多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

多摩市「金比羅宮」

2010年05月31日 | 神社
金比羅宮 

鎮座地 桜ヶ丘1-54

祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)

旧格式 無格社

例大祭 9月第二日曜

解説 
文政年間(1818~30)関戸村の紺屋、井上林蔵が四国金毘羅宮のご分霊を勧請した。
現在は関戸の熊野神社が管理している。
この付近は新田義貞が鎌倉を攻めた折の古戦場で、かつては「物見の松」という大樹があったという。
この松には伝説があり、村の娘が自分を捨てた男の事を怨んで、丑の刻参りをして男を狂死させた事があるという。

多摩市「恋路稲荷神社」

2010年05月30日 | 神社
恋路稲荷神社 

鎮座地 百草1140

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 資福院(廃寺)

例大祭 2月初午

解説 
百草地区の鎮守。
文政5年(1822)造の灯篭や別当資福院の二代目住職の墓などが残る。

当社は古墳上に建っている。
この古墳は稲荷塚古墳といわれ8角形の珍しい古墳である。
発掘調査の結果石室などが出土し東京都の文化財にも指定されている。

多摩市「瘡守稲荷神社」

2010年05月29日 | 神社
瘡守稲荷神社 

鎮座地 山王下1-622

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 2月初午

解説 
山王下地区で祀られていた祠。
もとは北側の山頂にあったが、多摩ニュータウンの造成により現在地に遷った。
皮膚病の治療に霊験あらたかで、土の団子を供えて治癒を祈願し、治ると米の団子を供える風習がある。

かつて例大祭の前夜には、ビシャ講というお日待ちがあった。

境内には付近の開発で遷された小祠がいくつかある。
その中のひとつに鶴供養塔がある。(ちょうど写真右側電柱の後方)
江戸時代当地では鶴を殺すと死罪であったが、ある村人が傷ついた鶴を助けようとしたところ、かなわずに死んでしまった。
役人が捕縛に来た時、名主の五兵衛は「彼は(町田市)図師の鍛冶屋へ鍋のツルを売って来たのであって、鶴を打ったのではない」と言い訳して、村人は助かったと言う。
その後鶴の供養塔を造り、この付近の地名は鶴牧になったとの事。

多摩市「唐木田稲荷神社」

2010年05月28日 | 神社
唐木田稲荷神社 

鎮座地 唐木田1-13

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 
   猿田彦命(さるたひこのみこと)
   大宮売命(おおみやのめのみこと)

例大祭 9月第二日曜

解説 
創建年不詳。
棟札には文化9年(1812)再建とある。
宝暦13年(1763)筆の「落合旧記」という文献にも記載されており、創建はそれ以前と思われる。

かつて例大祭は2月初午であった。
前夜廻り宿で宴会を行い、当日は五色旗を立て、ツットコに尾頭つきのいわし・赤飯・強飯を供え、子供は賽銭箱を担いで村内を回り賽銭を集めたという。

摂社に金精神がある。
不妊の女性が性器を当てると子宝に恵まれるという。 

なお当社付近についても、いくつかの伝説がある。かつて当社のあたりは「稲荷の森」と言われ、美しい娘に化けて村人を池に誘い込む大蛇が住んでいた。
村の若者清左衛門によって退治されるが、清左衛門も目が見えなくなってしまったという。 
また、中国で唐王朝が滅亡した際、阿部仲麻呂の子孫が、唐王朝の王女を助けて日本に亡命したという。
彼等の子孫が当地に入植したため、地名が「唐から来た」がなまって唐木田になったとの事。

多摩市「春日神社」

2010年05月27日 | 神社
春日神社 

鎮座地 連光寺1-8

祭神 大日霎尊(おおひるめのみこと) 
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   武甕槌命(たけみかづちのみこと) 
   経津主命(ふつぬしのみこと)

旧格式 村社  

例大祭 9月第二日曜

解説 
連光寺村の鎮守。
村の成立と同時期の創建と思われるが、鎌倉時代の歴史書「東鑑」に小山田重成が連光寺を所領とした事が書かれており、連光寺村はそれ以前から存在していた事が分かる。
すなわち治承5年(1181)頃の創建と思われる。
例大祭では、祭典に先立って「ササラ突き」という道行行事が行われる。
神職が村内の休息所から神社に参内する道中を清めるもので、
神職を先払いに40名ほどの成人男子が、ササラという身の丈ほどの真竹の竿で道を掃きながら行進する。

春日神社の狛犬


奉納年 昭和9年(1934)
石工 溝の口 石匠 慶雲
願主 城所弥市
右 阿形 子取り
左 吽形 子取り
記事 慶雲=内籐慶雲か?


御神木「ケヤキ」

多摩市天然記念物
目通り4.5メートル

かつてこのあたりは老樹に囲まれていたが開発により伐採されてしまった。
ケヤキの大樹はもう一本あったが枯死してしまい残るは写真の2本のみ。

多摩市「庚申神社」

2010年05月26日 | 神社
庚申神社 

鎮座地 桜ヶ丘3-42

解説 
詳細不明。
庚申塔を祀っているものと思われる。

庚申塔・祭神・社格など、語句説明は徐々に実施。

多摩市「上和田愛宕神社」

2010年05月25日 | 神社
上和田愛宕神社 

鎮座地 愛宕1-46

祭神 迦具土大神(かぐつちのおおかみ)

旧格式 無格社  

別当寺 高蔵院

例大祭 7月24日

解説 
「新編武蔵国風土記稿」に「伊野十左衛門、天文年中(1532~55)に勧進」とある。
昭和45年(1970)多摩ニュータウンの造成により、愛宕山山頂が切り崩され現在地に遷る。
当社の例大祭は、他の市内の神社と違い旧来の7月を守っている。
同じ和田村の十二神社の秋祭りに対し夏祭りといわれている。
宵宮(祭りの前夜)には悪疫払いの「お焚き上げ」の神事が行われる。
かつてお焚き上げが中止になった年があったが、
その年は伝染病が流行したため、
その後は現在に至るまで欠かさず行われている。

多摩市「貝取神社」

2010年05月24日 | 神社
貝取神社 

鎮座地 豊ヶ丘2-26

祭神 弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと) 
   応神天皇(おうじんてんのう)
   須佐之男命(すさのおのみこと)

例大祭 9月第2日曜

解説 
多摩ニュータウンの造成により旧地を失った、かつて貝取村で個々に祀られていた神社を合祀した神社。
吾妻神社・八幡宮・牛頭天王社を一箇所に集め、三柱の祭神を相殿で祀り社名を貝取神社とした。

「新編武蔵国風土記稿」には八幡宮について「享保年中の棟札あり」と記載されている。
吾妻神社は、かつて東権現社と言われ「神体女体にして髪を下げ手に花を持ちて立てる像」とある。

多摩市「十二神社」

2010年05月23日 | 神社
十二神社 

鎮座地 和田1025

祭神 熊野の十二権現

旧格式 村社  

別当寺 高蔵院

例大祭 9月第二日曜

解説 
和田村の鎮守。
十二権現とは熊野信仰の12箇所の神様の事で十二所権現ともいう。
別当寺が修験道の高蔵院であったため、当地にも熊野信仰がもたらされたものと思われる。
「新編武蔵国風土記稿」にも、三田某によって、当地に十二所権現社が勧請されたとの記載がある。

多摩市「青木葉天満宮」

2010年05月22日 | 神社
青木場天満宮 

鎮座地 落合2-24

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 なし  

別当寺 東福寺

例大祭 9月第二日曜

解説 
寛政6年(1794)東福寺住職隆相が氏子とともに青木場地区の氏神として創建した。
ご神体の菅原道真像は江戸下谷池端仲町御用佛師、黒田高山の作。
明治43年(1910)落合白山神社に合祀されたが、昭和32年(1957)以前の氏子等によって旧地に復する。
昭和59年(1984)多摩ニュータウン造成の区画整理により現在地に遷った。

多摩市「秋葉神社」

2010年05月21日 | 神社
秋葉神社 

鎮座地 中沢2-18

祭神 火架迦具土神(ひのかぐつちのかみ)

旧格式 無格社

例大祭 4月第二日曜

解説 
かつてこの付近に三本松という所があり祠に古狐が棲んでいた。
ある時、旅人の失火により祠が焼け狐も焼け死んでしまった。
それ以来、当地では火事が後を絶たず狐の祟りであると噂された。
そのため、火伏せの神として名高い秋葉山のご分霊を遷して祀る事とした。
天明2年(1782)の事という。

境内は区画整理によって整備され、中沢中組の稲荷神社も同敷地内に鎮座している。

福生市の神社概要

2010年05月20日 | 神社
福生市の神社概要

福生市は旧福生村・旧熊川村の二村からなる。
安永2年(1773)沢応という人物によって書かれた「神光仏言夢物語」という書物には、清水但馬・長田庄玄・野嶋兵庫という3人の浪人が話し合い、福生村・川崎村(羽村市)・熊川村を開墾したという。

「新編武蔵国風土記稿」には福生9社・熊川3社の記載があるが、明治の神仏分離に伴って神社合祀が行われ、これらを含むほとんどの神社が福生の神明社と熊川の熊川神社に合祀された。
当地ではこれを「神寄せ」という。
但し神寄せを逃れた小祠もいくつか存在する。

以上で福生市終了。
明日からは多摩市の神社を記載開始!

福生市「官林稲荷神社」

2010年05月19日 | 神社
官林稲荷神社 

鎮座地 福生1773

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
もと農家の屋敷神。
玉川上水の開削によりその水路上に当たっていた農家も稲荷とともに移転したが、それ以来この家には不幸が相次いだ。
これはお稲荷様の祟りであろうとの事で、稲荷のみ旧地に戻して祀ったという。

福生市「金毘羅社」

2010年05月18日 | 神社
金毘羅社 

鎮座地 福生3256

祭神 大物主命(おおものぬしのかみ)

例大祭 4月10日 10月10日

解説 
金毘羅講の人々によって祭られた祠。
享和3年(1803)銘の石塔がある。
現在福生神明社に合祀されている八雲神社はかつて天王宮と言い、この付近にあった。