃ)の音に通じる。(可奈)
★蛇も、の「も」がよい。(藤本)
★人群れて、に自分が入っているのか、納得ができない。全て上から見下ろしていると
 いう感じ。 (T・H)
★当然、自分も入っている。群れている人の一員であることを承知し自己批判もありつ
 つ、旅行者としてその雰囲気を楽しんでもいる。フナ広場が処刑場だったというのは
 多くの国で共通するのかな、ロシアの赤の広場も処刑場でしたね。(鹿取)


       (まとめ)
 「夕日濃き」に夕方の華やぎがある。そういう時刻になってますます広場は活気を帯び、「じやらじやらと」人が群れ出すのだろう。濁音を使った擬態語は、自分も含めその場を楽しもうと意気込む無責任な群衆の比喩になっている。「芸なしの蛇」は手厳しいようだが同情の心もこめられているようだ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 55 アフリカ⑥

2023-09-18 10:11:02 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
  【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
55 群れて行く日本人の小ささをアフリカの夕日が静かにあやす

       (まとめ)
 結句に力がある。「照らす」なら誰にでも言えるだろうが、「あやす」で深い思索の歌になった。アフリカの夕日は日本人の小ささを愛撫するかのように、慈愛にみちた暖かさで包み込んでいるのだ。「群れて行く」の所にいくらか日本人の性格的なものを含んでいるだろう。それにしてもアフリカの人々はよほど体格がよかったのだろう、既にレポートした阿弗利加一連には日本人の小ささをうたった歌が他にもあった。(鹿取)
   日本人まこと小さし扶けられ沙漠を歩むその足短し
   モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 118

2023-09-17 12:17:12 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


118 ときに樹は凄まじきかなおうおうと火を吐くごとく紅葉を飛ばす

      (レポート)
 芽ぶき、新緑、夏の緑、紅葉とときに樹はその持つ力を現す。造形の美をきわめつくし樹は紅葉を散らす。その光景に噴火する火山を見ている。「飛ばす」は樹の底力を詠っているのであろう。(崎尾)

           
      (当日発言)
★64頁に「紅葉を振り放てずに苦しめる樹に馬乗りになってやりたり」という歌が
 あってこの歌と逆の表現になっている。紅葉を飛ばす凄まじい樹と作者が一体にな
 っておうおうと泣き叫んでいるような感じ。(藤本)
★力強さ、ダイナミックな感じ、高揚感は感じますが、「おうおうと」というのは泣
 き叫んでいるのではなく雄叫びみたいなものかなあと思いますが。渡辺さんには紅
 葉に独特な思いがあるようですね。乳飲み子の時に母に抱かれて紅葉を見ていた、
 とか、廃棄物処理場で行き場をなくして紅葉が舞ってるというような歌もあったし。
    (鹿取)

*紅葉の歌、正確には次のとおり
どの窓もどの窓も紅葉であるときに赤子のわれは抱かれていたり
           『寒気氾濫』
一生を賭けて紅葉が飛びてゆく廃棄物処理場の秋天
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 117

2023-09-16 12:04:28 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究13【寒気氾濫】(14年3月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)48頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:崎尾廣子 司会と記録:鹿取 未放


117 芒万波落日に揺れ狩猟鳥非狩猟鳥混じれるひかり

      (レポート抄)
 日本の狩猟行政の幹となっているのは〈鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律〉である。この法に定められている狩猟鳥はカモ類11種を含む29種。(世界大百科事典・平凡社)この法とは鳥は無縁である。鳥たちは眠る場を捜し求めているのであろう。鳥の今を慈しんでいるのであろう。(崎尾)

                                  
      (当日発言)
★芒が幾重にも重なって揺れている、その中に狩猟鳥や非狩猟鳥が混じっていて夕暮れ
 の中でなお光っている。芒のひかりとその中で光っているいろんな鳥の情景を詠って
 いる分かりやすい歌だと思いました。(藤本)
★人間が狩猟鳥、非狩猟鳥と分けようとも鳥たちはいっしょになってお日様の光の中に
 いるってこと。(慧子)
★「この法とは鳥は無縁である。」とレポーターが書いていることがそれですよね。狩
 猟鳥、非狩猟鳥ごっちゃになって光っている。そこに生き物の自然の有り様を見てい
 る。芒も波となって落日に揺れているのだから当然光っているでしょうけれど、結句
 の「混じれるひかり」はあくまで鳥たちのことで、ごちゃ混ぜになってひかってる一
 塊のようにとらえることで生きてる命の温みというか尊さのようなものを出してるん
 じゃないでしょうか。渡辺さんは野鳥の会に所属されていたそうですが、狩猟鳥とい
 うお役所的な固い言葉が生きていますよね。またこの作者は、狩猟鳥、非狩猟鳥とい
 うような対立概念を並べる書き方をよくされますよね。(鹿取)
★道元の言葉に「ひかりは万象を呑む」というのがあって、それを具体的にいったよう
 な歌だと思いました。渡辺さんは意識はしていないでしょけれど、道元と同じことだ
 なあと。(鈴木)


      (後日意見)
 芒が万の波をなして揺れている情景は、かそかで美しい。とても日本的でもある。でもそれが古風な歌になっていないのは、「狩猟鳥非狩猟鳥」の言葉とその概念。動きがあるけれど全体が静謐で、鈴木さんが道元と同じと指摘しているが、宗教的な感じがする。(鹿取)


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