大岱稲荷神社
鎮座地 恩多町3-33
祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大泉寺
例大祭 4月14日
解説
大岱村の鎮守。
寛延年間(1748~50)名主の当麻喜太夫が山城伏見稲荷の御分霊を祀ったという。
鎮座地 恩多町3-33
祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大泉寺
例大祭 4月14日
解説
大岱村の鎮守。
寛延年間(1748~50)名主の当麻喜太夫が山城伏見稲荷の御分霊を祀ったという。
野際神社
鎮座地 久米川町3-34
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社?
別当寺 梅岩寺
例大祭 7月15日に近い日曜
解説
神仏分離以前は天王社・天王宮などどいわれ牛頭天王を祀っていた。
本殿は見事な彫刻のある江戸時代末期の作。
鎮座地 久米川町3-34
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社?
別当寺 梅岩寺
例大祭 7月15日に近い日曜
解説
神仏分離以前は天王社・天王宮などどいわれ牛頭天王を祀っていた。
本殿は見事な彫刻のある江戸時代末期の作。
南秋津氷川神社
鎮座地 秋津町4-13
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 竜泉寺
例大祭 10月1日
解説
南秋津村の鎮守。
弘仁9年(818)頃、別当竜泉寺の鎮守として創建されたという。
本殿は明治41年(1908)築。
鎮座地 秋津町4-13
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 竜泉寺
例大祭 10月1日
解説
南秋津村の鎮守。
弘仁9年(818)頃、別当竜泉寺の鎮守として創建されたという。
本殿は明治41年(1908)築。
熊野神社
鎮座地 久米川5-13
祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 泉岳院
例大祭 10月9日に近い日曜日
解説
久米川村の鎮守。
新田義貞が鎌倉を攻めた際の久米川合戦において、
後陣を置いた位置に神社を祀ったのが当社の創建という。
江戸時代は修験道の本山派泉岳院の管理下にあった。
明治の神仏分離のおり、修験僧であった山田重任が還俗して神職となった。
ご神体は玉石で、他に「天下一藤原政重」の銘を持つ銅鏡もある。
明治14年(1881) 本殿落成の時、有栖川宮より真蹟二軸を賜った。
毎年例大祭で掲げられる。
熊野神社の富士塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/df/a4381c37c0533f6249c5b3d539c75fc5.jpg)
日立講・官位講など富士講関係の石碑が残り、かつては風穴などもあったらしい。
鎮座地 久米川5-13
祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 泉岳院
例大祭 10月9日に近い日曜日
解説
久米川村の鎮守。
新田義貞が鎌倉を攻めた際の久米川合戦において、
後陣を置いた位置に神社を祀ったのが当社の創建という。
江戸時代は修験道の本山派泉岳院の管理下にあった。
明治の神仏分離のおり、修験僧であった山田重任が還俗して神職となった。
ご神体は玉石で、他に「天下一藤原政重」の銘を持つ銅鏡もある。
明治14年(1881) 本殿落成の時、有栖川宮より真蹟二軸を賜った。
毎年例大祭で掲げられる。
熊野神社の富士塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/df/a4381c37c0533f6249c5b3d539c75fc5.jpg)
日立講・官位講など富士講関係の石碑が残り、かつては風穴などもあったらしい。
金山神社
鎮座地 廻田町4-1
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
旧格式 村社
例大祭 9月第二日曜
解説
創建年不明、廻田村の鎮守。
江戸時代から金山神社と御嶽神社が合祀されていた。
また廻田村上組では、かつて宝珠寺境内の稲荷神社を鎮守として祀っており、
明治になって当社に合祀された。
三柱の祭神がその事を物語っている。
鎮座地 廻田町4-1
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
旧格式 村社
例大祭 9月第二日曜
解説
創建年不明、廻田村の鎮守。
江戸時代から金山神社と御嶽神社が合祀されていた。
また廻田村上組では、かつて宝珠寺境内の稲荷神社を鎮守として祀っており、
明治になって当社に合祀された。
三柱の祭神がその事を物語っている。
宝珠稲荷神社
鎮座地 廻田町3-10
祭神 天思兼命
彦狭知命
旧格式 ?
別当寺 寶珠禅寺
例大祭 2月初午
解説
安永元年(1772)宝珠寺の鎮守として創建。
江戸時代は廻田村上組の鎮守であったが明治になって金山神社に合祀された。
現在の祠は合祀を願わない人々によって新たに建てられたものと思われる。
鎮座地 廻田町3-10
祭神 天思兼命
彦狭知命
旧格式 ?
別当寺 寶珠禅寺
例大祭 2月初午
解説
安永元年(1772)宝珠寺の鎮守として創建。
江戸時代は廻田村上組の鎮守であったが明治になって金山神社に合祀された。
現在の祠は合祀を願わない人々によって新たに建てられたものと思われる。
白山神社
鎮座地 久米川4-41
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
例大祭 10月9日
解説
旧鎌倉街道沿いに位置する。
延享元年(1744)付近三ヶ所の白山権現を合祀して当社が成立したという。
文政2年(1819)当地の北久保忠蔵が願主となって造立された牛頭天王像(東村山市指定有形文化財)がある。
鎮座地 久米川4-41
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
例大祭 10月9日
解説
旧鎌倉街道沿いに位置する。
延享元年(1744)付近三ヶ所の白山権現を合祀して当社が成立したという。
文政2年(1819)当地の北久保忠蔵が願主となって造立された牛頭天王像(東村山市指定有形文化財)がある。
浅間神社
鎮座地 本町1-15
祭神 木花咲耶媛命(このはなのさくやひめのみこと)
解説
天保13年(1842)野口村西宿の富士講によって小丘上に造られた小祠。
この丘はもともと富士塚として築かれたものではないようだが、
浅間塚と呼ばれ富士講の人々によって祀られてきた。
鎮座地 本町1-15
祭神 木花咲耶媛命(このはなのさくやひめのみこと)
解説
天保13年(1842)野口村西宿の富士講によって小丘上に造られた小祠。
この丘はもともと富士塚として築かれたものではないようだが、
浅間塚と呼ばれ富士講の人々によって祀られてきた。
秋津神社
鎮座地 秋津5-175
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 村持ち
例大祭 7月28日
解説
創建年不明。
寛永年間 聖護院宮が当地に立ち寄ったとき、地名にちなんで当社を秋津神社と命名したという。
「新編武蔵国風土記稿」にはただ不動堂とのみ書かれている。
当社のご神体は、風土記稿の指摘のようにかつては石造船型不動尊像で、
入間郡安松の長源寺住職、宝応が元禄12年(1699)に寄進したものであった。
本殿は文政4年(1821)築で見事な彫刻がある。
鎮座地 秋津5-175
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 村持ち
例大祭 7月28日
解説
創建年不明。
寛永年間 聖護院宮が当地に立ち寄ったとき、地名にちなんで当社を秋津神社と命名したという。
「新編武蔵国風土記稿」にはただ不動堂とのみ書かれている。
当社のご神体は、風土記稿の指摘のようにかつては石造船型不動尊像で、
入間郡安松の長源寺住職、宝応が元禄12年(1699)に寄進したものであった。
本殿は文政4年(1821)築で見事な彫刻がある。
立川市の神社概略
立川市は多摩川沿いの南部、柴崎村と玉川上水・五日市街道にそった砂川村が合併してできた。
柴崎は中世より武蔵七党西党の武士団、立川氏の本拠地として栄えた。
諏訪神社はじめ、立川氏ゆかりの寺社や史跡が多く残る。
砂川は江戸時代初期、武蔵野新田の開発に先駆けて開墾された地域で、
その鎮守である阿豆佐味天神社は入植者の心の支えとなった。
これにて立川市は終了!
明日より東村山市の神社を紹介予定。
立川市は多摩川沿いの南部、柴崎村と玉川上水・五日市街道にそった砂川村が合併してできた。
柴崎は中世より武蔵七党西党の武士団、立川氏の本拠地として栄えた。
諏訪神社はじめ、立川氏ゆかりの寺社や史跡が多く残る。
砂川は江戸時代初期、武蔵野新田の開発に先駆けて開墾された地域で、
その鎮守である阿豆佐味天神社は入植者の心の支えとなった。
これにて立川市は終了!
明日より東村山市の神社を紹介予定。