多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

あきる野市「青木平熊野神社」

2011年09月30日 | 神社
青木平熊野神社 

鎮座地 乙津1002

祭神 伊奘那岐命 (いざなぎのみこと)
    伊奘那册命 (いざなみのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 陽谷院

例大祭 3月13日

解説 
青木平地区の人々によって祀られた祠。

嘉吉元年(1441)勧請。

天正18年(1590)火災により消失、翌年再建された。

あきる野市「穴澤天神社」

2011年09月29日 | 神社
穴澤天神社 

鎮座地 深沢210

祭神 高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) 神皇産霊神 (かみむすびのかみ)
    伊奘諾神 (いざなぎのかみ) 少彦名神 (すくなひこなのかみ)
    事解之男神 (ことわけのおのかみ) 速玉男神 (はやたまおのかみ)
    大山祇神 (おおやまつみのかみ) 豊受姫命 (とようけひめのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 ?

例大祭 5月5日

解説 
深沢村の鎮守。

「延喜式・神名帳」に記載のある穴澤天神社であるという説もある。

あきる野市「阿伎留神社」

2011年09月28日 | 神社
阿伎留神社

鎮座地 五日市1081

祭神 大物主神 (おおものぬしのかみ)
    味耜高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
    建夷鳥神 (たけひなとりかみ)
    天児屋根命 (あめのこやねのみこと)

旧格式 郷社

例大祭 9月28~30日

解説 
「延喜式神名帳」に記載のある畔切神社に相当するといわれる古社。

「三代実録」によると、元慶3年(879)従四位下の位が授けられた。

また、藤原秀郷が平将門との戦の戦勝を祈願したという。

江戸時代には徳川家康以来代々の将軍家より、朱印地10石を賜っていた。

かつては、松原大明神あるいは春日大明神などとも言われた。

天保元年(1800)の五日市大火で社殿が消失し、
幕府より再建の許可は下りていたが、
そのまま明治維新をむかえてしまい、ようやく明治21年(1889)に再建された。

伝来の文化財として幕末の画家、狩野久信筆「年中十二祭神事絵巻」や
建武5年 (1338)の銘のある「懸仏台盤」
応永24年(1417)鎌倉公方、足利持氏が秋川流域の武士たちに下した恩賞状を含む6通の文書類「武州南一揆文書」がある。

神職は阿留多伎氏が務めるが、武蔵国造の末裔という。


阿伎留神社の狛犬



・奉納年 大正3年(1914)
・石工 八王寺町 麻生太助
・右 阿形 玉取り
・左 吽形 子取り

あきる野市西部の神社概略

2011年09月27日 | 神社
あきる野市西部の神社概略

あきる野市東部は旧秋川市に相当する。

この地区の神社の本殿は他の地域に比べて、
江戸時代末から明治にかけての彫刻をすぐ近くで見ることができる貴重な例が多い。

小宮神社・白滝神社・下代継神明社を例に紹介をしてみた。


これにてあきる野市西部=旧秋川市の神社は終了。
明日よりあきる野市東部=旧五日市町の神社を紹介予定。

あきる野市「高瀬八幡神社」

2011年09月26日 | 神社
高瀬八幡神社 

鎮座地 草花792

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 無格社  

別当寺 大行寺

例大祭 9月最終日曜

解説 
高瀬地区の人々によって祀られた祠。

明治2年(1869)草花神社に合祀されたが、
大正初期にふたたび分祀された。

例大祭では「森山囃子」が奉納される。

あきる野市「菅生八雲神社」

2011年09月25日 | 神社
菅生八雲神社 

鎮座地 菅生665

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 ? 

別当寺 福泉寺

解説 
詳細不明。
福泉寺の鎮守か?

兄弟塚といわれる古い五輪塔が二基参道をはさんである。
(写真はそのうちのひとつ)

かつてこのあたりは、横山党の菅生氏の領地であった。
兄菅生有孝が鎌倉へ行って留守の間に、
弟経久が勝手に兄の乗馬を福泉寺へ農耕馬として貸し出した事から喧嘩となり、
誤って有孝を殺してしまった経久も自害して果てた。

その後菅生氏の檀那寺福泉寺の計らいで二人は有髪のまま当地に葬られた。

そのためか、この塚の前を通ると「剃ってくれ」という声が聞こえるとか。

あきる野市「白滝神社」

2011年09月24日 | 神社
白滝神社 

鎮座地 上代継331

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
    日本武尊(やまとたけるのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち?

例大祭 4月15日

解説 
境内に滝があり社名の由来となっている。

かつては白滝の社といわれ日本武尊を祀っていたが、
当地の住人代継縫之助が屋敷の不動明王を合祀して村の鎮守としてからは
不動堂といわれていた。

明治の神仏分離でもとの社名にもどった。

白滝神社本殿には見事な彫刻がある。
神社本殿は大概覆殿の中にあり、
彫刻も外からは見る事ができないものがほとんどだが、
白滝神社の場合覆殿の隙間から間直に彫刻を見る事ができる。

彫刻の内容は古代中国、漢の高祖劉邦に仕えた英雄たちの故事。


右側面「張良が川に落ちた黄石公の靴を拾う」



後に劉邦の軍師となる張良が黄石公という老人に軍略を教わるため、
老人が川にとした靴を拾おうとしたところ。
大蛇が現れこれを邪魔しようとしている。
脇障子にはこの続きとして、
靴を黄石公にささげている場面も彫られている。


左側面「鴻門の会に駆けつける樊かい」



鴻門の会において、項羽は劉邦を殺そうとする。
その急を知った劉邦の部下、樊かいが会合の場に押し通ろうとしている場面。


背面「韓信の股くぐり」



背水の陣で知られ、国士無双といわれた名将、韓信の若い頃の話し。
大望を抱く韓信は不良との無用のいざこざを避けるためあえて屈辱に耐えた。
忍耐の見本ともいえる故事。

あきる野市「瀬戸岡神明社」

2011年09月23日 | 神社
瀬戸岡神明神社 

鎮座地 瀬戸岡445

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち

例大祭 9月16日

解説 
以前当社のあたりは「おいせ森」といわれた。

4月1日はかつて「うままち」といわれ、
当地の農耕馬が飾りたてて集まり大変な賑わいであった。

例大祭では市指定文化財の瀬戸岡獅子舞が奉納されるが、
同時に奉納される「棒使い」は天然理心流師範、大西十郎が棒術の型取りを伝えたもの。

あきる野市「折立八雲神社」

2011年09月22日 | 神社
折立八雲神社 

鎮座地 草花1880

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 ?

例大祭 4月15日

解説 
折立地区の人々によって祀られた祠。

通称天王様といわれる。

明治2年(1869)草花神社に合祀されたが、
大正初期にふたたびもとの場所に祀られた。

鬼源兵衛が持ち上げたという大石が伝わる。

あきる野市「小川熊野神社」

2011年09月21日 | 神社
小川熊野神社 

鎮座地 小川639

祭神  伊邪那美大神(いざなぎのおおかみ)
     速玉之男命(はやたまのおのみこと)
     事解之男神(ことさかのおのかみ)

旧格式 村社  

別当寺 玉泉寺

例大祭 9月29日

解説 
小川村の鎮守。

通称「おくまんさま」といわれる。

宝永5年(1708)の棟札あり。

かつては熊野三社大権現とも言われた。


熊野神社の御神木ケヤキ



目通り幹周り 6.9m
樹高 19m
指定 あきる野市指定天然記念物
記事 かつて内部が焼けその痕は炭状になり今も残る。

あきる野市「大宮神社」

2011年09月20日 | 神社
大宮神社 

鎮座地 引田944

祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 真照寺

例大祭 4月第二日曜

解説 
現さいたま市大宮の氷川神社のご分霊を遷した神社。

かつては大宮明神社といわれた。

延文2年(1357)鎌倉公方、足利基氏により再建。

大永7年(1527)には日奉宗連が再建。

「新編武蔵国風土記稿」に除地16200坪とある。


伝説によると、天平年間(729~47)宇治の人、館林嘉門が和歌修業で全国を巡歴中出雲で病気となり、
出雲大社に祈願するとたちどころに平癒した。

その後大社内の土を持ち歩き、当地に来たときに祠を建てて収めたのが創建という。

また、元治元年(1864)当地の馬場弥次郎が上京のおり白川神祇伯王家より「正一位大宮大明神」の神号を賜った。

あきる野市「野辺八雲神社」

2011年09月19日 | 神社
野辺八雲神社 

鎮座地 野辺316

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 野辺新開院

例大祭 7月25日前の日曜日

解説 
長禄年間(1457~60)京都祇園社より牛頭天王を勧請し野辺村の鎮守とした。

明治の神仏分離の際に八雲神社と改められた。

応永7年(1400)の五輪塔がある。

境内には美しい池があり「鯉のお宮」ともいわれる。

あきる野市「二宮神社」

2011年09月18日 | 神社
二宮神社 

鎮座地 二宮2252

祭神 国常立命(くにとこたちのみこと)

旧格式 郷社

例大祭 9月9日(しょうがまち)

解説 
多摩郡小川郷鎮座することから、
もと小川大明神といい武蔵国二ノ宮の格式を持つ古社。

平安時代の武将、藤原秀郷が天慶の乱に際して戦勝を祈願したといわれる。

また、境内は室町時代に大石氏が居館をかまえた城跡でもあり、
東京都指定の史跡に指定されている。

古来武将の信仰厚く、源頼朝が1000石・北条氏政が500石を寄進。

江戸時代には徳川家康以来15石の朱印地を賜っていた。


例大祭は「しょうがまち」といわれる。

また二宮歌舞伎という農村歌舞伎が伝わり戦後一時衰退したが近年秋川歌舞伎と改名して復活。
東京都の無形文化財に指定されている。

その他、農耕の吉凶を占う「筒粥の神事」や社前の池の大掃除「馬場洗いの神事」などが伝わる。


社前には竜の池と呼ばれる湧水があり、現在までどんな旱魃の時でも枯れた事はない。

伝説によると、日本武尊が東征した際水不足に悩まされ、
国常立命に祈願したところ湧き出したのがこの池という。

他の伝説によると、神様が当地の森が気に入り、中に入って行こうとした時、
松の葉で目を刺してしまった。

以来村民によって境内の松はすべて抜かれ、
当社に松ノ木が植えられる事はなくなったという。



二宮神社の狛犬




・奉納年 昭和13年
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り

あきる野市「森山神社」

2011年09月17日 | 神社
森山神社 

鎮座地 草花275

祭神 伊奘那岐命(いさなぎのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 9月最終日曜

解説 
森山地区の人々によって祀られた祠。

飯綱権現を勧請した社で、かつては森山明神社といわれた。

明治2年(1869)草花神社に合祀されたが大正初期にふたたび分祀された。

例大祭では「森山囃子」が奉納される。