かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 260

2024-10-11 13:52:28 | 短歌の鑑賞
 ※昨日から、今年8月実施の報告をアップしています。
体調の悪い会員が複数出て、圧倒的少人数で勉強会をしています。
渡辺松男研究に参加出来そうな方がありましたら、ぜひご連絡ください。
場所はJR戸塚駅徒歩5分の戸塚フォーラム、日時は不定期です。

  渡辺松男研究2の34(2024年8月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P167~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、
          菅原あつ子(紙上参加)、山田公子(紙上参加)
     司会と記録:鹿取未放


260 一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲

      (紙上意見)
●「私」が「私(ひとり)」であると思っていれば一のわれの死だが、「私たち」というべき
 存在あるという実感が私にはある。そんな私には、共感するものがある。(菅原)


●私の死は数で言えば一(いち)一(いち)一(いち)である。私を知る人が私の死を知れば、
 万(まん)にもなると思えば楽しいが、結末は…大むかしからああうろこ雲である。 
   (山田)


      (当日意見)                            
★この歌は、『泡宇宙の蛙』の自選五首に入っていました。1イコール多、みたいなことを
 いっていたような。蚊が宇宙を呑み込むとか、そういうバリエーションの歌、松男さん
 いくつか作っていますね。それから先ほどもあがった「村びとは年取りている村はず
 れ大きなる穴ありて雲とぶ」のように雲も松男さんの歌のキーワードの一つですよ
 ね。だいたい雲が出てくると悠久とか、永いスパンの時間に繋がっている。昔、雲の歌
 集に占める割合とかグラフにしたことがあって、これ、配布します。もともとは松男
 さんにだけ死の歌が多いのかどうか、死の頻出度のグラフを作って、ついでに雲も作
 ったんですけど。死の方は松男さんの歌集だけでなくて、斎藤茂吉とか岡井隆、馬場
 あき子とかの歌集とも比較しています。参考までにどうぞご覧になってください。泡
 宇宙では雲は16首出てきますね。(鹿取)
★わかりやすい理屈っぽさで、私はあまり面白くないです。紙上意見の菅原さん、一人
 の私の中に沢山の要素を見ている、その解釈は同感です。また、山田さんの解釈も
 あり得るなあと思いました。死とうろこ雲は繋がるなあと思います。うろこ雲は夏の
 雲とは違って、ちりぢりになってゆく、分裂してゆくイメージですね。「大昔から」とい
 うのはどう解釈していいか分からないのですが。(M・A)
★この歌の「われ」というのは渡辺松男自身ではなくて一般名詞のようなもので、渡辺松
 男でもあるし他の誰でもある、大昔の人も現代の人もそうやってくりかえしてきた。
 それで大昔の人が死ぬときにもうろこ雲が天に広がっていた。うろこ雲って空一面に
 出ることが多くてちりじりになるイメージは私にはなかったです。(鹿取)
★一に対して多いというのは、対比がわかりやすい歌だとは思うのですが。(岡東)
★一と万の対比の中で、うろこ雲が出てくるというのはすごくよく分かる。(M・A)

      (後日意見)
 以下、渡辺松男の自歌自注です。(鹿取)
  後知恵で言えば、一即多、一即一切、あるいはパラレルワールドに立脚するもの
  で、この見方を部分的、限定的に適用したものです。とうのも「国破山河在」的発
  想で締め括っているからです。歌全体では結局二元論的立場に終わっていますの
  で、論理的には破綻しているのですが、歌の場合には突き詰めない方がいいのだと
  思います。自己意識に現れるさまざまな自分、そのぐらいに理解してもらえれば辻
  褄があうのですが、それではやっぱりつまらないでしょうね。
                    「かりん」2010年11月号


コメント
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