かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  147

2021-09-16 19:03:46 | 短歌の鑑賞
 ブログ版清見糺鑑賞 22  かりん鎌倉なぎさの会  鹿取 未放
     
147 ひさかたの光の安房へと流れゆくくじらやりいかいるかじんべい
            「かりん」2000年6月号

 「ひさかたの」は「光」にかかる枕詞。「安房」は千葉県南部、房州のこと。これは大空をゆく雲のことを詠んでいるのだが、雲の形容が全て魚の名でなされているため、空か海かも定かではない、ただ広々とした空間が感じられる。下句の平仮名で並べられた韻律のよい魚の名が、尻取りでもなく韻を踏んでいるのでもないが、ゆるやかなリズムをもっていて、おおらかで気持のよい歌である。勿論そうなるように細心の注意を払って工夫されている。 

 * この歌について、坂井修一氏が前月号鑑賞で懇切丁寧な評をなさっている
   ので、全文を引用させていただく。

 上の句はゆったりと古風な感じだが、下句でも急に鋭い転調をすることなく、そのまま受け流すような作りになっている。流れゆくのは、陸から(例えば東京から)ではなく、太平洋の真ん中から日本の房総に向かって、というのである。「くじら・やりいか・いるか・じんべい」は、四つ名詞を並べて三・四・三・四の単純なリズムを作った。これらを全部ひらがな表記にしてやわらかくし、また音を響きやすくしている。音の工夫は「くじら」の「ら」など、最初の三つの名詞がア段の音で終わるのに対し、最後の「じんべい」がイで終わる、という小 さなひねりと、「いか」「いるか」の畳みかけが流れをよくしていることだろう。細かい工夫をしながらゆったりと流す感じを出している。

 この後、〇二年四月ごろから、全ひらがなの歌が大量に作られていくことになるが、既に同年二月号で全ひらがなの歌を試みていた(たいくつというぜいたくをもてあますこのぜいたくをみやことなしつつ)作者にとって、この七月号の坂井氏の鑑賞が何らかの後押しになったように思えてならない。ひらがな表記で分かち書きをしないでも意味がとれ、しかもやわらかくリズムをとっていくやりかたに理解者を得て自信をもったのだろう。(鹿取)
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