※昨日から、今年8月実施の報告をアップしています。
体調の悪い会員が複数出て、圧倒的少人数で勉強会をしています。
渡辺松男研究に参加出来そうな方がありましたら、ぜひご連絡ください。
場所はJR戸塚駅徒歩5分の戸塚フォーラム、日時は不定期です。
渡辺松男研究2の34(2024年8月実施)
Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P167~
参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、
菅原あつ子(紙上参加)、山田公子(紙上参加)
司会と記録:鹿取未放
260 一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲
(紙上意見)
●「私」が「私(ひとり)」であると思っていれば一のわれの死だが、「私たち」というべき
存在あるという実感が私にはある。そんな私には、共感するものがある。(菅原)
●私の死は数で言えば一(いち)一(いち)一(いち)である。私を知る人が私の死を知れば、
万(まん)にもなると思えば楽しいが、結末は…大むかしからああうろこ雲である。
(山田)
(当日意見)
★この歌は、『泡宇宙の蛙』の自選五首に入っていました。1イコール多、みたいなことを
いっていたような。蚊が宇宙を呑み込むとか、そういうバリエーションの歌、松男さん
いくつか作っていますね。それから先ほどもあがった「村びとは年取りている村はず
れ大きなる穴ありて雲とぶ」のように雲も松男さんの歌のキーワードの一つですよ
ね。だいたい雲が出てくると悠久とか、永いスパンの時間に繋がっている。昔、雲の歌
集に占める割合とかグラフにしたことがあって、これ、配布します。もともとは松男
さんにだけ死の歌が多いのかどうか、死の頻出度のグラフを作って、ついでに雲も作
ったんですけど。死の方は松男さんの歌集だけでなくて、斎藤茂吉とか岡井隆、馬場
あき子とかの歌集とも比較しています。参考までにどうぞご覧になってください。泡
宇宙では雲は16首出てきますね。(鹿取)
★わかりやすい理屈っぽさで、私はあまり面白くないです。紙上意見の菅原さん、一人
の私の中に沢山の要素を見ている、その解釈は同感です。また、山田さんの解釈も
あり得るなあと思いました。死とうろこ雲は繋がるなあと思います。うろこ雲は夏の
雲とは違って、ちりぢりになってゆく、分裂してゆくイメージですね。「大昔から」とい
うのはどう解釈していいか分からないのですが。(M・A)
★この歌の「われ」というのは渡辺松男自身ではなくて一般名詞のようなもので、渡辺松
男でもあるし他の誰でもある、大昔の人も現代の人もそうやってくりかえしてきた。
それで大昔の人が死ぬときにもうろこ雲が天に広がっていた。うろこ雲って空一面に
出ることが多くてちりじりになるイメージは私にはなかったです。(鹿取)
★一に対して多いというのは、対比がわかりやすい歌だとは思うのですが。(岡東)
★一と万の対比の中で、うろこ雲が出てくるというのはすごくよく分かる。(M・A)
(後日意見)
以下、渡辺松男の自歌自注です。(鹿取)
後知恵で言えば、一即多、一即一切、あるいはパラレルワールドに立脚するもの
で、この見方を部分的、限定的に適用したものです。とうのも「国破山河在」的発
想で締め括っているからです。歌全体では結局二元論的立場に終わっていますの
で、論理的には破綻しているのですが、歌の場合には突き詰めない方がいいのだと
思います。自己意識に現れるさまざまな自分、そのぐらいに理解してもらえれば辻
褄があうのですが、それではやっぱりつまらないでしょうね。
「かりん」2010年11月号
体調の悪い会員が複数出て、圧倒的少人数で勉強会をしています。
渡辺松男研究に参加出来そうな方がありましたら、ぜひご連絡ください。
場所はJR戸塚駅徒歩5分の戸塚フォーラム、日時は不定期です。
渡辺松男研究2の34(2024年8月実施)
Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P167~
参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、
菅原あつ子(紙上参加)、山田公子(紙上参加)
司会と記録:鹿取未放
260 一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲
(紙上意見)
●「私」が「私(ひとり)」であると思っていれば一のわれの死だが、「私たち」というべき
存在あるという実感が私にはある。そんな私には、共感するものがある。(菅原)
●私の死は数で言えば一(いち)一(いち)一(いち)である。私を知る人が私の死を知れば、
万(まん)にもなると思えば楽しいが、結末は…大むかしからああうろこ雲である。
(山田)
(当日意見)
★この歌は、『泡宇宙の蛙』の自選五首に入っていました。1イコール多、みたいなことを
いっていたような。蚊が宇宙を呑み込むとか、そういうバリエーションの歌、松男さん
いくつか作っていますね。それから先ほどもあがった「村びとは年取りている村はず
れ大きなる穴ありて雲とぶ」のように雲も松男さんの歌のキーワードの一つですよ
ね。だいたい雲が出てくると悠久とか、永いスパンの時間に繋がっている。昔、雲の歌
集に占める割合とかグラフにしたことがあって、これ、配布します。もともとは松男
さんにだけ死の歌が多いのかどうか、死の頻出度のグラフを作って、ついでに雲も作
ったんですけど。死の方は松男さんの歌集だけでなくて、斎藤茂吉とか岡井隆、馬場
あき子とかの歌集とも比較しています。参考までにどうぞご覧になってください。泡
宇宙では雲は16首出てきますね。(鹿取)
★わかりやすい理屈っぽさで、私はあまり面白くないです。紙上意見の菅原さん、一人
の私の中に沢山の要素を見ている、その解釈は同感です。また、山田さんの解釈も
あり得るなあと思いました。死とうろこ雲は繋がるなあと思います。うろこ雲は夏の
雲とは違って、ちりぢりになってゆく、分裂してゆくイメージですね。「大昔から」とい
うのはどう解釈していいか分からないのですが。(M・A)
★この歌の「われ」というのは渡辺松男自身ではなくて一般名詞のようなもので、渡辺松
男でもあるし他の誰でもある、大昔の人も現代の人もそうやってくりかえしてきた。
それで大昔の人が死ぬときにもうろこ雲が天に広がっていた。うろこ雲って空一面に
出ることが多くてちりじりになるイメージは私にはなかったです。(鹿取)
★一に対して多いというのは、対比がわかりやすい歌だとは思うのですが。(岡東)
★一と万の対比の中で、うろこ雲が出てくるというのはすごくよく分かる。(M・A)
(後日意見)
以下、渡辺松男の自歌自注です。(鹿取)
後知恵で言えば、一即多、一即一切、あるいはパラレルワールドに立脚するもの
で、この見方を部分的、限定的に適用したものです。とうのも「国破山河在」的発
想で締め括っているからです。歌全体では結局二元論的立場に終わっていますの
で、論理的には破綻しているのですが、歌の場合には突き詰めない方がいいのだと
思います。自己意識に現れるさまざまな自分、そのぐらいに理解してもらえれば辻
褄があうのですが、それではやっぱりつまらないでしょうね。
「かりん」2010年11月号
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