かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 167

2023-12-27 17:57:42 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
    【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
     参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


167 寒林のなかに日当たるところあり抜けやすきわが魂はよろこぶ

      (レポート)
 辞書によれば、「寒林」には、「冬枯れの林」のほかに、「屍を葬る所、墓地」という意味もある。冬枯れの林であれ、墓地であれ、そのような中に明るい冬の日ざしが射していると、誰しもその場所に魅かれ、曳かれる気持ちになるだろう。歌ではそれを「抜けやすきわが魂はよろこぶ」と詠んでいる。「魂」は、辞書によると「肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離れても存在するとした」とある。歌もこれを念頭に詠んでいると思われる。(鈴木)


     (当日意見)
★下の句が面白い。魂が体から抜け出してつい憑依とかしやすい私にとって、私の魂は
 日だまりを好むと言っていて、魂が集まっているのは愉快なもの、楽しいものとそも
 そもが思っておられる。(真帆)
★和泉式部は蛍を私からあくがれて出ていった魂だって詠んでいますね。また、掲出歌
 の後の方の頁に、雪の野原に一本の樹があって、魂が集まっている、みたいな歌があ
 ったと思うのですが、それも抜け出していく魂だったのかな。日だまりを好む魂っ
 て、懐かしい感じがします。(鹿取)
★私は真帆さんとも鹿取さんとも魂の捉え方が違って、体の中にあって直感も含めて感
 じるものととらえている。それは体の外に出て行くものじゃなくて、体の中に留まっ
 ていて、気持ちが冬の日だまりに行っちゃうと言うのは誰にも有るんじゃないです
 か。惹かれる気持ちを魂は喜ぶと言っているだけで、体から離れて行くまで言わなく
 ていいと思う。(鈴木)


      (まとめ)
鹿取の発言にある和泉式部の歌は〈物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる〉で、この歌の「あくがる」は普通「魂が肉体からさ迷い出る」意味と考えられている。また、雪の野原の歌云々というのは、『寒気氾濫』78頁の〈ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり〉を念頭に置いていたが、この167番歌との関連は薄いようだ。(鹿取)


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