かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 184

2022-11-19 11:50:48 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


184 もんもんとあがる煙のうらがわへ さみしいよ 光るのこぎりをおく

       (レポート)
 まず煙りの立ちあがる風景を見せ、一字アケを両端に配し「さみしいよ」とつぶやきをひびかせ、最終句で煙りの裏側へ、手にしていた「光るのこぎりをおく」。歌の眼目はいわずもがな「さみしいよ」の吐露にあるだろう。しかしなぜ、何がさみしいのか。手がかりは「煙」と「のこぎり」にあろう。一首を連作のなかで鑑賞し、前首に繋げれば農耕作業の歌ともとれ、後首につなげれば古墳作業の歌ともとれるが、むしろそのような限定した場面を想像するのは、この歌の場合つまらないように思う。ある「もんもん」と苦悩する重たげな煙りの裏側へ、こんなことをするのはもうイヤだといわんばかりに、冷たく凶器めく光る鋸をおいている、それが見えればじゅうぶんなのではないか。煙、さみしさ、光るのこぎり、の取り合わせがなんとも巧みだ。(真帆)


     (当日意見)
★今、松男さんの挽歌についての評論を書いているんですが、お母さんを焼く歌があっ
 て一時間ほどの煙ってうたっているんですね。もしこれがお母さんを焼く煙だったら
「もんもんと」も「さびしいよ」もよく分かりますね。古代の人はその焼き場の煙が天
 に昇って雲になるって考えていて、雲は亡き人の形代だったんですね。この歌はそう
 いう指定が無いので、たき火の煙かもしれないけど。結句の「光るのこぎりをおく」
 がこの作者にしか言えないことばですね。これは何なんでしょう?(鹿取)
★分からないけどものすごく好きな歌です。「煙の裏側」って何でしょう、普通、
 煙に裏も表も無いですよね。光るのこぎりって鋭角的、シャープで透明、何なん
 ですか。(A・K)
★分からないけど、何か鋭いもの、何かえぐるもの、でもそれを置くんだから、そ
 れ棄てちゃう?それともお守りみたいにそこに置くの?(鹿取)
★もし、近親者を焼く煙だったら、そしてのこぎりを置く行為が葬儀に関連したも
 のだったら、理屈っぽくなってつまらないですね。この作者は、こう言ったら読
 者には分からないだろうとか、そういうことは忖度しない人なんですね。われわ
 れはこう言っては分からないだろうとか、これを言わないと分からないだろうと
 かいろいろ付け加えて説明的な歌を作ってしまう。いちばん自分が言いたかった
 ことが消えてしまう歌を作りがちですね。渡辺さんは自分の言いたいことだけを
 言う、人に分からないだろうとか考えない。すごいですね。(A・K)
★もくもくとだったら普通だけどもんもんとって選んでいる。細かいところには神
 経を使っていますね。(真帆) 
★「僕の歌はいい加減だからどんどん切って下さい」っていつか松男さんに言われ
 ましたけど、もしかしたら「光るのこぎり」は本人にも説明が付かないかもしれ
 ないですね。でもそれは直観なんで、この言葉じゃ無いといけないのでしょうね。
    (鹿取)

       (後日意見)
 当日の鹿取発言の中の煙の歌は次のもの。(鹿取)
  とほうもなきしじまを残し母はゆけり一時間ほどのみ空のけむり 『泡宇宙の蛙』

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