かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  338

2021-10-22 17:10:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


338 槻に葉の一切は散り一切の枝がいよいよ冬空にある

        (レポート)
 ある一切が消え、他の一切がはっきりみえる。一切を二度使っていながら煩わしさがなく、それどころか、ものごとを一切と断言する力が感じられる。日頃よく使う一切は宗教に由来する言葉。言葉の背後の故かまた使い手によるのか、一首がいよいよ精神性を帯びてたちあがる。(慧子)


         

         (当日意見)
★槻の木は一般には欅って呼ばれていますって、レポートに一言書いてくれるとよかったかな。そ
 れと、「一切は宗教に由来する言葉」ってありますけど、もう少し詳しく教えてくれますか。
   (鹿取)
★仏教に一切経ってあります。「国語大辞典」(小学館)に一切教について短く触れてありました。
   (慧子)


        (後日意見)
「槻」は欅の古名。「一切経」とはお経を一同に集めた膨大なものだそうだが、この歌はそれほど宗教と結びつけなくともいいだろう。「一切」は「一切知らない」などのように打ち消しを伴って使うことが多いようだが、一つ目の「一切」は「散り」で受けているので普通の使い方だ。2つ目の「一切」は「ある」と肯定に繋がるので少し不思議な感覚にさせられる。「全然」を肯定で受ける語法が芥川龍之介の小説にも出てくるので目くじらを立てる訳ではないが、2つ目の「一切」はわざと捩って使っているのだろう。また「槻に」「空に」と敢えて「に」を重ねてもいる。「槻に」の「に」は所有格と思われるが、これも不思議な用法でたくらみがみえる。
 槻木をうたった『蝶』(2011年刊)の歌をあげる。この歌よりさらに突き詰められているようだ。【きよくたんな寒さに厳と立つ槻のまはだかはえいゑんのいりくち】
  (鹿取)

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