だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

魂の再起

2007-03-26 05:49:06 | Weblog

 世界の先住民族の若者たちの状況は困難をきわめている。例えばカナダの先住民族(イヌイットやインディアン)の居留地においては現在でも若い人々の死亡率が異様に高いという。浅井晃『カナダ先住民の世界』彩流社2004年によれば、ブリティッシュコロンビア州の1989年の報告書では、「一歳未満の乳幼児の死亡率は、非先住民族の乳幼児の7倍、13歳から18歳までの少年の自殺と事故死は、非先住民族少年の10倍、少女の場合はいっそう高く、20倍に及ぶという。死亡の原因は麻薬、アルコール、スキーや車の運転などの危険な行動が多いということである。社会福祉担当者はそうした子供たちを救おうとするが、彼らが何を望んでいるかを見いだすのは困難である。」(p.119)。同様な状況は、アメリカ、オーストラリア、アマゾンの先住民族でも見いだせる。
 これらの先住民族に共通するのは、かつて狩猟採集の民として大自然の中でその一部として暮らしてきた民族であり、近代文明に巻き込まれる中でその大地を奪われたということだ。北米の先住民族は大地を放棄し居留地に定住する代償として、政府から生活補助金を得て暮らしてきた。これほど先住民族の人々の魂を痛めつける状況はないのだろう。

 翻って、日本の近代化はどうであったか。アイヌ民族は他の先住民族と同様な困難な道を強いられてきた。現在でも差別とともにアルコール中毒や貧困の問題を抱えている。(名古屋のホームレスにはアイヌが多いという噂を聞いた。本当だろうか。)
 一方、ヤマト民族は、近代化にきわめてうまく適応したように見える。明治の「ご一新」を期に男たちは自らちょんまげを切り、洋服を着るようになった。女たちは産業革命さなかの工場へ大挙して働きに出た。
 このことが私には少し不思議に思える。ヤマト民族も大自然とはいえないまでも、人間が関与することによって豊かで美しく保たれた自然の中で、それに生かされていることを実感しながら暮らしてきた。それが失われるならば、きっと魂に病を抱えるのではないだろうか、という疑問である。

 近代化をスタートさせた大日本帝国は、近代化をすすめる上でのある種の必然として、帝国主義・軍事国家となり、最終的には昭和の戦争によって崩壊する。少々こじつけかもしれないが、太平洋戦争にすすむ政治プロセスを見ると、私にはこれがある種の集団的な「自殺」行為ではなかったかという気がする。
 半藤一利『日本海軍の興亡』PHP文庫1999年によれば、日米開戦を決定した1941年9月6日の御前会議を前に、それまで開戦に反対していた海軍の責任者永野修身大将は部下にこう語ったという。「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国かも知れぬ・・・前者は魂まで失った真の亡国、後者なら・・児孫は再起するだろう」。これから戦争をしようとする軍の責任者としてこれほど無責任な言葉もない。そして戦った結果、その「予言」どおり、戦争末期にはわずか数日の作戦で7000人の兵士が死亡したり、空襲によって一晩で何万人もの市民が死亡する事態となった。中国、韓国をはじめとするアジアの国々を亡国に追いやりながら、その敗戦は日本自身の亡国というにふさわしい。
 後世の人間がなぜ戦わなければならなかったのか理解することは難しい。それはカナダの社会福祉担当者が「彼らが何を望んでいるかを見いだすのは困難」と言っているもどかしさと通じるものがあるような気がする。永野が言う、戦わなかった時に失われただろう魂とはいったいどのようなものだったのか。ひとりひとりはともかく、ヤマト民族は集団としてすでに魂を病んでいたのではないかと思う。

 そして、戦後、高度経済成長によって「児孫は再起」したように見える。魂は再起したのだろうか。

 今日、縁あってソフィア工房代表の篠原三千征氏とおしゃべりする機会があった。不思議なオーラをもったおじさんである。大阪市鶴見区で子育て支援や「悪ガキ」たちの援助をされてきた。氏が子育てサークルで子どもたちを見ている実感として、半分くらいの子はアトピーや内臓疾患などの慢性的な病気をかかえている。さらに1割から2割くらいの子は言葉の遅れなどの発達障害がみられるという。これらは相当な高率と思われ、子どもたちと社会の行く末が心配だと氏は語る。
 高度経済成長の開始から40年、日本人は大挙して都市に移り住み、本格的に自然から切り離された暮らしをするようになった。田舎の自然を知らず、都市で生まれ育った世代が子どもを育てる時代になった。私には、自然から切り離された魂が病んで、モノを言えない子どもたちの身体の異常として表現されているような気がしてならない。

 ブリテッシュコロンビア州の報告書は魂を病んだ先住民族の若者たちを「治療に送り出すよりも、彼らの育ったコミュニティに戻してやるべきだ」と述べているという。カナダやアラスカではしばらく前から先住民族の若者たちが民族の言葉を学び、狩猟など伝統的な暮らしの文化を学ぼうとする動きがはじまっている。
 篠原氏は、毎年5月の連休には「悪ガキ」たちを連れて山に登るという。町で何ヶ月かかっても心を通わせられない子が山の3日間で心を開くという。
 魂を再起させるには、おそらくこのような地道な努力の積み重ねが必要なのだろう。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恐れについて | トップ | 風森まちの研究(1) »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
生きるための誇りを奪うシステム (かば)
2007-03-26 13:50:42
中沢新一さんやソウルフラワーユニオンの影響で、ネイティブアメリカンやアイヌや沖縄、ミクロネシアなど島の人々のような、「国家を持とうとしなかった人たち」を、とてもリスペクトしているのですが、国家によって抑圧され続けてきた彼らの苦しみの本質は、想像することしかできません。
過去、彼らが培った生き方、暮らし方の中にこそ、行き詰まっている僕たちがこれからどう生きるといいかのヒントがあると思っていますが、彼らの生き方を壊しているのが、僕たちの文明自身なんですね。

本来自然としか生きられないはずの人間の、勘違いから生まれた国家という権力構造、その隠蔽されてきた暴力性が今、普通の生活の中に露呈しはじめていることを感じます。よほど鈍感でもないかぎり。

福祉が充実している北欧の自殺率の高さも、関係しているのでしょうか?


地域に目が向いて、自分の産まれた地域を再生しようと思った理由は、その土地の人間としての尊厳が奪われていくしくみが間違っていると思ったからです。誇りを奪われては、自分の足で立って生きられないんです。
返信する
Unknown (ozeki)
2007-03-26 16:07:14
 先日、「男達の大和」を借りてきて見たのですが、その一シーンに航空機の援護ゼロで沖縄に行く大和の乗組員が自分たちは捨て石ではないか、なにも役にたたないのではという発言したときに、上官が「大和が滅びて初めて日本人は目が覚める。そして敗戦を経験してこそ日本はよみがえる。」という言葉がありました。

 ↑の永野修身大将の部下に語った言葉に近いものを感じます。

 でも、先生のおっしゃるようにどうなんでしょうね。団塊の世代へのアンケートで、自分達の成功はという質問に「経済発展」という答えが多く、その一方で失敗はとの質問には「いじめ、子供の自殺、虐待など精神を荒廃させた。」というものがありました。

 また、先日のNHKでは、今の20代の親たちからの質問で「海では子供とどうやって遊んでいいのかわからない」との発言を紹介してました。

 昭和30年代生まれくらいがかすかに自然と身近に遊べることができたあ世代でしょうか。
 それ以降は・・・。

 まとまりませんが、ほんとどうなってしまうのか日本ですね。
返信する
自然の中でこそ感じる不自然 (山男)
2007-03-27 18:58:51
先生、こんにちわ。私もネイティブの生き方に惹かれ、山の中で働く事を選びました。ネイティブの思想で最も感激するのは、「森羅万象に神は宿る」という考えだと思います。自分が生きていく為に、全てに感謝するという思想ですね。彼らは、自然からの恵みを頂く事によって生き、生態系ピラミッドの中に入る事を心から望み、自らの体を食物連鎖の中へ放り込もうとしていました。今の私たちにそれができるのでしょうか?
毎日山にいますが、自然の中だからこそ明確に感じる不自然さに身震いしながら、少しでも自分が優しい人間になれるように努力しようと思っています。
先生のブログを読んでいると、そんな気持ちになれます。ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事