だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

悲しみを乗り越えて

2020-03-31 13:19:02 | Weblog

(NPO法人都市と農山村交流スローライフセンター会員誌「スローライフ」に寄稿した文章を再掲します。)

 実は昨年の今頃、とても悲しいことがあった。豊田市足助地区で74haの山林を開発するメガソーラー発電事業が進んでいることを知ったことである。私が気がついた時にはすでに工事が始まっており、現地に行ってみると、木は伐られ、山は削られ、谷は埋められ、見渡す限り砂漠のような風景が広がっていた。

 私は長く豊田市の環境審議会の委員をやっており、現行の豊田市の環境基本計画策定に当たって、自然共生部会長として、豊田市の自然環境をどう守るか委員の皆さんと熱心に議論してきた。その議論を行っていた同じ時期に、豊田市は事業者からの申し出により事前協議を行い、協定を結んでその事業を承認していた。その情報が私たち委員に伝えられることはなかった。事業計画は地元自治区には伝えられたが、大きな議論になることなく事業は進められていった。市の担当部署に問い合わせると、生態系の調査はやってあるということだったので、その報告書を見せてもらった。事業者が県の開発許可をとるために作ったもので、予定地に生息している動植物が網羅されていた。電話帳ほども厚さのある報告書には、草本、木本、菌類、昆虫、軟体動物、魚類、爬虫類、両生類、鳥類、哺乳類ごとに、生息する種がリストされていた。さらに、レッドデータブックに掲載されている種についても章を立てて記載してあった。現地はほとんどコナラ、アベマキを中心とする二次林、つまり雑木林だった。報告書によればギフチョウが生息する森で、その自然の豊かさ、生物多様性の高さが示されていた。

 そして、開発によってそのすべてが失われたのである。環境コンサル会社に依頼して相当な予算をかけて作った調査報告書だと思うが、「お弔いリスト」を作ったにすぎない。私は皆で熱心に議論して作った環境基本計画がこのような開発案件を止めることにまったく力がないことを思い知り、環境審議会委員の継続を辞退した。

 さらに今年、悲しいことがおきた。私が移住し暮らしている岐阜県恵那市飯地町で19haを開発するメガソーラー発電事業が地元自治会の同意を得てスタートすることになった。飯地町は木曽川の河畔から急な坂道を登ったところにある高原の町である。四季折々の素晴らしい景色が広がり、昨今のキャンプブームで町内にあるキャンプ場は冬でも多くのキャンプ客で賑わっている。もちろん過疎が進んでいるが、ここ数年は移住者がやってくるようになり、子どもの数の減少がなんとか止まった状況だ。昨年度はなんと人口が増えた。自治区協議会を中心に住民自治が熱心に行なわれている。山はほとんど人工林であるが、それを伐ってメガソーラー発電所を作る事業だ。

 自治区協議会では事業計画への反対を決議し、建設反対の看板を立て、事業者と粘り強く協議を重ねてきたが、すでに経済産業省の認可を取り、県の開発許可が出ていた。恵那市は条例によって事業を進めるにあたって地元自治会との協議と隣接地主の同意を求めていた。飯地町の自治区協議会は六つの単位自治会からなる。事業者はその一つの地元自治会への説明会を繰り返し、そして一軒一軒回って同意を求めて行った。最終的に地元自治会は幾つかの懸案事項に対する対策を事業者が約束したことで事業に同意し、協定書に調印した。地区は高齢者世帯がほとんどだ。東京から来た百戦錬磨の担当者が一軒一軒回って「国策だから」と説得すれば、それに反対を貫くことは難しいだろう。

 この地区には家屋敷の周りを美しく整えた家が多くある。春になると桜や桃が咲きみだれ本当に美しい風景だ。そのすぐ近くまでソーラーパネルが並ぶことになる。見渡す限りソーラーパネルが並ぶ風景は絶望的な気持ちになるようなものだ。そうなってしまったところを想像すると本当に悲しい。

 戦後、日本の里山が開発によって大規模に失われた時期が三つある。60年代から70年代には工業団地や郊外住宅団地を作るために広大な森林が造成された。80年代のバブル経済期にはゴルフ場開発。宇宙から写した衛星写真で日本列島を見れば、都市を取り囲む緑の絨毯にミミズが這ったような傷口が無数に確認できる。すべてゴルフ場である。バブル崩壊後、大規模に森林を破壊する開発はしばらくなかったが、2012年以降メガソーラー開発が全国で目白押しである。

 なぜこのようなことが起きるのか。東日本大震災の津波で被害を受けた福島第一原子力発電所の事故の翌年、再生可能エネルギー電気の固定価格買取制度がスタートする。発電事業者は高い売電単価で20年の買取を約束され、投資をすればまず間違いなく相当な利益を得られる。たくさんの投資会社が設立され、まずはてっとり早く立ち上げることのできる太陽光発電所が全国に無数にできた。最初は平地の空き地の活用と生産性の悪い農地の転換から始まったが、そのような都合の良い土地はすぐに枯渇した。そこで数年前から、一つは優良農地でソーラーシェアリング(ソーラーパネルの下で農作をする)、もう一方は山に向かったのである。

 固定価格買取制度はヨーロッパの制度を輸入したものである。しかしヨーロッパでは森林を伐採して太陽光発電所が作られることはない。私はGoogle Mapの航空写真でドイツをくまなく見たが、山の中に太陽光発電所は見当たらなかった。というのはヨーロッパでは一般には森林はフォレスター(森林官)が作った利用・管理計画により管理されており、あくまで森林を良い生態系として維持し、その上で林業として収益もあげるという仕組みになっている。地主といえども勝手に木を伐ったり他のものに利用したりできない。その計画の中に太陽光発電は入っていない。要は森林を守る法的な制度とそれに基づく実質的な仕組みがあった上での再生可能エネルギー固定価格買取制度なのだ。

 日本では森林を守る法律は森林法であるが、これは開発行為に対してほぼ無力である。工業団地も住宅団地もゴルフ場も、森林法にのっとって手続きが行われ、開発が許可されてきた。日本では自分の土地なら何をしても良いのが原則だ。そこに固定価格買取制度だけが輸入されたらどうなるか。ゴルフ場は許可されたのに、メガソーラー発電所が許可されない理由はないのである。経産省が売電の認可をし、都道府県は森林の開発許可を出す。そうするといくら市町村が条例でブロックしようとしても、「事業が遅れて損害を受けた」と事業者から訴訟を起こされれば市町村はまず確実に負けるのである。市町村の条例で時間かせぎはできるが、事業者が訴訟をチラつかせれば市町村はまったくお手上げなのだ。

 ここで誰もが疑問に思うことは、そもそも太陽光発電は温暖化対策として二酸化炭素排出削減のためにやるのではないのか。木を伐ってしまえば、その木に蓄積されていた炭素はゆくゆくは大気に放出されるのではないか。実際、国際的な枠組みでは土地利用を変えるために森林の木を伐った時点で、その国の二酸化炭素の排出量にカウントされる。森林を破壊して建設される太陽光発電所は温暖化対策の大義名分は立たないのである。では何のためにやるのか?

 固定価格買取制度を定めた「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」を読むと、この法律の目的については「電気についてエネルギー源としての再生可能エネルギー源の利用を促進し、もって我が国の国際競争力の強化及び我が国産業の振興、地域の活性化その他国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」とある。つまり、環境への配慮や対策はこの制度の目的ではなく、経済を活性化させるのが目的なのだ。日本はもう20年もGDPは増加していない。つまり経済が成長しておらず資本主義社会とはお世辞にも言えないような状況なのだ。そこで、法律の力で新たなルールを作り、新しい産業を興して経済成長を促すということが最大にして唯一の動機なのである。

 新しいルールとは、これまでは9大電力会社しかできなかった発電事業を誰でもできるように自由化し、誰でも参入できる太陽光発電を導入させるために、障壁となっている高いコストを消費者に広く薄く負担させることで、事業者に利益を生み出すというものである。毎月の電気料金の領収書を見ると、「再エネ賦課金」という欄がある。これがその負担分である。最近では電気料金全体の1割程度になっている。私たちが高い電気料金を払い、その分で森林を破壊した発電事業者が利益を得るのである。なんともやりきれないが、実はこれは国(経済産業省)がねらった通りのことが実現しているのである。

 この制度は、再生可能エネルギーの普及が十分に進めば売電単価を下げてゆき、どこかで優遇措置を終了させるというものだ。「日本は再生可能エネルギーの後進国だ」と思っている方も多いと思うが、この数年で様変わりした。太陽光発電の設備導入量はドイツを抜き中国、アメリカに続く世界第3位となった。太陽光発電はもう既に十分に普及した。例えば九州電力管内では、昼間は日常的に電気が余るほど太陽光発電は主要な電源になっている。もう太陽光発電を固定価格買取制度から外すべきである。ところが国は売電単価を下げつつ依然として優遇措置を継続している。そうすると安い単価でも全体の利益を確保するために事業は大規模になってゆく。それでここ最近、数十haから数百haの開発計画がどんどん出てきて全国で展開されている。これで日本の国土はズタズタにされていくだろう。実際にすでに災害も起きている。急斜面の木を伐って無理に太陽光パネルを並べた結果、豪雨の時に周囲の森林は崩れていないのに、発電所のところだけ土砂崩れが起きるという事案が出てきている。国土保全の観点からも太陽光発電は固定価格買取制度から外すべきなのだ。

 一方、地域側の事情もある。事業が可能になるためには土地を提供する人がいなくてはならない。森林を伐採する事業が計画されるのは山村であり、すなわち過疎地である。不在地主が多く、彼らが事業者に山林を売るのだ。地主からしてみれば、その土地に何の思い入れも未練もない。すでに地主は都会で生まれ育った世代になっていることも多い。その土地には何も価値がないと思っていた。それどころか固定資産税を払い、人工林であれば管理しなくてはいけないがそれもお金がかかる。山林は「お荷物」なのだ。そこで、それなりの値段で買うという話が来れば二つ返事で売ってしまう。

 同じ山村であっても例えば岐阜県東白川村では全村の森林が団地化されて森林経営計画が立てられ、計画的に間伐が進んでいる。そういうところに大規模な太陽光発電所の計画は来ない。しかしながら東白川村でも衰退が進んでいるお茶畑がねらわれて小規模な発電所がポツポツ建設されている。つまり農林業がうまく行われていないところが狙われ、つけこまれるのである。

 そして見渡す限りのソーラーパネルが並んでしまうと、そういうところに移住者は来ない。つまりますます過疎と地域の衰退が進むという、負のサイクルが回り始める。森林を破壊する太陽光発電所は集落消滅を不可避にし、それを早める「毒まんじゅう」なのである。

 さらにその背景には、山をお金を儲ける手段としてしか見ない価値観がある。これは田舎の人たちに広く共有されている価値観だ。戦後の拡大造林では、それまで草を刈って堆肥とし、木を伐って炭を焼いた山に、スギやヒノキの針葉樹を植林した。堆肥は化学肥料に、炭は石油にとってかわられて山の使い道がなくなったところに、戦後の木材不足で木材価格は高く、針葉樹を植林すれば「一山○百万円になる」と計算しながら、こぞって苗木を植えていったのである。それが現在では木材価格が低迷して「お金にならない」ということで山に興味も関心もなくなり、「お荷物」として捉えられるようになった。

 しかし仔細に話を聞くと、山村の人々が懐かしむ木材価格が高くたいへん儲かった時代は1980年代のバブル期なのだ。その時代、木材には法外な高値がついたのである。現在はそれが落ち着いて国際標準価格になっただけなのだ。現在でも工夫をして国からの補助金をもらえば、十分利益を出せる林業ができる。「バブルの夢をもう一度」というのはムシがいい話である。

 しかしながら、固定価格買取制度のもとでは林業よりも太陽光発電の方が利益が上がるのも間違いない。お金を稼ぐために植林したのであれば、それよりも儲かるネタがあればそちらに移行するのは自然な流れである。

 拡大造林前の里山であっても、もちろん人々は炭を焼き、それが現金収入の中心だった。それでも様々な生き物が息づく山は人々の喜びの源泉だった。春の山菜、秋のキノコ、冬の鳥や獣。四季折々に採取できる自然の食べ物は何よりの楽しみだ。先日、飯地町の高齢者のデイサービス施設「まんさく」でおばあさんたちに聞いた話では、昔はホヤというアカマツに寄生する宿り木の実がおやつになったのだという。ちょうどチューインガムのように噛んで風船も作れたそうで、それをマツの高いところに登って採って来ることのできる男の子は女の子たちの羨望の的になったという。男たちは秋になると渡り鳥を捕るために山に登り、米の収穫は女子供の仕事だったという。お弁当を持って上がり、その場で獲れたての鳥を焼いて食べる鳥屋(とや)遊びは彼女たちの幼い頃の楽しい思い出だ。その山に針葉樹を植え始めた時点で、すでに今日の状況は準備されていたと言えるかもしれない。

 そして山は神の山である。私の家の裏山は頂上に小さな祠があり金比羅さんと呼ばれている。山頂付近にはゴツゴツとした大岩があり、古代から磐座として崇拝されたものと思う。中腹には「二十二夜」と彫られた石が大きな岩の上に乗っている。いろいろ調べてみると、「二十二夜様」というものでお祭りがあったようだ。家族に病気が出たような時に、治癒を祈って月齢二十二夜の夕食後、二十二夜様のところに集い、月が出るのを待ったのだという。二十二夜の月の出は夜半である。待っている間、ずっと立っていなければならなかったとのこと。おばあさんたちは子どもの頃夜に出歩くこのお祭りをやはり楽しみにしていたそうだ。また飯地町では各家に山神様がある。我が家の山神様も市指定文化財の双体道祖神の横にちょこんと祀られている。春と秋、各家で山神様への祈りがあった。

 そしてこの山にも太陽光発電所建設の計画が持ち上がっている。19haのメガソーラー以外に、飯地町内で10か所もの計画が事業者から出され、住民に対する説明会が行われた。住民からは多くの懸念や疑問が出されたものの、事業者の回答は極めて不十分で不誠実なものだった。山村の山で神の山でないものはない。その山の木を伐りソーラーパネルを並べるなど神をも恐れない行為である。それでも、法律的にはこれを止めることは非常に難しい。たいへん悲しい。

 不条理なできごとに悲しむとき、それを乗り越えるために必要なのは、まずはなぜこういう事態に至ったのか、その説明である。本稿はそのために書いた。開発によって失われる無数の生命を弔い、人間の愚かさをしみじみと味わいながら、この悲しみを乗り越えていきたい。

 

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1 コメント

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なぜこのようなことが起きるのか。 (大ちゃん)
2021-02-23 18:03:10
一つには民主党政権の愚策。
菅元首相の負の遺産以外の何ものでもありません。
もう一つは地方自治体首長の姿勢。
心ある職員が山を守ろうとしても人事権を持った者がそれを阻止すればすべては風前の灯火となります。
貧しくとも心豊かな生活を望むものと、金に心を奪われるもの。
国民の意思がどちらに傾いているかで全ては決まるのでしょう。
残念ながら今の日本人の多くは金と権力に塗れ、のたうっているようです。
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