かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首 204

2022-12-09 10:29:17 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の27(2019年9月実施)
     Ⅳ〈蟬とてのひら〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P133~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆、渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


204 風痩せて引出しにありわれの風かつて神社におみな泣かせき

   (当日意見)
★「風痩せて」と引出にありが上手だなと思います。(岡東)
★対象が慧子さんは女、真帆さんは女の子、菅原さんは女性、それぞれ全く解釈が違い
 ますね。好みとしては少女です、女を泣かせたなんって嫌ですよね、神社で女を泣か
 せたなんて三文小説みたいで。(A・K)
★おみなってもとは「をみな」で古語では若くて美しい女性ですよね。「風」って激情
 とか直情でしょうかね。直情に駆られて少女を泣かせてしまったけれど、今はそうい
 う心の勢いが衰えてしまった。(鹿取)


         (レポート①)
 一首中に風が二度使われている。同じ意味なのか、どうなのか。臆病風が吹くや役人風を吹かせるなどという例があるので第3句のわれの風はまさしく個人的な女への風だろう。しかし、冒頭の風は3句以下のわれの風のなりゆきを暗示はしていよう。しかしそれのみではないだろう。初句は風という大きな自在な動きをしていたものを想像したい。それがなんであろうと「引出にあり」と作者にひきつけていて、秀逸だと思う。「風痩せて引出にあり」という新鮮さをもって序詞のようでもあり、魅力的な一首。(慧子)


          (レポート②)
 こどもの頃を思い出している歌だろう。豊かな風とはいうが、ここではそれを逆手にとって、反対の表現をし「風が痩せている」と言った。子供時代の、思い出すだけでも恥ずかしくなるようなことはきっと誰にでもあるだろう。作者は、思い出の引出しを開けると、ピューっと痩せた風がふいてくるように、神社で女の子を泣かせたことを思い出すのだという。好きな女の子だからつい意地悪してしまったのだろう。「風痩せて」や「われの風」と「風」の抒情詩にしたところが印象的だ。(真帆)


     (レポート③)(紙上参加意見)
 若いころ、神社で女性を泣かせてしまったことがあり、引出を開けたらふわっとその時の事が思い出されたのだろう。私たちは引出にいろいろなものをしまい込む。他人にはどうでもいいような子供っぽい思い出や秘密の品を。だから、引出を開けると忘れかけていたことを思い出したりする。若さゆえの衝動を「風」とたとえたのか、「風痩せて」がきれいで上手。それにしても、優しそうな作者にもこんな若い日があったのですね。(菅原)


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