かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺『』『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 258

2024-10-09 08:45:02 | 短歌の鑑賞
 ※昨日から、今年8月実施の報告をアップしています。
体調の悪い会員が複数出て、圧倒的少人数で勉強会をしています。
渡辺松男研究に参加出来そうな方がありましたら、ぜひご連絡ください。
場所はJR戸塚駅徒歩5分の戸塚フォーラム、日時は不定期です。

  渡辺松男研究2の34(2024年8月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P167~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、
          菅原あつ子(紙上参加)、山田公子(紙上参加)
     司会と記録:鹿取未放


258 日陰よりわが見ておれば恍惚と日向を父祖が槍もちて過ぐ

        (紙上意見)
●父祖が日向を行くのを日陰で見るという視点が面白い。(菅原)


●なにもしない、しようとしない今の我が、その昔,父祖は農民ならば、一揆?志を 遂げんと恍惚の表情で歩いている。日陰と日向という語を対比で使い一首に仕上 げている。(山田)

 
      (当日意見)
★なぜ恍惚となんでしょうね。松男さんの歌って物語の一場面を切り取ったような感じ
 がするんですが。そうすると前後を切り取られた短歌の物語をどう読むか分からな
 いから、私などからすると、山田さんが書いておられるように日陰のわれと日向の父
 祖という対比になる。そこにどういう物語が隠されているかは想像でしかないから、
 ちょっとどういうふうに読んだら良いかわからないなというとまどいを感じます。
 一首で読むと、ということなんですけど。想像してピンとくるものがあるといいけ
 ど。なければ、う~んで過ぎてしまう。この歌、情景として、映像としてははっきり
 しているけど、どういう物語の一つなのかが分からないもどかしさを感じます。槍を
 もっていく父祖って。そこにどういうドラマを読み取らせたいのかが分からない。
 あ、そういうことじゃなくて、作者の意図ではなくて、自分がどう感じたかってこと
 でいいのかな。(M・A)
★恍惚としているのは父祖ですよね。(岡東)
★山田さんのレポートを拝見してちょっと違和感を感じたのですが、農民の一揆なら鍬
 などをもつイメージで、槍を持っているのは一揆を鎮圧に来る側ではないか。弱い
 者を鎮圧に行く方が恍惚の表情は活きるような。それぐらい屈折したものがこの歌
 にはあるような気がします。(M・A)     
★そうすると、この父祖というのはM・Aさんは何人ぐらいをイメージしますか。
    (鹿取)
★大勢で行くのではなく一人のイメージです。(M・A)
★私は父祖と言うからには複数だと思うのです。一人だったらもっと特定する言い方
 があるような気がする。けれど大勢ではなくて、せいぜい5,6人、それらが一列に
 並んで槍を担いで歩いている。彼らは日向にいて眩しく、日陰からみている〈われ〉
 のことはもちろん気づいていない。父祖と〈われ〉が時空を超えてクロスしているん
 だけれど、時空を超えているので会話は成立しないし、見るのも一方通行。そんな
 イメージです。(鹿取)
★日向を父祖が槍を持って過ぎるのは幻想ですよね。父祖だからご先祖様ですよね。
 時間が重なっているんですね。代々の父祖が重なっているイメージ。槍持って行く
 のはやっぱり加害者のイメージ。人を殺しに行く。でも、それをあっけらかんとし
 たイメージで書いているのが面白いというか。(M・A)
★なるほどね、そうすると江戸時代の○○一揆を鎮圧に行った父祖とかではなくて、
 複数だったとしても何代もの父祖が連なっていると。そうなると自分の父祖は加害
 者と言うことになるけど、別にそれを告発している訳ではないのね。(鹿取)
★恍惚としているって表情は分かるんだけれど、全体にうまく繋がらない。(岡東)
★『恍惚の人』って小説がありましたね。あの恍惚かもしれないわね。そうすると槍を
 持っているのはよぼよぼのおじいさんかもしれない。ああもこうも読めますね。
    (M・A)
★すごいドラマティックですね。(鹿取)
★そうですね。実景ではないけどリアルですね。(M・A)

コメント
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