だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

阿智村

2014-02-21 00:29:43 | Weblog

 

 今日は長野県阿智村を訪問。Iターン者の移住・定住支援の取組についていろいろとお話を伺った。阿智村は2009年から村役場に定住支援センターをつくり、移住の相談があれば、職員が親身に対応して地道に移住者を迎え入れてきた。その数は2012年度までの4年間で105世帯208人である。阿智村の人口は2013年で6800人。たいへんな割合である。
 新規就農したいという問い合わせも多い。一口に就農といっても、慣行農法でがっつり稼ぐというタイプから、自給的な自然農までさまざまである。職員はじっくりと話を聞き、指向にあった場所に連れて行って地域の人と話をしてもらったり、先輩の新規就農者のところに連れて行って話を聞いてもらったりしているという。先輩たちは、どろんこ道、阿智ゆうきの風などのグループを作って、移住・新規就農希望者の支援をしている。

  阿智村の中でもさらに山奥の清内路(せいないじ)地区は移住者の割合が高い。2013年で人口642人中、移住者の数は85人。実に13%が移住者である。移住者は30代が多く、この年代では地元住民よりも多い。こどもも順調に生まれていて、いまや保育園は移住者の子どもの方が多い。小学校も半分近くが移住者の子どもで、複式学級になるのを防いでいる。
 旧清内路村は2009年に阿智村に合併した。その前は財政破たん状態だった。阿智村からは財政再建をしなければ合併しないと言われて、必死の思いで財政を立て直しての合併だった。合併前から村が空き家を借り受けて補修し、移住者にあっせんするというやり方で移住者を受け入れてきた。

 昨年移住してきて村の施設を借りてパンの製造をやっているFさんのパン工房、耕紡工房をのぞいてみた。ご夫婦で明日の保育園用のパンを焼いていた。国産小麦、天然酵母のパンでレーズンからとった酵母がよいという。この地にやってきた一番の理由は水だそうだ。全国的に有名だという湧き水「一番清水」を使っているという。パンを一個ごちそうになったが、シンプルな味の中にもちもちの食感がすばらしくおいしかった。評判もよく売れ行きも上々で、この地で暮らしていける自信が持てるようになってきたとのこと。とにかくお二人とも明るく元気で、いかにも幸せそうだった。それだからこその味なのだろうと思う。
 地域おこし協力隊で清内路に入ったM君は、古民家の改修に取り組んでいる。将来はみんなが集まるコミュニティスペースにしたいとのこと。いろりを囲んで村役場の担当職員やM君からいろいろお話を聞いた。M君は地元の女性と結婚、子どもももうけた。奥様の実家のすぐそばに住んでいるという。協力隊は今年度で卒業。自給的な農作をしつつ、さまざまな仕事、例えば学習塾をやったりしながら、半農多業で暮らしていくという。

 このように移住者を多く迎え入れることに成功している阿智村であるが、移住者が多くなったゆえの課題も見えてきた。移住者と地元の人との関係である。移住者は地域に溶け込むべく地域のお役や消防団の活動に積極的に参加している。それでも、有機農業や自然農、自然栽培などに対する地元民の理解はすすまない。あんなふうに草ぼうぼうにするような人に農地を貸すのはお断り、という空気がでているという。

 清内路ではもっと深刻な話を聞いた。リニア中央新幹線の路線となるこの地域では、情報が少ない中で期待と不安が交錯している。清内路には、緊急時脱出口が設けられる計画で、工事の際には、ここからトンネルを掘って出た土砂を運び出すという。毎日大型ダンプカーが200台以上も走るという計画なのだという。
 移住者はもちろん基本的に反対である。静かで自然豊かな地で子育てしたい、と移住してきたのに、ダンプカーがびゅんびゅん走るようでは何のために移住したのか分からない。ところが地元住民は、今さら計画に反対してもしょうがない、迷惑を受ける対価として道路を整備したりとかなんとか見返りを求める方が得策だ、という空気が強い。よそ者がガタガタ言うな、という感覚になってきているという。

 もし計画どおりの事態になったら、移住者の多くは清内路を出ていくかもしれない。これまでの努力が水の泡である。多少の見返りがあったところで、そこに住み続ける人がいなくなったら意味がないのではないかと私は思う。一方、地元住民から見れば、自分たちにとってここは代々生まれ育った土地であり、ここから逃げ出すことはできない。一方移住者は何となれば逃げ出すことができる。そこに移住者と地元民の間に越えられない心理的な壁があることも確かである。リニア計画がその壁をあからさまに目の前に出現させてしまう。不幸なことである。私は何とも言えない悲しい気持ちになった。

 最後にM君から質問があった。半農多業という「現代の百姓」として生きていくことについて、地元住民からは、「何をやっても中途半端だ、そんなのではダメだ」と言われてしまうが、どう説明したらよいだろうか、ということである。私はしばらく考えこんでから、以下のように返答した。口で説明して分かってもらえるようなことではない。それより、あなたが自信をもってそのような生き方を実践し、幸せになることが一番だ。そうすれば周囲の人たちも少しずつ「こんな生き方もあるのか」と分かってくれるようになるだろう。それを聞いたM君は「それなら幸せになる自信があります」とのこと。頼もしい限りである。日本の希望はリニアにではなく、彼らのひたむきな姿にあると私は思う。


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