多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

東大和市「豊鹿嶋神社」

2011年02月14日 | 神社
豊鹿嶋神社 

鎮座地 芋窪1-2067

祭神 武御加豆智命(たけみかづちのみこと)

旧格式 郷社  

別当寺 かつて北側にあったというが不明

例大祭 9月15日

解説 
慶雲4年(704)創建という古社。
芋窪村の鎮守。

ご神体は武御加豆智命の太刀「竜王丸」という。

創建神話では、天智天皇第四の姫と蘇我倉山田石川麻呂が、
武蔵国に来た鬼神を常陸峰に鎮めたのに始まるという。

その時の鬼神の面を写したものが現在も獅子頭3頭として伝わり、
市指定の文化財となっている。

石井氏が代々神職を勤め、江戸時代には徳川将軍家より朱印地10石を賜っていた。

本殿は文正元年(1466)築で都内最古の神社建築である。

また、本殿前には一対の宝暦10年(1760)造の木造狛犬がある。

木造の狛犬は多摩地区では当社の他、
府中市の大国魂神社と国立市の谷保天満宮・福生市の熊川神社のみに伝わる。

未公開だが東大和市郷土博物館で複製を見ることができる。

東大和市「高木神社」

2011年02月13日 | 神社
高木神社 

鎮座地 高木2-106

祭神 高皇産霊(たかみむすびのみこと) 
    手力雄命(たぢからおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 明楽寺(廃寺)

例大祭 9月15日

解説
高木村の鎮守。 
神仏分離までは尉殿権現社といった。

創建年は不明だが、宝暦8年(1758)再建の記録があり、
当時既に存在していた事が分かる。

例大祭では悪疫退散を祈願して奉納される獅子舞が江戸時代より受け継がれている。


摂社塩釜神社



摂社に安産に霊験のある塩釜神社がある。

かつて医療の発達していない頃には赤子や母親の死亡率が高かった。
そのことを憂いた名主の尾崎金左衛門が、
明治10年(1878)安産の神様として名高い宮城県の塩釜神社に参拝し、
安産の護札を貰い受け屋敷神として祀った。

後に高木神社の摂社として現在地に遷した。

現在でも参拝者が後を絶たず、
拝殿には安産を祈願して奉納された絵馬などが多数ある。 


また、秋葉神社も摂社として祀られている。
かつて奈良橋で大火事があったとき、
秋葉様を祀っていた家と両隣3軒は無事であったという。

東大和市「清水神社」

2011年02月11日 | 神社
清水神社 

鎮座地 清水3-784

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと) 
    大己貴尊(おおなむちのみこと)
    稲田姫命(いなだひめのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 円達院

例大祭 8月18日

解説 
江戸時代、上宅部の谷戸に建保3年(1214)創建という氷川神社があり。
徳川将軍家より朱印地5石を賜っていた。

宅部・清水・内堀・日向・境・廻田・後ケ谷、7村の総鎮守。
別当寺は修験道の照林山神宮寺円達院であったが、
明治維新後の神仏分離の際、
17代円達院左京は還俗して清水大学安清と名乗り氷川神社の神職となった。

大正8年(1919)村山貯水池(多摩湖)造成のため現在地に遷る。
その際熊野神社を合祀して社名を清水神社と改めた。

例大祭では清水囃子が奉納される。

東大和市「狭山神社」

2011年02月10日 | 神社
狭山神社 狭山2-1300

祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと) 
    伊弉冉命(いざなみのみこと)
    御霊大神

旧格式 村社

例大祭 9月14、15日

解説 
後ケ谷村の鎮守。

江戸時代には天狗社、あるいは天宮大明神などといわれ天狗の面を掲げていた。

大正12年(1923)村山貯水池(多摩湖)の湖底に沈んだ御霊神社を合祀して祭神に加えた。

東大和市「熊野神社」

2011年02月09日 | 神社
熊野神社 

鎮座地 蔵敷1-432

祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 
    伊弉冉尊(いざなみのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち

例大祭 11月8、9日

解説 
もともと内野家の鬼門除けの屋敷神であったが後に蔵敷村の鎮守となった。

創建は永禄年間(1558~72)頃に、
やはり内野家とゆかりのある厳島神社と同時に祀られたと思われる。

また江戸時代は熊野大権現といわれており修験道の道場であったとも考えられる。

東大和市「瘡守稲荷神社」

2011年02月08日 | 神社
瘡守稲荷神社 

鎮座地 小平市小川町1-76

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
創建年は不明だが、天保5年(1834)の史料にも記載がある。

当地の乙幡氏の勧進か? 
※乙幡姓は東大和・武蔵村山あたりに多い苗字。

なお現在当社は西武線高架南部、小平市の市域内に鎮座している。
何らかの理由で遷されたものか?

小平市側の史料には無く、東大和市側の史料をもとに記述したため、
東大和市の神社扱いとした。

東大和市「厳島神社」

2011年02月06日 | 神社
厳島神社 

鎮座地 蔵敷1-365

祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち

例大祭 9月15日

解説 
もと当地の内野家の屋敷神であったものを蔵敷村の鎮守として提供した。

永禄12年(1569)創建というが別説もある。

明治になり、社名を弁天社から厳島神社と改める。

現在の本殿は天保6年(1835)築で、見事な彫刻がある。

東大和市「八幡神社」

2011年02月05日 | 神社
八幡神社 

鎮座地 奈良橋1-258

祭神 譽田別之命(ほんだわけのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 覚宝院(廃寺)

例大祭 9月15日

解説 
奈良橋村の鎮守。

創建年は不明。

天正3年(1575)と宝暦4年(1754)の棟札が伝わる。

当社に伝わる伝説では、ある時、戦に敗れた落武者が当所の祠で寝たところ、
夢のなかで八幡神を名乗る神が村人に祠が壊れているので建て替えるように伝言を頼んだそうである。

元禄2年(1689)、当地の領主、石川太郎右衛門と岸隼人によって拝殿が建てられた。

現在の神職は押本氏が勤める。

東村山市の神社概略

2011年02月04日 | 神社
東村山市の神社概略

東村山市は南北に鎌倉街道(現府中街道)が通り古代より人の往来が多く、
鎌倉時代・南北朝時代には古戦場になった。

江戸時代には南秋津・久米川・野口・廻田・大岱など北部の村々が南部にむかって新田開発を進めていった。

これにて東村山市は終了!

明日より東大和市の神社を紹介予定!

東村山市「八坂神社」

2011年02月04日 | 神社
八坂神社 

鎮座地 栄町3-35

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 正福寺

例大祭 7月15日

解説
野口村の鎮守 

創建は別当寺の正福寺が建立された弘安元年(1278)頃という。
現在正福寺にある八坂神社と関連ありか?

江戸時代は牛頭天王を祀り、天王社・天王宮・武蔵野天王・八雲神社などといわれた。

当時のご神体は持国天銅像であったというが現在では失われている。

明治2年(1869)別当寺正福寺の塔頭、常宝院の僧侶であった福岡喜内が還俗して神職となった。

現在の社殿は平成元年(1989)に完成した。

また、かつて祭礼に使われた大獅子頭(東村山市指定有形文化財)などが伝わっている。


八坂神社の狛犬



・奉納年 万延元年

東村山市「宅部氷川神社」

2011年02月03日 | 神社
宅部氷川神社 

鎮座地 多摩湖町3-395

祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 園達院

例大祭 9月第一土日

解説 
永禄12年(1569)創建という。

ご神体は絵馬であると「新編武蔵国風土記稿」にはある。

旧本殿は享保15年(1730)築であったが、
昭和41年(1966)現本殿完成に伴い、
当地の清水氏邸の屋敷神、御嶽神社の社殿として移築された。

東村山市「正福寺八坂神社」

2011年02月02日 | 神社
正福寺八坂神社 

鎮座地 野口町4-6

祭神 素盞鳴命(すさのおのみこと)

解説 
詳細不明。

正福寺の境内にあることから寺の鎮守であったことは疑いない。

牛頭天王の扁額があり当地の鎮守でもあったか? 

写真左には国宝建造物「千体地蔵堂」が見える。


正福寺千体地蔵堂



室町時代の禅宗様式の建造物。

同じく国宝である鎌倉円覚寺の舎利殿と同様式。

東村山市「諏訪神社」

2011年02月01日 | 神社
諏訪神社 諏訪町1-4

祭神 武御名方命(たけみなかたのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 徳蔵寺

例大祭 8月26・27日

解説 
野口村西宿の鎮守。

貞享2年(1685)桜井利兵衛が土地を寄進して創建された。

本殿は創建期のころの建築で、
拝殿は文政12年(1829)徳蔵寺13世、月潭義光が寄進したものという。

江戸時代までは神仏習合状態であったが、
明治の神仏分離後、修験僧の武藤亘が還俗して神職となった。

例大祭は明治末まで、9月9・10日であったが、
毎年雨が降るという事で、9月26・27日に変更した。

ところが、その時期はちょうど当時盛んだった養蚕の繁忙期に当たるため、
また変更、現在の日になったという。