多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

青梅市「稲荷神社」

2012年06月30日 | 神社
稲荷神社 

鎮座地 成木3-453

祭神 倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)または保食神 (うけもちのかみ)

解説 
詳細不明。

天ヶ指地区の人々によって祀られた祠。

青梅市「牛頭天王宮」

2012年06月28日 | 神社
牛頭天王宮 

鎮座地 成木4-991

祭神 素盞嗚命 (すさのおのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 ?

解説 
現在でも牛頭天王と呼ばれているが「皇国地誌」には八雲神社と記載されている。

安永4年(1775)当地の清水久兵衛によって尾張津島神社のご分霊が遷されたものと思われ、
津島牛頭天王社ともいわれた。

青梅市「愛宕神社」

2012年06月27日 | 神社
愛宕神社 

鎮座地 成木8-324

祭神 火之迦具土神 (ほのかぐつちのかみ)

旧格式 無格社  

別当寺 慈雲院

例大祭 6月24日

解説 
赤仁田地区の人々によって祀られた祠。

慶安2年(1649)徳川家光より朱印地2石を賜る。

この朱印地は栗平にあり御朱印といわれた。

山畑6反歩の土地で氏子が交代で小作人となり耕作していた。

青梅市「赤仁田神明社」

2012年06月26日 | 神社
赤仁田神明社 

鎮座地 成木8-325

祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
   豊受大神 (とようけのおおかみ)

旧格式 村社  

別当寺 ? 

例大祭 9月9日

解説 
明和4年(1767)名主野崎嘉右衛門・木崎善八等によって再建。

明治41年(1908)蜆沢の旧地より現在地に遷された。

三田地区の神社概略

2012年06月25日 | 神社
三田地区の神社概略

御岳町・沢井・二俣尾からなり、旧三田村に相当する。

この地は中世青梅周辺に覇をとなえた三田氏終焉の地となったところで、
二俣尾には最後まで北条氏に抵抗した辛垣城跡がある。

また、武蔵御嶽神社は江戸時代以前には修験道の聖地として栄え、
旧格式が東京府社と多摩地区では大国魂神社に次いで高くなっている。


これにて三田地区は終了。

次回より成木地区の神社を紹介予定!

青梅市「鎧塚社」

2012年06月25日 | 神社
鎧塚社 

鎮座地 沢井1-273

祭神 三田氏側の戦死者?

例大祭 10月28日

解説 
戦国時代青梅一帯は杣保といわれ三田氏が支配していた。

最後の領主、三田綱秀は関東管領や越後の上杉謙信に組みして小田原北条氏に対抗していた。

永禄6年(1563)北条氏照に攻められ、
立てこもる辛垣城はついに落城し綱秀は岩槻の太田氏を頼って落ち延びた。

しかし北条氏よりの政策に転換していた太田氏のもとでは冷遇され、
失念のうちに自害した。

鎧塚は辛垣城落城で戦死した者を埋葬したとも、彼らの武器を埋めた塚ともいう。

当社はその塚上にあり、かつては鎧塚大明神といわれた。

享保16年(1731)に祠を再建した記録がある。

青梅市「横尾神明社」

2012年06月24日 | 神社
横尾神明社 

鎮座地 御岳本町250

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 無格社  

別当寺 大徳寺?

例大祭 ?

解説 
沢井上分の鎮守。

詳細は不明だが、延宝8年(1680)の棟札が伝わる。

摂社に安心明神がある。

慶長10年(1605)悪修験者梅本坊という人物が当地の福田五郎右衛門に殺されるという事件が起こった。
その後梅本坊の霊が福田家に祟りをなしたので、
宝暦3年(1753)に祠を建てて祀ったという。


神明社の狛犬



・奉納年 文化4年(1807)
・右 
・左 阿形
・記事 多摩地区でも最古級だが、阿形しか現存しない。




・奉納年 大正11年(1922)
・石工 藤堂音次郎?
・願主 
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 青梅・奥多摩地区でよく見られるタイプ。

青梅市「山の神」

2012年06月23日 | 神社
山の神 

鎮座地 二俣尾2

祭神 大山祇神(おおやまつみのかみ)

例大祭 8月18日(雷電神社)

解説 
山の神を祀ったもの。
枡形山に鎮座する。

写真右の祠は雷電神社と思われる。

雷電神社はかつて雷電山の山頂にあり、
二俣尾字西城と北小曾木正沢両地区の人々によって祀られていた。

青梅市「山の社」

2012年06月22日 | 神社
山の社 

鎮座地 二俣尾1

祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)

解説 
詳細不明。

青梅は山や丘陵が多いので、
山のめぐみに感謝する当社のような祠が数多く存在する。

青梅市「八雲神社」

2012年06月21日 | 神社
八雲神社 

鎮座地 沢井2-605

祭神 速佐之男命(はやすさのおのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 大中寺

例大祭 7月25日

解説 
沢井下分宮ノ腰の鎮守。

かつては修験道系の牛頭天王社と言われたが、祭神は愛染明王であったという。

例大祭で奉納される三匹獅子は甲斐国丹波山村より伝わったともので、
天下一角兵衛流といわれる。


青梅市「中野熊野神社」

2012年06月20日 | 神社
中野熊野神社 

鎮座地 御嶽2-376

祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
    速玉之男命(はやたまのおのみこと)
    事解之男命(ことさがのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 大行寺

例大祭 3月10日

解説 
御嶽村の鎮守。

戦国時代まで当地周辺を支配した三田氏の家臣、
浜竹五郎が文明年間(1469~86)自らの館に熊野三山のご分霊を遷したのが創建という。

また本山派の修験者、宮本某が当地を訪れ、出身地の熊野三山を祀ったともいう。

寛政5年(1793)社殿を再建。

慶応4年(1868)当社の別当であった宮本右善は神道に改宗し神職となった。

御嶽信仰

2012年06月19日 | 神社
武蔵御嶽神社追記

御嶽信仰

青梅市の武蔵御嶽神社を発祥として関東一円に広がった信仰。

御岳山は修験道の中心として栄えた山で、
創建伝説はいろいろあるが、
天平8年(735)行基が蔵王権現を勧進してから御嶽山蔵王大権現といわれ、
修験道の霊山となった。

多摩地区に多くある御嶽神社はここのご分霊を祀ったもの。

それらは江戸時代以前、蔵王権現と言われており、
明治の神仏分離により御嶽神社と改められた。

なお、長野県の木曽御嶽山ももと蔵王権現を祀っており、
修験道の聖地として古来御嶽講(おんたけこう)によって信奉されているが、
一応両者は別物であるらしい?


【青梅市 武蔵御嶽神社参道にある御嶽講の碑】



南関東を中心に広がっている御嶽講の信奉者によって碑が多く建てられている。



【武蔵御嶽神社御師馬場家住宅】



馬場家は甲斐武田氏の遺臣の家柄で代々御師を務めていた。

このような御師によって御嶽講が組織され、
下の御札などを人々に配布したりして信仰を広めた。

御師邸は大概参拝者のための宿泊施設を兼ねている。

参道の周囲には古風な造りの旧御師邸が多く残り、
現在も民宿を営んでいる。
 

【武蔵御嶽神社の眷属 大口真神(おおくちまのかみ)の御札】



伝説によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国遠征のおり、
御岳山において窮地にたった尊を救ったのが狼との事。

以来狼が御嶽信仰の神使として祀られている。

この御札は「おいぬさま」と言われる扉守札で
、倉などの戸に添付すると盗難除の効果があるという。

青梅市「武蔵御嶽神社」

2012年06月19日 | 神社
武蔵御嶽神社 

鎮座地 御岳176

祭神 櫛真智命 (くしまちのみこと) 大己貴命 (おおなむちのみこと)
    少彦名命 (すくなひこなのみこと) 安閑天皇 (あんかんてんのう)
    日本武尊 (やまとたけるのみこと)

旧格式 東京府社

例大祭 5月8日(日の出祭り)

解説 
伝説によると、日本武尊が東征の際御嶽山上に武具を蔵したため、
武蔵国と言われるようになったという。

天平8年(736)行基が東国鎮護のため蔵王権現を勧請し、
以後御嶽山蔵王大権現として広く関東全土の人々に信仰される事となった。

文暦元年(1234)東国巡歴中の大中臣国兼が夢のお告げで御嶽山に登り、
蔵王権現像を奉納し社殿を再興して後、
修験道の霊場として知られるようになった。

江戸時代には江戸城鎮護のため、それまで南向きだった社殿を東向きに改め、
徳川将軍家より代々30石を賜った。


時代ごとに武将の信仰厚く、
建久2年(1191)畠山重忠よって奉納された国宝赤糸威大鎧や、
同じく国宝金覆輪円門螺鈿鏡鞍など、
国宝・重文級の奉納品を多数蔵している。

なお、「延喜式・神名帳」に記載のある、
大麻止乃豆乃天神社を当社に比定する説もある。


武蔵御嶽神社の御神木ケヤキ


目通り幹周り 8.2m
樹高 30m
樹齢 700年
指定 国指定天然記念物
記事  日本武尊が東征の際、この地を訪れた頃から生えていたという。
    通称「神代ケヤキ」


武蔵御嶽神社の狛犬・神使



・奉納年 昭和60年(1985)
・石工 北村西望 
・右 阿形
・左 吽形
・記事 ブロンズ製。同一の物が武蔵野市井の頭公園にある。
    御嶽神社の神使は狼。



・奉納年 寛保3年(1743) 
・右 阿形
・左 吽形
・記事 旧本殿前にある。



 
・記事 摂社皇御孫社の狛猪。イノシシの神使は多摩ではこれのみ。
    近年作り直されたらしい。