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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 216

2022-12-21 11:02:57 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


216 空かぎりなければ青きなみだおち水一滴のなかに人体

     (レポート)
 限りなく広く青い空から、雨がポツンと落ちたのだろう。その一滴の雨に写つてしまうほど、人間の体はちつぽけである。 (岡東)


     (紙上参加意見)
 人体は、ほぼ水でできている。その人体が限りなく広く青い空のこぼす涙の一滴なのだ。ちっぽけな人間をいとおしむ美しい歌。(菅原)


        (当日発言)
★水に人間が映ったんだろう。存在と繋がっているんだという感じ。(真帆)
★宇宙観のようなもの。青き、一滴がよい。「青きなみだおち」って虚だけど、その虚
 がよい。きれいだし、宇宙がふぁーとあってかすかに人間が生きている。きれいな
 喩。「なかに」も効いている。この言葉は普通は出てこない。(A・K)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 215

2022-12-20 11:12:15 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


215 水が粘りこの世へもどれなくなりし水たまりの底のわれと夕焼け

     (レポート)
 作者は水たまりに足をとられたのだろうか。その水たまりには夕焼けも映つているのだろう。「この世へもどれなく」なつたというのが、大きな表現である。(岡東)


    (紙上参加意見)
 この水は作者を異界へ連れていく水。粘るその底に作者を閉じこめてしまった。けれど作者はそこで夕焼けを見ている。すでに開き直って、異界を楽しんでいるのだ。
  (菅原)


       (当日発言)
★「この世へもどれなくなりし」は「水」に掛かるのか、切れるのか?われは水たまり
 の底にいるの?(真帆)
★われと夕焼けは同列で、水たまりの底にいるわけ?(A・K)
★そうですね、でもこれは「この世へもどれなくなりし」ってあるから、リアルな歌
 じゃないよと言っているので却って読みやすい気がする。(鹿取)
★水たまりの底にわれは沈んでいるんだと思う。そして、水たまりに映る夕焼けを見て
 いる。(真帆)
★水たまりの底には夕焼けは映らない、映るとしたら水たまりの表面でしょう?
   (A・K)
★プールみたいなところにいるとすると、水は夕焼け色になっている。(真帆)
★自分は水の底にいるけれど向こうには夕焼けが見える。絶望の中の希望のようなもの
 かと読んだんだけど。情景がよく分からない。(A・K)
★213番歌(われの見る水はみずあめみずあめがねっとりといま蛇口から垂る)のつ
 づきで読むと、水たまりがこの世に戻れなくなったのは時間に関係があるのかな。水
 たまりだから人間が沈めるほど深いとは思わなかったけれど、水たまりの底にいるっ
 てよく分からないのだけど、粘った水に沈んでいたら苦しいだろうなあ。頭は外に出
 ているのかしら。そこから夕焼けを見上げている。まあ、松男さんどこにでも行ける
 人だから粘る水たまりの底に沈んでいてもいいんだけど。(鹿取)


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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 214

2022-12-19 11:53:25 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


214 めがねとり顔近づけてゆきたれば沼滲むなりてのひらのうえ

     (レポート)
 作者の手のひらにある「沼」というのは、雨粒だろうか。しかし、「滲む」とあるのだから、これは涙かもしれない。一首全体にゆつたりとした時間の流れが感じられる。(岡東)


      (紙上参加意見)
 何かつらく苦しい思いがあって、作者は眼鏡をはずし手のひらに顔を包もうとした。すると、涙が落ちて手のひらがにじんでみえたのだろう。(菅原)


       (当日発言)
★前回、「てのひらののっぺらぼうにぎょっとせり結んでひらくてのひらは妣
 (はは)」についてA・Kさんが名解釈をしてくれたんだけど、このてのひら
 はいかがでしょうか?(鹿取)
★滲むってなんでしょうね。単なる現象か?それとも暗示なんでしょうか?
  (A・K)
★生理的に考えれば、てのひらの沼は汗ですけど、暗示的な沼でしょうね。
  (鹿取)
★後の歌にも沼が出てきますね。「まなうらに波ゆれている沼のあり波しずまり
 しときさかな落つ」って。涙が出てきたから眼前にあるものが滲むのだと思う
 のですが。(真帆)
★菅原さんの、包もうとするとあるけど包もうとしたら手の平の上にはならな
 い。(A・K)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 213

2022-12-18 15:46:12 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


213 われの見る水はみずあめみずあめがねっとりといま蛇口から垂る

     (レポート)
 作者が見る水はみずあめなのである。みずあめが、ねつとりと蛇口から垂れているのを今見ているという。みずあめは甕に入つていて、ねつとりとしているので、割りばしでからめとるのが一般的な扱い方である。作者が見る水がみずあめであり、みずあめが水のように蛇口から垂れるというところに二重のアイロニ―を感じる。(岡東)


    (紙上参加意見)
 水が水飴に見えたのか。それとも、水飴の大きな容器があって、そこから垂れる水あめを見ているのか。どちらにしても、水っぽい「みずあめ」の繰り返しの後の「ねっとり」が絡みつくようで、甘いものにからめとられてゆく怖さを表現したのだろう。
    (菅原)


         (当日意見)
★菅原さんの意見の甘い物に絡め取られていくというのは、212番歌(水にわが夢う
 ばわれてゆくならん眼のなかにある水がふくらむ)と関連させやすい。いろんな水を
 詠ってきたけどここはみずあめ。観念的なようでありながら…難しいです。(真帆)
★これはかなり奥が深い歌のようですね。ねっとりに意味があるような気がする。粘着
 性のあるもの。深読みできるものがある。「いま」が効いている気がする。
    (A・K)
★蛇口から垂れる水をものすごく引き延ばしたスローモーションにすれば、もしかした
 ら水は水飴のようにねっとりして垂れてくるかもしれないという気がする。時間を見
 えるようにしたらこんな形かなって。松男さん、ダリが嫌いと言っていたけど、ダリ
 の「記憶の固執」って絵がありますよね、あんなふうにぐにゃりと曲がった時計のイ
 メージ。(鹿取)
★確かに時間の象形的なものかもしれないわね。われわれはそういう時間の中にいるの
 かもしれないわね。(A・K)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 212

2022-12-17 10:43:44 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


212 水にわが夢うばわれてゆくならん眼のなかにある水がふくらむ

       (レポート)
 水に自分の夢がうばわれてゆくようだ。眼のなかにある水がふくらむ。作者は自分の夢が、水にうばわれてゆくのを客観的に見ている。そして夢を奪われた悲しみに、涙が眼いつぱいにふくらんでいるのだろう。(岡東)


       (紙上参加意見)
 この水は何だろう。眼の中にあるのは涙か?とすると、涙のもとになる、悲しみや情のことか。他者とのかかわりの中で、情に絡まれて自分の夢をかなえられなくなってしまうことをいっているのか。(菅原)


         (当日発言)
★下の句は意味的には分かる気がするけど、上の句は分からない。この夢が眠っている
 時に見る夢だとすると眼球の中にある水分でざーと流されてゆくような感じ。でも、
 作者がどういう感じでうたったのか分かりません。絶望とか言っちゃうと全然面白く
 ないし。(真帆)
★初句の「水」と、「眼のなかにある水」は同じものなのですか?違うんですか?
   (鹿取)
★そうそう、それが問題。(A・K)
★同じものだとしたら、「眼のなかにある水」は普通は涙だから膨らんだら涙としてこ
 ぼれる。すると自分には夢があるけれども情に絡め取られて夢を貫くことができな
 い、そんな通俗的な解釈になってしまって、それじゃあ嫌だし。(鹿取)
★菅原さんもそういうことを書いていますよね。渡辺さんって天才的な歌を詠むときと
 とっても通俗的な歌を詠むときがあるような気がする。(A・K)
★この一連の冒頭からの「水」のうたい方を考えると、ここはもっと抽象的な水なので
 しょうね。きっと違う解釈なのでしょう。(鹿取)
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