多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

国分寺市「稲荷神社」

2010年09月30日 | 神社
稲荷神社 

鎮座地 光町3-17

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 ? 

例大祭 ? 

解説 
享保7年(1722)平兵衛新田(谷保新田)の鎮守として創建された。
「新編武蔵国風土記稿」にご神体は「稲をかつぎし老翁」とある。

国分寺市「本多八幡神社」

2010年09月29日 | 神社
本多八幡神社 

鎮座地 本多4-3

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 村社  

別当寺 祥鷹寺

例大祭 9月15日

解説 
享保9年(1724)国分寺村の名主、本多三左衛門の子、
儀右衛門と仲右衛門が新田開発により当地に入植し本多新田を開いた。

元文元年(1736)村の檀那寺、祥鷹寺の住職、恢門道頂を中心に、
山城の男山八幡宮のご分霊を勧請して鎮守とした。

以上のように当社の説明板に記載されているが、
本村の国分寺八幡神社のご分霊を祀った・・・という説もあるよう。

国分寺市「平安神社」

2010年09月28日 | 神社
平安神社 

鎮座地 東元町1-25

祭神 白山菊理媛命(しらやまのくくりひめのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 国分寺

例大祭 9月19日

解説 
国分寺村東元地区の鎮守。
江戸時代は白山社といった。

明治になって一度国分寺八幡神社に合祀された事があるようだが、
大正期にはすでに現地に戻っていたらしい。


国分寺市「弁天八幡宮」

2010年09月27日 | 神社
弁天八幡宮 

鎮座地 西町2-30

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 無格社  

別当寺 流泉寺

例大祭 9月15日

解説 
榎戸新田弁天集落の鎮守。

弁天集落は現立川市の砂川村に属していたが、
砂川村の名主の息子が榎戸新田の名主の家に養子に入り、
それを契機に持参地として榎戸新田に編入した。

現社殿は大正14年(1925)造。

かつて弁天川がこの付近を流れており、
その御魂を祀った弁天社が摂社として境内にある。

国分寺市「愛宕神社」

2010年09月26日 | 神社
愛宕神社 

鎮座地 北町2-13

祭神 軻遇突智命(かぐつちのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち

例大祭 9月23日

解説 
享保10年(1725)現奥多摩町大丹波村の住人、榎戸角左衛門が新田開発のため当地に入植し榎戸新田(大丹波新田)を開いた。
その際親村より愛宕権現のご分霊を遷し新田村の鎮守とした。

「新編武蔵国風土記稿」によるとご神体は木造将軍地蔵立像。
神職は小平の山口氏で、例大祭は東数百メートル先にある神明宮とともに行なわれる。

平成15年(2003)新社殿が完成。写真は工事中のもの。

西東京市の神社概略

2010年09月25日 | 神社
西東京市の神社概略

西東京市は最近田無・保谷の2市が合併してできた。

江戸時代には青梅街道田無宿を中心に新田開発で開かれた地域である。

神社数は少ないが、それぞれが特徴を持った複雑な歴史をかかえた神社であり、
たいへん興味深い地域である。

なお上保谷村にはかつて神明神社が鎮座し江戸時代以前より専任の神主がいたものの、
現在は尉殿神社に合祀され存在しない。


これにて西東京市は終了。
明日より国分寺市の神社を紹介します。

西東京市「天神社」

2010年09月25日 | 神社
天神社 

鎮座地 北町6-7

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 村社  

別当寺 福泉寺

例大祭 10月15日

解説 
文明年間(1469~87)に開かれたとされる下保谷村は、
全村法華宗の信者で練馬区大泉の妙福寺の勢力圏に属する。

この地域の村では法華宗の信奉する三十番神社を村の鎮守としていた。

明治になって三十番神は否定されてしまったが、
村人は番神の中より天神を選び鎮守とした。

なおかつてご神体であった三十番神像は現在でも旧別当寺の福泉寺にある。


三十番神時代の名残「南無妙法蓮華経」の碑


三十番神とは、法華宗(日蓮宗)の神仏習合による神道観より生まれた信仰。

1ケ月30日を法華経の守護神が交代で国土を守るというもので、
三十番神社・あるいは番神堂に祀られている。

祀り方には幾通りかあり、
天地擁護・内侍所・王城守護・吾国守護・禁闕守護・妙法経守護、
日蓮聖人の法華経守護・慈覚大師妙法経守護の三十番神などがある。

多摩地区でも法華宗の影響下にある村では番神社が村の鎮守として祀られていた。
※調布市の國領村など

明治の神仏分離で三十番神が否定された後でも、
この下谷保村のように番神社が形を変えて生き延びているところがある。


天神社の狛犬


・奉納年 明治28年(1895)
・石工 北豊嶋郡元関町
 田中酒造蔵
・彫工 北足立郡志木町
 伊藤寅吉富士光 
・願主
・右 阿形 玉取り
・左 吽形




・奉納年 宝暦9年(1759)
摂社の狛犬、多摩地区でも最古級。

西東京市「玉引稲荷神社」

2010年09月24日 | 神社
玉引稲荷神社 

鎮座地 新町5-12

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
詳細不明。
飲食店裏の客用駐車場の一角にある。

単なる屋敷神のようであるが、
固有の名称を持ち地図にも記載のあることから一応紹介。

西東京市「田無神社」

2010年09月23日 | 神社
田無神社 

鎮座地 田無町2-7

祭神 級長津彦命(しなつひこのみこと)
    級長戸辺命(しなとべのみこと)
    大国主命(おおくにぬしのみこと)他

旧格式 村社  

別当寺 西光寺(現総持寺)

例大祭 10月第2日曜

解説 
尉殿大権現はあらゆる災厄を除くとされる金龍神(級長津彦命・級長戸辺命)を祀った神社で、
正応年間(1288~92) 市内谷戸の宮山に鎮座していたが
青梅街道の拡張にともない寛文10年(1670)当地に遷った。

明治5年(1872)大国主命を主祭神に加え田無神社と改名した。

本殿は安政6年(1859)造、拝殿は明治8年(1875)造。
彫刻が施された江戸時代の代表的な神社建築。

神職は賀陽氏。
江戸時代末期岡山藩医、賀陽玄節が田無村の名主下田氏の依頼を受けて当地にとどまった。
明治以降子孫が田無神社の神職を務めるようになった。


田無神社拝殿の彫刻



明治8年(1875)竣工、
地元の宮大工高橋金左衛門によって建てられた。


田無神社の御神木「イチョウ」



天保13年(1842)~嘉永3年(1850)に別当寺(西光寺)の本堂を修理した際、記念植樹されたと思われる。


田無神社の狛犬



西東京市「氷川神社」

2010年09月21日 | 神社
氷川神社 

鎮座地 東伏見2-6

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社

例大祭 ?

解説 
江戸時代下柳沢村の鎮守は榛名権現であった。

明治時代、神社合祀が行なわれた際榛名神社も市内の尉殿神社に合祀されることになった。

これに対し氏子が猛反発し尉殿神社に移されていた鳥居を奪い返した。

しかし政府の政策に逆らった為榛名神社は正式な神社と認められず、
下柳沢には鎮守の無い状態が続いた。

この問題を打開するため昭和17年(1942)
埼玉県浦和市蓮見新田に村社として祀られていた氷川神社を当地に遷して村の鎮守とした。

蓮見新田の氷川神社は氏子が数軒しかいなかったためというが、
こういうケースは珍しい。


氷川神社摂社 榛名神社



もと下柳沢の鎮守。
祭神は彦由岐命。
別当寺は宝樹院。
結局摂社の形で榛名神社は存続する事となった。


尉殿神社参道脇に残る榛名神社の鳥居礎石



合祀によって旧榛名神社の鳥居と礎石は尉殿神社に移された。

これに反対する榛名神社の氏子たちは田無警察署に強盗届を出して大挙奪還に向かった。

結局表紙写真にみられる鳥居は取り返したものの、
礎石は重すぎて持ち帰れず、
現在も尉殿神社参道脇に放置されたままとなっている。

西東京市「尉殿神社」

2010年09月20日 | 神社
尉殿神社 

鎮座地 住吉町1-1

祭神 級長戸辺命(しなとべのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 東禅寺

例大祭 10月1日

解説 
もと谷戸の宮山にあった水神尉殿大権現の御分霊を元和8年(1622)祀り上保谷村の鎮守とした。

江戸時代は倶利伽羅不動明王像をご神体としており、
現在も厨子に入って本殿脇に保管されている。

なお尉殿権現を祀った社は他に西東京市「田無神社」と東大和市「高木神社」所沢市「林神社」がある。

西東京市「東伏見稲荷神社」

2010年09月19日 | 神社
東伏見稲荷神社 

鎮座地 東伏見1-5

祭神 宇迦御魂大神(うかのみたまのかみ) 
    佐田彦大神 
    大宮能売大神

例大祭 2月初午

解説 
昭和4年(1929)関東の稲荷信者の要望に答え山城国伏見稲荷のご分霊を遷した。


東伏見稲荷神社の神使



・奉納年 昭和12年(1937)
・石工 ?
・右 阿形 珠取り
・左 吽形 鍵取り

西東京市「阿波洲神社」

2010年09月18日 | 神社
阿波洲神社 

鎮座地 新町2-6

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 
    高望王(たかもちおう)

旧格式 村社  

別当寺 寶晃院

例大祭 9月13日に近い土日

解説 
宝暦2年(1752)上保谷新田の鎮守として紀伊国の粟島明神のご分霊を祀った。
かつて粟島明神の祭神は頗梨采女(はりさいにょ)という女神で、
明治になって阿波洲神社と改められるまで、「あわしま様」と呼ばれ親しまれて来た。

祭神が女神という事もあって特に女性に人気があり、
拝殿の鈴に付いた紐を切って腹帯にすると安産のお守りになるともいわれた。

また、子宝祈願・婦人病平癒などを願って奉納された絵馬24枚が西東京市の文化財に指定されている。

多摩地区の粟島明神の分祀としては他に町田市「粟島神社」がある。

小金井市の神社概略

2010年09月17日 | 神社
小金井市の神社概略

小金井は南部の野川沿いの崖(国分寺崖線)に湧水が豊富で早くより人が住んでいた。
北部は玉川上水の完成により江戸時代中期以降新田開発が進んだ。


これにて小金井市終了!

明日からは西東京市の神社を紹介します。