かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 371 中欧②

2023-10-24 17:36:36 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
  【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
   参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


371 ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢

   (当日発言)
★自分の感じを言うのではなく、ある人物を登場させて代詠のように詠うやり方。この
 人物は実際にいなかったかもしれない。(鈴木)
★老女が知っているのは「ハンガリー動乱」であろう。舞台は豪華なケンピンスキーホ
 テル、旅の一夜生演奏されているのだろうリストを聴いている。老女の記憶の中には
 生々とあるハンガリー動乱も、もう夢の彼方のように遠くなってしまったということ
 だろうか。あるいは旅人としてホテルに身を置いて陶然としてリストを聴いていると
 歴史として知っている「ハンガリー動乱」も夢のように感じられる、ということだろ
 うか。(鹿取)


 (後日意見)(2013年11月)
 鈴木さんの発言にあるように、この老女は実際にはいなかったのかもしれない。言葉の問題を考えると近くに座った老女が作者に問わず語りにハンガリー動乱のことを語ったと考えるには無理がある。そうすると広島とか沖縄でやっているような老人が体験談を語る会か。これも公会堂とか体育館とかなら分かるが、背景にリストが流れる優雅なホテルにはそぐわない。やはりこういう老女の存在を設定しているのかもしれない。
 おそらく老女(架空でもよいが)は、どんなに時間が流れてもハンガリー動乱を生々と覚えているのだろう。昨日のことのように覚えていながら、世の中においては遠い夢になってしまったことを老女は自覚しているのだろう。作者はその老女のぼうぼうとした思いに寄り添っているのだ。
 この老女は生きているが能のシテである。(鹿取)


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