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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  146

2021-09-15 18:18:31 | 短歌の鑑賞
 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     
146 コンドルがまだ飛んでいるアンデスの空のふかさをたいせつにせよ
                「かりん」2000年5月号

 歌の意味としては注釈は要らないだろう。作者の娘が結婚するにあたって娘に贈った歌だと聞いている。結句が命令形になっているのはそのせいである。
 コンドルは羽を広げると三メートルにもなる鳥で鋭い視力を生かして主に動物の屍肉を食べている。しかし人間による乱獲や繁殖力の少なさから絶滅危惧種に指定されているようだ。その少数がアンデス山脈ふきんに棲息しているわけだが、その空の深さを大切にとは人間の傲慢を戒めたものか、優しさを保てといっているのだろう。ちなみにコンドルは生涯一つの番を守り抜くそうで、祝婚の歌にふさわしい題材である。
 また、サイモンとガーファンクルの歌で有名になった「コンドルは飛んでいく」の原曲はもちろんアンデスの民謡である。二句目の「まだ」は「あの歌で有名になったが、今でもまだ飛んでいる」という気分だろう。

★ シンプルだが景が大きく、命令形の結句がうっとうしくない。(藤本満須子)
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清見糺の一首鑑賞 144

2021-09-15 14:15:38 | 短歌の鑑賞
◆鑑賞を一首飛ばしていました。今日は時間をおいて二首載せます。

 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     
144 することがなくなればもうここがどこかわからなくなる足湯して寝る
                 「かりん」2000年3月号

読書にも倦んだ真夜中のことであろう。足湯して寝るのは真冬の睡眠を持続させる用意だろう。朦朧体とでも呼ぶような味わいがある。
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清見糺の一首鑑賞  145

2021-09-14 17:10:32 | 短歌の鑑賞
 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     

145 たまきわるうつつともなく玉蜻蛉はろかおんなのおとこ喚ぶこえ
           「かりん」2000年4月号

 たまきわる、玉蜻蛉(たまかぎる)はそれぞれ枕詞。前者は「うち」「世」「命」「吾(わ)」などに掛かり、後者は「夕」「日」「ほのか」「はろか」などに掛かる。これは性愛の場面を歌った歌であろうが、枕詞を二つ使用することによって性の露骨さを和らげている。

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清見糺の一首鑑賞  143

2021-09-13 21:05:21 | 短歌の鑑賞
 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     

143 しみじみと『碧厳』を読む夜のつれは酒と煙草ともうひとりのわれ
          「かりん」2000年3月号

 ここでの『碧厳』は禅の書物『碧厳録』ではなく、坪野哲久の歌集である。哲久は一九三〇年二四歳の時第一歌集『九月一日』を出したが発売禁止、一九四二年三六歳の時には治安維持法違反で検挙された。戦後十一歌集まで出し、「赤旗」歌壇選者を一〇年間務めなどして、一九八八年八二歳で死去。『碧厳』は一九七一(昭和四六)年刊行の歌集で読売文学賞を受賞している。
 哲久はプロレタリア歌人ということになっているが、東洋大学支那哲学科出身なので禅にも深い知識を持っていた人なのだろう。作者は人生の終末に向かって歩いていることを自覚しながら、もうひとりのわれとも対話しつつ歌集を読み進んでゆく。かつて共産党員だった作者にとって哲久は「赤旗」でなじみの人であったろうが、哲久の生き方や歌には近親感のみでなく、苦さや悔いやさまざまの感情が入り交じったであろう。それらを含めて人肌に触れるようなまさにしみじみとした情感がただよう。
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清見糺の一首鑑賞  142

2021-09-12 18:07:56 | 短歌の鑑賞
 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     

142 たいくつというぜいたくをもてあますこのぜいたくをみやことなしつつ
            「かりん」 2000年2月号

 作者が「かりん」に発表した歌の中で、初めて出てくる全ひらがなの歌。分かち書きにしないで意味がきちんととれるように工夫されている。また、全ひらがなにすることによって歌にやわらかさを出し、漢字交じりで書いたのとは違う独特の味わいを出している。
 退屈をもてあますという歌は世にゴマンとあるだろう。それが贅沢だという歌もあるにちがいない。しかし、下句にこの作者の力が感じられる。
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