多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

羽村市「児魂神社」

2011年03月31日 | 神社
児魂神社 

鎮座地 川崎4-7

祭神 草野姫命 
    伊佐那伎命(いざなぎのみこと)
    伊佐那美命(いざなみのみこと)
    速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)
    速伊佐那美命(はやいざなみのみこと)

旧格式 神明神社の境外摂社

解説 
竹の上地区の鎮守。

かつてこの地には樟の大樹があり様々な奇異の禍があった。

天正元年(1573)当地の住人、竹の上遠江守が霊夢のお告げにより樹下に祠を建て、
児魂明神を勧請して祀ったという。

羽村市「稲荷神社」

2011年03月30日 | 神社
稲荷神社 

鎮座地 羽東2-14

祭神 宇迦之御魂之神(うかのみたまのみこと)
    建速素戔男尊(たてはやすさのおのみこと)
    玉祖命(たまのおやのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 9月19日

解説 
羽字東の鎮守。

江戸時代には段丘下に鎮座していたものを明治39(1906)現在地に遷した。

本殿は小林藤馬の造で、弘化3年(1846)の築。

春の摂社八雲神社の祭礼は神輿が多摩川に踊り込む勇壮な祭り。

この八雲神社の神輿も文政10年(1827)造の小林藤馬の作。

羽村市「羽村神社」

2011年03月29日 | 神社
羽村神社 

鎮座地 羽741

祭神 木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
    火産霊神(ほむすびのかみ)
    大国主神(おおくにぬしのかみ) 
    崇徳天皇(すとくてんのう)

旧格式 村社  

別当寺 村持ち

例大祭 4月3日

解説 
浅間山(琴平山)の山中にあり、
江戸時代には富士浅間社あるいは琴平社といわれた。

明治3年(1870)秋葉社を合祀して羽村神社と改名した。

浅間さまとも言われ、市販の地図の表示では浅間神社になっているものもある。

阿蘇神社の兼務社。

羽村市「八幡稲荷神社」

2011年03月28日 | 神社
八幡稲荷神社 

鎮座地 羽中3-11

祭神 蒼生魂大神 
    応神天皇(おうじんてんのう)

例大祭 2月初午

解説 
当社には八幡神が合祀されているため、
地図上は八幡稲荷という社名で表記されているが、
通称は間坂の稲荷様と言われている。

旧家坂本氏の屋敷神だが付近の稲荷講の人々によっても祀られている。

もともと多摩川よりの根搦水田前にあった坂本氏の屋敷だが、
現在地に移動した時当社も遷ってきたという。

境内には池がありどんな渇水の時にも枯れた事がない。

幟や手水舎には「蒼生魂大神」とあるがどんな神様か不明。
倉稲魂命と同一か?

羽村市「五ノ神社」

2011年03月27日 | 神社
五ノ神社 

鎮座地 五ノ神1-1

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 
    素盞嗚命(すさのおのみこと)
    天児屋根命(あめのこやねのみこと) 
    伊佐那美命(いざなみのみこと)
    事解能男命(ことさかのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村持ち

例大祭 9月28日

解説 
当地にはかつて神明社・熊野社・稲荷社・第六天社・子ノ神社の5社があり、
そのため地名が五ノ神になったという。

「武蔵史料銘記集」には慶長12年(1607)の棟札に五辰宮の記述があり、
それが当社だとの説もあるが、
明治3年(1870)現社名に改名されるまでは熊野神社といわれていた。

本殿は嘉永2年(1849)~文久2年(1862)の間に築かれたもの。
小林藤馬の作で市の有形文化財に指定されている。

隣接して「まいまいず井戸」という古い形式の井戸が残っている。

羽村市「阿蘇神社」

2011年03月26日 | 神社
阿蘇神社 

鎮座地 羽加美4-6

祭神 健磐竜命(たけいわたつのみこと) 
    阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)
    速瓶玉命(はやみかたまのみこと) 
    国竜神(くにたつのかみ)他

旧格式 村社  

例大祭 10月1日

解説 
推古天皇9年(601)創建伝説を持つ古社。

阿蘇大明神・長淵郷総社竜水山阿蘇宮・阿蘇宮などと言われた。

承平・天慶の乱の頃には平将門や藤原秀郷も信仰したという。

中世には小田原北条氏や杣保(羽村・青梅・奥多摩を含む中世の地名)の領主三田氏も当社を信仰し、
永正13年(1516)北条氏によって20貫文の神領が寄進された。

天文5年(1530)には三田掃部助定重が社殿を造営している。

江戸時代には徳川家康が鷹狩のおりに当社に参拝し2丁4方の馬場を寄進した。

慶安2年(1649)には徳川家光より朱印地13石を賜り、
以後代々の将軍より神領を安堵された。

本殿は延宝4年(1676)再建で東京都指定有形文化財。

神輿は宮大工小林藤馬の作で羽村市の有形文化財に指定されている。

神主は宮川氏が代々務め、
寛永13年 (1636)神道管領長上、吉田家の裁許状を伝えている。

また宮川家邸宅も国の登録有形文化財に指定されている。



阿蘇神社の御神木スダジイ



樹齢800年以上という大樹で、姥ヶ淵と呼ばれる多摩川に臨む崖上にある。

樹高18メートル幹囲6.2メートル。

平将門を討った藤原秀郷が天慶3年(940)社殿造営の際自ら手植えしたという。

東京都指定天然記念物。


阿蘇神社の狛犬



・奉納年 昭和14年(1939)
・石工 並木馬次郎
・願主 社家 宮川安信
・右 阿形 子取り
・左 吽形

羽村市「護国神社」

2011年03月25日 | 神社
護国神社 

鎮座地 羽中3-6

祭神 戦没英霊

旧格式 別格社

例大祭 11月23日

解説 
もともと招魂社といった。

明治39年(1905)羽村出身で日清・日露戦争で戦死した人々の英霊を祀るために創建された。

境内に明治時代に活躍した当地の教育者、佐々蔚の顕彰碑などがある。

昭島市の神社概略

2011年03月24日 | 神社
昭島市の神社概略

昭島市は西部の拝島町と東部の昭和町が合併してできた地名である。

昭和町は郷地・福島・大神・中神・築地・上川原・宮沢の各村が合併してできた。
それぞれの村の鎮守社は当然村社に列せられておかしくないが、
資料がとぼしく実態は不明である。

旧別当寺についても、立地や創建についてのいきさつから推定に基き記しており、
実態は定かではない。


これにて昭島市は終了!
明日より羽村市の神社を紹介予定。

昭島市「田中稲荷神社」

2011年03月24日 | 神社
田中稲荷神社 

鎮座地 田中町2-10

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式  ?

別当寺 村民持ち

例大祭 2月初午

解説 
かつて田中村の鎮守は風田社であったが、
風田社のあたりが拝島村に編入されたため、
宝暦10年(1760)村の中心部に当社を創建し田中村の鎮守とした。

明治2年(1869)多摩川の洪水により田中寺の近くに遷る。

昭和15年(1940)道路拡張のため現在地に遷った。

昭島市「諏訪神社」

2011年03月23日 | 神社
諏訪神社 

鎮座地 宮沢町2-35

祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)

旧格式 村社?

別当寺 阿弥陀寺

例大祭 9月9日

解説 
平安時代、当地の小町家の先祖である、京都三条小鍛治宗近が陸奥へ赴く途中、
子の一人にこの地を開墾させたという。

宗近は信濃諏訪大社を信仰していたので村の鎮守としてご分霊を遷して祀った。

昭和11年(1936)火災により社殿を喪失、翌年再建された。

摂社厳島神社=弁天社は向いの阿弥陀寺より神仏分離のため明治になって遷したもの。



昭島市「惣十稲荷神社」

2011年03月22日 | 神社
惣十稲荷神社 

鎮座地 昭和町4-8

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
富士塚上に浅間神社と稲荷社がある。

天保6年(1835)当地の百姓権八の妻「しま」が大病にかかった折、
神懸りして名主の七郎右衛門に言うことには、

「私は肥後熊本の惣十稲荷だが、
ここに200年も住んでいるのに誰も知らないし宮もない。
住み慣れた仙元山に祠を建ててほしい・・・」

あるいは別の説では、
「以前あった稲荷の祠を再建してほしい」
・・・と言ったため社殿を建てたところ、
しまの病気はたちどころに治ったという。

以来病気治癒に霊験あらたかと、参拝者が後をたたなかったという。


富士塚の方はいつ築かれたのか不明。

以前は富士仙現社などといった。

当地には冨士講があり、
幕末から明治にかけて活動した、柳川直右衛門などの富士講の行者の存在も知られているが、
当社とのかかわりはわからない?

昭島市「神明神社」

2011年03月21日 | 神社
神明神社 

鎮座地 拝島町1-19

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

解説 
新田義貞の家臣、三津田源之進によって久保家の敷地内に守護神、
天照皇大神を祀ったのが創建という。

万治元年 (1658)当地の久保庄右衛門が再建「町後神社」と言われた。

明治28年(1895)神明神社と改めた。

大正6年(1917)拝島大火で焼失翌年再建された。

昭島市「中神日枝神社」

2011年03月20日 | 神社
中神日枝神社 

鎮座地 中神町2-2

祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

旧格式 ?

別当寺 宮崎氏持ち

例大祭 9月29日

解説 
通称山王様。
熊野神社が中神村の鎮守となるまで中神村の鎮守であった。

現在でも熊野神社の例大祭で巡行される獅子舞は、
先に当社に立ち寄り舞を奉納する。

享保13年(1728)の銘のある庚申塔がある。

昭島市「熊野神社」

2011年03月18日 | 神社
熊野神社 

鎮座地 中神町1-12

祭神 伊弉冉命(いざなみのみこと) 
    速玉男命(はやたまおのみこと)
    事解男命

旧格式 村社?

別当寺 宮崎氏持ち

例大祭 9月29日

解説 
中神村の鎮守。 

延文5年(1360)当地の篠為右衛門の先祖が伊勢神宮に参拝した帰り、
熊野本宮にたちよりご分霊を遷したという。

江戸時代には、熊野大権現・熊野大神などといわれ、
明治29年(1896)現在の社名に変更した。

社殿は嘉永5年(1852)中野久次郎によって再建されたもの。

ご神木の銀杏は樹齢400年という大樹である。

例大祭は「9月のお節句」といわれ輿渡御のかわりに獅子舞が町内を巡行する。


熊野神社の御神木



目通り 6.5メートル
樹高 33メートル
樹齢 400年
記事 多い年には3石以上の銀杏が取れたという。