だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

川や海をきれいにするために食生活をみなおそう(2)

2006-05-31 04:36:37 | Weblog

 先日、愛知県水産試験場の黒田伸郎氏のお話を聞く機会があった。三河湾の環境と漁業がテーマで、特に赤潮や夏に湾底に広がる貧酸素水塊が三河湾の生態系に深刻な影響を与えていることがわかった。貧酸素水塊というのは、夏、浅い方が温度が高くなるために海水がよく混ざらなくなった状況で発生する。浅いところで繁殖した植物プランクトンの遺骸が深いところに落ちてくると、それを分解する微生物が酸素を消費し、しまいには水中の酸素がなくなってしまう現象である。当然、海底に住む生物を殺してしまう。またそのような水が台風などの風の強い時に巻き上げられて浅いところまであがってくると干潟や浅場の生き物を皆殺しにしてしまう。これを三河湾では苦潮(にがしお)と呼ぶ。(ちなみに東京湾では同じ現象を青潮という。)
 もともとは川から流れ込む窒素やリンなどの栄養物質が多すぎることによって、植物プランクトンが大繁殖することがその原因である。それで、お話しが終わってから、黒田さんに「では三河湾に流れ込む矢作川の水質をどれくらいきれいにしたら貧酸素水塊が発生しなくなるんですか?」とお聞きしたところ、その答えは意外なものだった。「矢作川はもうこれ以上きれいにしなくてもよいです。今でも河口域でのアサリの成長やノリの養殖にとっては、窒素やリンが足らないくらいなんです」というお答えだった。環境問題とはつくづく一筋縄では解決しない問題だということをここでも実感した。

 その後、いろいろと勉強したことを総合すると、三河湾などのような内湾に赤潮や貧酸素水塊が発生するかどうかは、川から流れ込む栄養物質の量と、河口部の干潟や浅場による水質浄化作用の大小とのかねあいによって決まる、ということらしい。浅い海では川から流れ込んだ栄養物質を食べて植物プランクトンが繁殖すると、貝やゴカイやカニなどがそれらを食べて、栄養物質を生体として固定する。また植物プランクトンは動物プランクトンのエサとなり、それをさらに魚の稚魚が食べて大きくなる。それらの小動物や小魚を鳥や大きな魚が食べ、栄養物質を生体として固定して、その場から運び出す役割をする。人間も貝をとったり魚をとったりして、陸上へ運び上げ、私たちの身体の中に栄養物質をとりこむ。そのようにして、水に溶けて川から流れ込んだ栄養物質は多様な生き物の生体の中にとりこまれ、そのことによって水から取り除かれる、というのが干潟や浅場の水質浄化作用である。
 その浄化作用の大きさ(栄養物質を水から取り除く速さ)は干潟・浅場の面積や気候によるある限界がある。それよりも多くの栄養物質が川から運び込まれると、植物プランクトンの「食べ残し」が遺骸有機物として海底にたまり、貧酸素状態が発生して干潟や浅場の生き物を住めなくさせ、ますます浄化作用が小さくなる、という悪循環がはじまって、最終的にはあたりはヘドロが堆積した「死の海」となってしまう。

 伊勢湾・三河湾の漁獲量の歴史を見ると、あまり明瞭ではないが、1980年くらいまでは漁獲量が増えているようにみえる。そしてピークに達して減少に転じている。増えている時期には、湾全体として見たときに干潟・浅場の水質浄化能力の範囲内で栄養物質が増加したために、生物量が増えたのではないだろうか。一方、高度経済成長期以降現在に至るまで名古屋、四日市、衣浦、三河(豊橋)の各港湾では、浚渫と埋め立てが続いており、干潟・浅場の消滅が続いている。中部国際空港の埋め立てもあった。一方、都市の人口増大と生活排水の増大が起こり、栄養物質の流れ込みは増加した。その過程のどこかで、「限界」を超えたということだろう。

 三河湾をもう少し細かく見ると、ここに流れ込む大河川は西三河を流れる矢作川と東三河の豊川の二つである。矢作川河口左岸側には今も一色干潟という広大な干潟がひろがっており、アサリの好漁場でノリの養殖もさかんだ。
 それに対して豊川河口の六条潟は、東西から埋め立てがすすみ、ごくわずかに残っているのみである。三河湾最奥部、渥美半島西側(裏浜)の干潟も相当に埋め立てがすすんだ。六条潟はかつては「六畳潟」という名で、六畳分の広さがあれば一家がくっていけた、というほどアサリなどが「湧いて出てくる」豊かな干潟であったという。わずかに残った干潟でもアサリの稚貝が「湧いて出てくる」ものの、今では苦潮にやられて全滅しては「湧いて出てくる」、というのを繰り返しているらしい。三河湾の貧酸素水塊は毎夏、豊川河口部沖から発生して西に広がるパターンが多い。矢作川河口部に較べて、豊川河口部の方がはるかに「限界」を超えているということだろう。

 そして、そのわずかに残った干潟の息の根を止めるように、六条潟の埋め立て計画が進行中である。わずかな面積の平らな地面を作ることがそれほど重要なことだろうか。人工的には決してまねできない、アサリが「湧いていて出てくる」干潟をつぶしてまで。
 埋め立て地には、工場やリゾート施設ができる(かもしれないが、できずに空き地で置かれる可能性も高い)。それらは、石油なしには成り立たないものである。石油がなくなったあとには無用の長物である。石油生産のピークがもう間近といわれ、世界が残った石油をめぐって戦争までする時代になっても、干潟をつぶして埋め立て地をつくるというのは時代錯誤というものだ。むしろ、利用されていない広大な埋め立て地を再び干潟にもどして、生き物にあふれる豊かな内湾を再生することの方が先進的というべきだ。石油が今のように手に入らなくなれば、世界の七つの海から大量に魚を冷凍して買い「漁って」くるなどということはできなくなる。そのときにはかつてのように、豊かな内湾の生態系が私たちの食卓を支えてくれるはずなのだ。
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1 コメント

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そうです!!! (大矢美紀)
2006-05-31 22:23:42
高野先生そのとおりです。嬉しくて涙がでました。
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