多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

清瀬市「中清戸上組稲荷神社」

2011年02月28日 | 神社
中里上組稲荷神社 

鎮座地 中里1-

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

例大祭 2月初午

解説 
中里村上組の人々によって祀られた祠。

詳細不明なれど、市内他の稲荷社の例から江戸時代初期の創建と考えられる。

清瀬市「松宮稲荷神社」

2011年02月25日 | 神社
松宮稲荷神社 

鎮座地 旭が丘5-903

祭神 保食命(うけもちのみこと)

例大祭 2月7日

解説 
上宮稲荷に対して下の稲荷と呼ばれた。

下宿下組の稲荷講20戸によって祀られた社。

寛永年間(1624~44)の創建という。

かつて円座の松という大木があった事が「新編武蔵国風土稿」に記されているが、
大正年間に枯れてしまった。

なお当社は旭が丘団地内にあるが、
借家の住人はどうやら稲荷講に参加できないらしい。

清瀬市「上清戸稲荷神社」

2011年02月22日 | 神社
上清戸稲荷神社 

鎮座地 上清戸1-12

祭神 保食神(うけもちのかみ)

解説 
村野一家によって祀られた稲荷講の祠。

当家には三峯神社もある。

狐付きが発生すると、その御札を借りて患者の枕の下に忍ばせておく。
すると、たちどころに直ったという。

清瀬市「伊勢神社」

2011年02月21日 | 神社
伊勢神社 

鎮座地 下清戸1-271

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
    倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
    面足命(おもだるのみこと)
     惶根命(かしこねのみこと)

例大祭 9月1日

解説 
下清戸地区の人々によって祀られた祠。

文禄4年(1595)創建という。

明治30年(1897)付近の稲荷神社と境塚神社を合祀して祭神が現在のようになった。
境塚神社は祭神から、もと第六天神社と思われる。

清瀬市「家守神社」

2011年02月20日 | 神社
家守神社 

鎮座地 下清戸4-747

祭神 面足命(おもだるのみこと)
    惺根命(かしこねのみこと)

例大祭 9月1日

解説 
万治元年(1658)創建という。

清瀬市には当社のような小祠が多いが、
ほとんどが稲荷社で当社のような例はあまりないのでは? 

祭神から、かつては第六天社であったと思われる。

清瀬市「氷川神社」

2011年02月18日 | 神社
氷川神社 

鎮座地 中里2-1383

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 東光院

例大祭 4月28日

解説 
中里村の鎮守。

中里村は、天正19年(1591)旗本武蔵氏の所領となって以来、
明治まで武蔵氏の支配が続いた。

当社も同氏によって創建されたと思われる。

例大祭では、「中里万作」という芝居が奉納される。

清瀬市「日枝神社」

2011年02月18日 | 神社
日枝神社 

鎮座地 中清戸2-616

祭神 大山咋神(おおやまいくのかみ)
    大巳貴神(おおなむちのかみ)

旧格式 村社  

別当寺 正覚寺

例大祭 10月5日

解説 
天正7年(1579)中嶋筑後守信尚が山王大権現を勧進したのが創建という。

明治の仏分離で日枝神社と改名した。

本殿の土台は宝暦5年(1755)の銘を持つ。

ご神木は推定樹齢400年の杉の大木である。

また、山王権現の眷属三猿の彫刻のある石燈籠(寛文4年(1664) 横山太良兵衛らによって寄進)や
木曽御嶽神社のご分霊を祀った小山などがある。

日本武尊が東征した際、その根本で休憩した柊の老木がかつて当地にあったとか?
それを記念する柊は現在も当地にある。

多摩地区で「山王鳥居」が見られるのはここだけ。




水天宮



祭神、安徳天皇他、

日枝神社と並び立つ。

明治時代に村人の安産祈願のため創建された。

毎月戌の日には、安産を祈願する参拝者の姿が見られる。



日枝神社の御神木杉




目通り4.8メートル
樹高21メートル
樹齢400年
解説 
「スギの大樹は丘陵か山地に生育しており、台地に根をはり老木となることは珍しい」
・・・と説明にあるが、
確かに平野部のご神木はイチョウ・ケヤキなどが多くスギは珍しい。

清瀬市指定天然記念物。


日枝神社の狛犬1



・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り


日枝神社の摂社、御嶽神社の狛犬





清瀬市「富士山神社」

2011年02月16日 | 神社
富士山神社 

鎮座地 中里3-991

祭神 木花咲耶姫命など

例大祭 9月1日(火の花祭り)

解説 
通称中里富士。

文政8年(1825)丸嘉講田無組中里講社によって築かれた富士塚。

本物の富士に擬せられた登山道には富士講にちなんだ各種の石碑がある。

風穴と呼ばれる洞窟も掘られており、
この洞窟を潜ると安産にご利益があるとの事であるが、
現在は立入り禁止となっている。

例大祭に当たる東京都指定無形文化財「火の花祭り」では、富士型の藁束に火がつけられる。

その火に当たって灰を持ち帰り門口に撒くと火災除け・魔除けに霊験があり、
畑に撒くと豊作になるという。

東大和市の神社概略

2011年02月15日 | 神社
東大和市の神社概略

東大和市は、芋窪・蔵敷・奈良橋・高木・後ヶ谷・宅部の各村が合併してできた。

これらの村は狭山丘陵沿いにあったが、
江戸時代の新田開発により南に伸びていった。

離れたところに新田を開発したわけではないので、
鎮守もそのままで増える事はなく、
各村の鎮守社は江戸時代初期以前に創建が遡る古社が多くなっている。

市の北部には村山貯水池(多摩湖)があり、
湖底に没した神社は各村の鎮守などに合祀されている。

なお、芋窪村の豊鹿嶋神社の本殿は都内最古の神社建築である。


東大和市はこれにて終了!

明日よりは清瀬市の神社紹介予定!